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夜。鏡を見つめながら、髪をまとめていた。いつもの癖。幼いころから染みついた身支度。


手のひらで髪の流れを撫でる。

整っている。

綺麗に見せるためじゃない。“無駄な乱れ”が嫌いなだけ。


──日下部からのLINEには既読をつけていない。



(あの子──“遥”──が、どこで壊れるか)


それが、玲央菜の関心のすべてだった。


泣かせたいわけじゃない。

苦しませたいわけでもない。


「壊す」──それだけが、目的だった。



ずっと昔。

砂場で、ベンチの下で、自転車のサドルの上で。

何度も何度も転ばせて、蹴って、顔を地面に押しつけて。


けれど、あの子は泣かなかった。


あの無言が、気に食わなかった。


怯えてもいいのに。

叫んでもいいのに。

怒鳴って、逃げて、抗えばいいのに。


なのに──静かに、耐えていた。

無表情のまま、唇を噛んで。



(……綺麗だった)


一度だけ、そう思った。

沈黙の中で全身をこわばらせるその姿が、

あまりにも“人間離れしていて”。


それが、美しいと思った。


それと同時に──


(壊したい、と思った)



そのときから、あの子は壊す対象になった。


恋愛?

愛情?

保護?


──くだらない。


守る必要なんてない。

守られて生きられる人間じゃない。

あれは、“壊されるために存在してる”。


たった一つ違うのは──壊していいのは、わたしだけだということ。




日下部のことは、気づいてる。


昔から、視線に滲んでいた。

口には出さないくせに、こっちばかり見てた。

遥に暴力を加えるとき、その表情を見ていたのも知ってる。


──でも、それが恋愛だなんて、思ったことは一度もない。


日下部はただ、自分に“従っていた”。

命令すれば動いたし、否定すれば黙った。


あれは、犬だ。



「ねえ、やってみてよ」


そう言ったとき、日下部はほんの少しだけ迷った。


でも、やった。

蹴った。

砂をぶつけた。

無理やり服を脱がせかけたこともある。


遥の手首を掴んで、「言えよ、どうして欲しいか」って言わせたことも。


全部、玲央菜の指示だった。



(でも、どこかで怖がってた)


──あの子に“本気で触れたら”、壊れてしまうんじゃないか。


そう思ってたのは、日下部のほうだった。



でもわたしは違う。

怖くない。


だって──壊れたら、終わりなんて思ってないから。


壊れても、生きてる限りまた立たせればいい。

何度でも壊して、何度でも引きずって、何度でも戻して、

最後まで「壊しきった」と思えるまでやればいい。


だから、あの子を見ている。

ずっと、あの子を。

自分の指先で、どこまで砕けるかを。




日下部?

あいつは……ただ、観察者の位置にいたいだけ。


見ていたい。

自分の“推し”が壊れていく姿を。

自分が惹かれている“加害者”が、どこまで残酷になれるかを。


でも──それじゃ足りない。


あいつが、何かの拍子に守ろうとしたら。

ほんの一瞬でも、あの子の“味方”をしたら──


そのときこそ、日下部も壊すべき対象になる。


そういうルールで、玲央菜はずっと、生きてきた。



──“わたしが一番壊したいのは、あの無言の弟”。


でも、

“あの弟に一番執着してるのは、きっと日下部”。


滑稽だと思う。

可哀想だとも思う。


でもそれも、面白い。

だから手放さないし、壊さない。


まだ、役に立つから。




部屋の空気が冷える。

タオルで髪を絞って、また鏡を見る。


今夜は連絡しない。

明日、また“見に行こう”。あの子が、ちゃんと壊れてるかどうか。


そう考えたとき、口元にふっと笑みが浮かんだ。



──わたしが笑えるのは、あの子が壊れるときだけ。


それが、“あの家の姉”として、生まれてきた意味。



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