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ベランダに出て、煙草を吸うふりをした。火は点けない。
夜の風は少し冷たかった。
マンションの高層から見える街は、どこまでも平坦で、どこにも逃げ場がなかった。
──あの女は、わかってない。
玲央菜。
あの家の姉。
遥を“壊すこと”に何のためらいもない、あの残酷さ。
あれに惹かれたのは、本当だ。
綺麗だと思った。
怖かった。
だから、命令には逆らわなかった。
でも、それが「好き」ってことなのかは……今は、よくわからない。
ただ、玲央菜は、俺の中で“神様”だった。
理屈じゃなくて、形でもなくて。
「これをしろ」「あれはダメ」って言われるたび、
“何も考えなくてよくなる感覚”があった。
従っていれば、そこには秩序があった。
どんな理不尽でも、“従う側”には痛みがなかった。
──あのときの俺には、それが必要だった。
遥は、ちがう。
ずっと、ちがってた。
あいつは、壊れることに慣れていた。
最初から、黙って潰されるようにできていた。
声を上げない。
抵抗もしない。
逃げもしない。
それが気味が悪かった。
最初は、近づきたくなかった。
だけど──気づいてしまった。
玲央菜が「命令」するとき、あの弟は一瞬、目を伏せる。
黙ってるくせに、感情がある。
痛くないふりをするくせに、たまに指が震えてる。
それが、気になって仕方がなかった。
(泣かないんじゃない。泣かない“ようにしてる”だけなんだ)
そう思ったとき、
なぜか──腹の奥がざわついた。
見つけてしまった感じ。
秘密を握ってしまったような、優越と背徳。
そこから、だった。
見たいと思った。
どこまで壊れるか。
どこまで演じるのか。
誰にも見せない“本当”を、自分だけが見られたら……って。
だから──玲央菜が「やれ」と言ったとき、
従いながらも、自分のやり方でやった。
言葉は選んだ。
タイミングもずらした。
完全には、玲央菜の指示通りには動かなかった。
玲央菜はそれに気づいていない。
たぶん、興味もない。
でも、遥は気づいてたと思う。
「……バレたくなかったんだよな」
ベランダの手すりに額を押しつけて、吐き出すように呟いた。
何に?
誰に?
何を?
──自分でもよくわかっていない。
ただ、
遥が自分を「敵」だと思ってることも、
「味方」だとも思ってないことも、わかってる。
なのに、今さら──
“あいつの中で、俺だけは特別だ”なんて思いたくなる瞬間が、
たまに、ある。
だから、守るようなことをしてしまう。
だから、関わってしまう。
だから、戻れなくなる。
(壊してるのは、俺のほうかもしれない)
そう思った。
玲央菜は、たぶん、俺が遥に執着してると思ってる。
“恋”だとか、“庇ってる”だとか、“甘やかしてる”だとか。
──ちがう。
そんな綺麗なもんじゃない。
たぶん俺は、“自分の存在を、あいつの地獄の中に食い込ませたいだけ”。
壊すことはできない。
壊したくもない。
でも、“あいつの地獄の風景の中に、俺がいなきゃ嫌だ”。
そういう、
とても情けなくて、
執着とは言えないような──でも、どこかで“欲”の混じった。
そんな感情。
煙草を折って、ポケットに戻す。
部屋の奥では、あの弟が小さく寝返りを打った気配がした。
静かだった。
穏やかに、見える。
でも、きっと──夢の中でも、耐えてる。
明日、家に戻るらしい。
「それしか選べねぇだろ」って言い切ったあの目が、今も残っている。
(壊れるなら、俺が見てる前で壊れろよ)
そう思った。
“守る”んじゃない。
“見届ける”でもない。
“壊れたことにして、終わらせるな”。
──それだけだった。
明日も休む。
学校に行けば、あいつがまた潰されるのはわかってる。
でも、止める気はない。
止めたところで、何も変わらない。
だから俺はただ、
あいつがもう少しだけ壊れずにいるように、
ギリギリのとこで、踏みとどまらせるだけ。
それが、「俺の役目」なんだと思ってる。
たぶん、それを聞いたら──玲央菜は笑うだろうな。
(おまえ、壊れてんのはどっちだよ)って。
……わかってる。