結葉が火を止めながらトースターをチラリと見て、「あ。パン皿」とつぶやいたら、想がすぐさま百均の買い物袋の中から皿の包みを解いてくれて、何も言わずに洗ってくれる。
「想ちゃん、有難う」
結葉が思わず言ったら、「俺も食うんだ。作ってもらった恩義もあるし、礼には及ばねぇよ」とニヤリと笑って。
パン皿を洗い終えた想が、スッと手を伸ばしてシンク横上方のタオル掛けから白い布巾を手にしたのを見て、結葉は(あれが食器拭き用の……)と思った。
結葉は、想が皿にトーストを載せてくれるのを横目に見ながら、昨夜芹が仕舞ってくれた小鳥柄のマグカップを二つ、棚から取り出す。
そのついでに、玄米茶が入っていたストッカーから紅茶の入った容器を取り出した。
そこでふとストッカーの上に置かれたコーヒーメーカーに気が付いて。
「ね、想ちゃん、紅茶で平気?」
恐る恐る聞いたら「ん。俺は何でもいいぞ」と柔らかな声が返ってくる。
想のその応えに、〝でも〟と思った結葉だ。
「想ちゃん、珈琲の方が好きなら私、そっちでも全然問題ないよ?」
もちろん紅茶は大好きだけど、考えてみたら昨日からずっと結葉の好みに合わせてもらっている気がして。
コーヒーメーカーが比較的使いやすいところに置いてあるということは、想は珈琲派なんじゃないかと思ってしまった。
「あー、じゃあさ。次淹れるのは珈琲にしようぜ。――とりあえず今回は紅茶で」
きっと、結葉がお湯を沸かして、紅茶の容器を手にしていたから、想は気を遣ってくれたんだろうな、と思ってしまった結葉だ。
「想ちゃん、いつもごめんね」
思わずしゅん……として謝罪した結葉に、「何で謝んだよ?」と想が不機嫌な顔をする。
「だって……何だかいつも私に合わせてもらってる……から」
オロオロと視線を泳がせながらそう言ったら、「俺とお前の仲だぞ? 嫌なら嫌ってちゃんと言うわ。気ぃ遣い過ぎだ、バカ」と軽く頭を小突かれた。
「それに俺、『ごめん』って言われるぐらいなら『ありがとう』って言ってもらえる方が嬉しーんだけど?」
そう続けられて、間近でじっと見下ろされた結葉は、想との距離があまりに近いことにドキドキしながら「あ、りがと……」とつぶやいた。
昔からだけど、想は時々とっても距離感がおかしくて、結葉は奇襲攻撃を受けたみたいにドキドキさせられてしまう。
想に恋心を抱いてからは特に。
***
「行ってきます」
玄関先。
想が名残惜しそうに結葉を見つめて。
結葉は「行ってらっしゃい、想ちゃん!」となるべく明るく感じられるように笑顔を浮かべてハキハキと見送った。
玄関扉を開けて一歩外へ出た想が、そこで後ろ髪を引かれたみたいに立ち止まって「あ、あんな結葉」と振り返る。
結葉は「ん?」と小首を傾げて想を見つめた。
「もしっ、もしも何かあったら遠慮なく俺に電話――」
物凄く不安そうな顔で自分を見つめてくる想に、結葉は一歩踏み出すと、彼の唇を人差し指でそっと押さえた。
「想ちゃん、私、大丈夫だから。そんなに心配しないで?」
言って、「偉央さんはもう私を連れ戻す気はないんでしょう?」と想の顔を見上げる。
想は「……ああ」とつぶやいて結葉をじっと見下ろすと、「本当に大丈夫なんだな?」と念押しをした。
結葉はニコッと微笑むと、
「雪日もいるし大丈夫よ」
言ってから、「でも……」とソワソワする。
想が「でも、何?」と落ち着かない様子で眉根を寄せるから、結葉は慌てて手を振った。
「あ、あのっ。不安とかじゃないの。ただ、その……まださすがに一人ではお出かけする気にはなれないから……想ちゃんのお仕事が終わったら一緒に食材を買いに行けたらなって思って。何時くらいになりそうかなって」
材料がほぼ尽きてしまっている現状では、夕飯を作りたくても作れない。
それに、米すらないのはやっぱり不便だ。
「ああ、何もねぇもんな、うち」
そこでハッとしたように結葉を見つめると、想が「昼飯……」とつぶやいて呆然とする。
「あ。お昼! ごめんね。材料があったら想ちゃんにお弁当作りたかったんだけど」
その予定も総崩れしてしまう有様だった。
結葉がしゅんとしたら想が「いや、俺のじゃなくてお前の」と心底申し訳なさそうな顔をする。
「俺、昼に戻ってくるから。それまで待てるか?」
聞かれて結葉はキョトンとする。
「想ちゃん、まだ食パンが一枚余ってるし、私のお昼は何とかなるよ?」
言ったら「馬鹿! そんなんじゃ栄養偏るだろ!」って。
(それ、店屋物ばかり食べてる想ちゃんが言う?)
と思ってしまった結葉だ。
「一食ぐらい平気よ?」
「毎食ちゃんと食べていなかった想ちゃんの方がよっぽど心配なのに」という言葉を飲み込んで結葉が言ったら「ダメだ」と想はにべもない。
「とにかく! 昼に一回戻ってくるからそのつもりでいろよ?」
そこでパッと壁の時計を見て、慌てたように
「行ってくる! 鍵、ちゃんと閉めとけよ⁉︎」
今度こそ慌ただしく想が出て行った。
ここは二階なので想が数段飛ばしで階段を降りているのであろうバタバタ言う音が聞こえてきて。
結葉は内心
(想ちゃん、落ちないでねっ?)
とソワソワした。
***
洗濯を済ませてベランダの物干し竿に干して……。
想のボクサーパンツに触れるときはちょっぴり照れてしまったけれど、そこはそれ。
主婦として毎日偉央の下着を扱ってきた経験値がある。
(下着なんてどれも同じ、きっと同じ、何てことない)
心の中でそう唱えながらそそくさと処理していった結葉だ。
ついでに自分の下着もどこに干そう?とやたら迷ってしまって。
結局タオルでぐるっと周りを取り囲んでから、コッソリ部屋の片隅に干させてもらった。
(想ちゃんに見られる前に乾くかな)
それを狙うなら外に干したほうがいいのは分かっていたけれど、それはそれで抵抗があって出来なくて。
一緒に暮らしていくのなら、そういうあれこれはどうしても避けては通れないと分かっていても……やっぱり最初は照れくさいものだ。
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