一体こんなもののどこがいいのだろうか、阿部には全く理解できないそのベッドサイドランプは、真っ暗な部屋の中で枕元のあたりだけをショッキングピンクに染めていた。
ファブリックシェードを通して差すそのピンク色は、趣味が良いとはお世辞にも言えない代物だった。というか、そもそもこんなのどこで手に入れるのか、阿部には皆目検討もつかない。
ただ、今自分の身に降り掛かっているこの状況には、ショッキングピンクがマッチし過ぎていて、不思議な気分になった。
「ね、も、むり…」
「そんなこと言わないで。阿部ちゃんも、もっとヨクなれるよ?」
白旗を上げる阿部のことなどお構いなしで、目を細めるラウール。 恍惚とした表情で、こちらを見下ろしてくる。
「っぁ、……な、ならなくて、いい、からっ!」
内腿を撫でられて一瞬うろたえたものの、阿部も負けじと精一杯の毅然とした態度でラウールを制した。
何がもっとヨクなれる、だ。
どこでそんなの覚えてきたのか、彼の成長が嬉しい気持ちと、寂しい気持ちと、この状況が恥ずかしいのと、ドキドキするのと、色んな感情がない混ぜになってわけがわからない。
そう思っていたら、不意に目頭が熱くなった。
「阿部ちゃんどうしたの!? 泣かないで」
「泣いてなんか…っ」
ない、わけなかった。
次から次へと、なぜか涙が溢れてくる。
「やだ…、なんかいやだ」
可愛くて可愛くて仕方なかった末っ子が、みるみるうちに大人になって、男らしくなって、見たことのない顔をしているなんて。
額に汗を浮かべ、ギラギラした雄の顔。ピンク色に染められたそれは、まるで知らない人みたいで。脳が思考を拒否してくる。
「阿部ちゃん…」
ラウールの指先が、阿部の頬に触れた。そのまま、そっと頬を濡らす雫を拭われる。
阿部は暗がりで力なくラウールを睨みつけて、唇を噛んだ。
泣いている自分が馬鹿みたいで、どうにか泣き止もうとするけど、どれだけ必死になっても結局ラウールの指先を濡らす以外のことができそうにない。
おろおろ心配そうな表情が、やっと阿部のよく知るラウールで少し安心した。
こんなはずじゃなかったのに。
それはもちろん、色んな意味を込めて、そう思う。
数ヶ月前から始まった、自分たち二人の関係。
いつものように甘えるみたいに、けれど真剣な様子で、ラウールから告白された。彼はもともと可愛い可愛い末っ子だったから、阿部はほとんどほだされるみたいに、その告白を受け入れてしまった。
ただし、それでも一線を越えることなく、ここまできたのだ。
阿部にはなんとなく罪悪感があったし、ラウールを俗っぽいものから守りたいと思っていた。そして何より、自分の中の、欲の部分を知られるのは怖かった。
「ねえ、阿部ちゃん、…大丈夫だよ」
じっとこちらを覗き込む、真剣なラウールの瞳。長い睫毛の生えた大きな瞳の、キラリと輝く煌めきが、阿部の何もかもを見透かしている気がして落ち着かない。
阿部はバツが悪そうにちらちら視線を彷徨わせたあと、両手で目元を覆うことで、どうにかラウールの瞳から逃れることに成功した。
指の隙間から、閉じた瞼を照らすショッキングピンク。
ラウールの痛いくらいの視線だけが感じられた。無理に両手を引き剥がそうとする気配はない。
静かになった室内には、時計の音だけが響いていた。
阿部は何だか頭がくらくらして、二人の間の沈黙が、どんどん自分を支配していくような気がした。
認めたくなかった、否、認められるはずがなかった。
阿部はラウールがどれだけ自分たちの年の差を気にしているか知っていた。そして同時に、自分がラウール以上に10歳という年月に敏感になっていることにも気付いていた。
確かに、ラウールは歳の差を気にはしていたけれど、それは阿部が事あるごとに彼を子ども扱いするからで、そうじゃなければ、ラウールの愛情は既に10年やそこらの歳の差なんて超越していた。この期に及んでじたばたしているのは、間違いなく阿部の方だった。
「大丈夫だから、ね。泣かないで」
と、ラウールの言葉が胸の中に落ちてくる。大人びて、若い強さに溢れたその声。
「何が」
こちらの方が子どもになったみたいで悔しくて、抑揚のない声で聞き返す。
「阿部ちゃんが心配してることなんか、全然何でもないことなんだよ」
この子は、とても賢い子なのだ。
賢くて、頼もしくて、素直で可愛い、グループの自慢の末っ子で、でも阿部にとってはもうそれだけじゃない。
その目に見つめられたら心臓が爆発しそうなくらいドキドキして、男らしい横顔からは目が離せなくて、大きな手のひらに触れられるだけで自分が自分じゃなくなってしまうくらいに、全部が魅力的で。どうにかなってしまいそうだと、何度思わされただろう。
「だからそんなに可愛くしないで」
「何言ってんの…っ」
可愛い、なんて、簡単に言わないで欲しい。そんな感情は間違っているのだと、何度も言っているのに。
まるでラウールは全てお見通しだった。ラウールから「可愛い」と言われるたび、心のどこかでほっと安堵している阿部のことを。
そうだ。こうなってはいけない、と何度も自分に言い聞かせていたにも関わらず、いつの間にか欲しがっていたのは紛れもなく阿部の方だった。
一線を越えてしまったら、もう戻れなくなるとわかっていたのに。
おかしなショッキングピンクのせいで何もかも台無しになった。もう何もかも、ショッキングピンクに奪われてしまったのだ。
阿部はどうしても不安だった。ラウールが自分に「可愛い」を求めているのなら、自分は一体いつまで可愛くいられるのだろう。もしも 可愛くなくなってしまったら、その時はどうなるのだろう、と。
「阿部ちゃん」
顔を覆っていた両手を優しく解かれて、頬に口付けられる。左右どちらにも、軽い音を立てて唇が触れた。
「知ってる? 俺の可愛いの基準は全部、阿部ちゃんなんだからね」
言われて、阿部は何か言い返したかったが、言葉にならなかった。ラウールに口を塞がれてしまったせいだった。
やっぱりなんとなく悔しくて、一瞬抵抗を試みるも、どうせこちらが考えていることはラウールにとって「全然何でもないこと」で済まされるのだと思うとバカバカしくて、阿部はおとなしく両腕をラウールの背中に回すことにした。
「ね、ラウ、俺上がいいな」
唇が離れるなり言ってみる。案の定きょとんとするラウール。
「え、やだよ俺…ていうか、阿部ちゃんのが可愛いし、だから…」
「そういう意味じゃないって」
「へ? え? …ええ!?」
シーツを引っ張ってもそもそと上下交代しようとする阿部を前に、ラウールが口をぱくぱくやっている。押しは強いけれど、押されるのには弱いのだろうか。急にドギマギし始めたラウールの様子に気が付いた阿部は、きゅっと目尻を上げてペロリと舌を出してみた。
こうなったら、見てろよ。
ショッキングピンクの光の中で、二つの影が揺れた。
「覚悟しろよ?」
「う、わ…。それはかなり嬉しい覚悟過ぎるって」
鼻息荒く拳を握ったラウールに、阿部は思わず吹き出してしまった。
さんざん自分を悩ませていた可愛いという言葉を、そのままラウールに返してやりたくなる。
「阿部ちゃん、大好きだよ。阿部ちゃんが、一番可愛い」
「うん…」
そっと目を閉じたラウールの唇に自分のそれを重ねて、指と指とを絡める。
「ラウ、これからが本番だよ?」
翌日阿部は、あの趣味の悪いベッドサイドランプを粗大ごみに出してやった。
コメント
7件
なんか色々最高すぎて頭パンクしそうかも🤍💚
色っぺぇ そして意味分かってないからまた明日読むw
ランプごみになってて😂 話のオチ最高でしたw