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第三十八話「共同戦線」
陰須磨町の静かな夜に、バイクのエンジン音が鳴り響く。法律を無視したスピードで走るそのバイクの主には、通常では考えられない特徴がある。
彼には――――頭部が存在しなかった。
俗に言う、首なしライダーと呼ばれる存在である。
夜な夜な、事故で頭部を失ったバイク乗りが首がないまま走り回るという都市伝説だ。これもまた何十年も前の都市伝説で、やはり今の時代にはにつかわしくない。
首なしライダーは高速で町を駆ける。この姿は既に何人もの人に目撃されており、陰須磨町では夜に首なしライダーが出るという噂がかなり広まっていた。
この町では、噂が伝播し続けている。
かつて日本のどこかで語られていた怪異達の噂が、この町の中で爆発的に広がっているのだ。首なしライダーもその内の一つで、ここ最近になって突然現れ始めた怪異だ。
そして広がっているということは、当然彼らの耳にも入る。
突如、首なしライダーはその動きを止めた。
まるで見えない何かにバイクごと囚われているかのようで、ほとんど身動きが取れない。強引にアクセルを踏んで突っ切ろうとすると、突如そのタイヤに鋭い刃物が刺さる。
手裏剣だ。
そして首なしライダーの正面には、不敵に笑う甘いマスクがあった。
「速度違反だよ。そこで止まりな」
「そうッス! 速度違反は良くないッス!」
番匠屋瑠偉。陰須磨町のゴーストハンターの一人である。
横に並び立つのは度会准。瑠偉の助手であり、見習いゴーストハンターだ。
「おたく、ずっと同じコース走ってたでしょ? 未練か? おかげでレースなんてしなくても、簡単に捕まえられて助かったよ」
首なしライダーが走るコースは常に同じだ。
首なしライダーの噂を聞き、除霊の依頼を受けた瑠偉はまず首なしライダーの目撃証言を集め、彼の走行ルートを特定する。そして地図上に首なしライダーのルートを完全に書き込めるようになったところで、彼の持つ霊具……霊刀邪蜘蛛によって罠をしかける。
「それ、いつもよりたっぷり霊力込めてあんのよ。お前みたいなのじゃバイクなしで突っ切るのは無理だよ」
「そうッス! 無理ッス! 諦めるッス!」
瑠偉はもがく首なしライダーを見ながらしばらく邪蜘蛛を手元で弄んだ後、ゆっくりと歩み寄っていく。
「それじゃ……詰みで」
しかし首なしライダーに対して邪蜘蛛を振り上げた瞬間、瑠偉は異様な気配を感じて動きを止める。
「……なんだ?」
そして次の瞬間には、首なしライダーは正体不明の黒いモヤで包み込まれていた。
「……!?」
瑠偉は思わずバックステップで距離を取り、黒いモヤを注視する。
「どういうことだ……?」
「お、俺にはよくわかんないッス! 黒いモヤにしか見えないッス!」
「……だよな。まずいね、俺もだ」
「えぇ!?」
力のある霊能者にとって、黒いモヤに見える霊というのはあり得ない存在だ。准は腰こそ低いが、霊視がまともに出来ない程能力が低いわけではない。
「……マジかよ」
黒いモヤが、首なしライダーを喰らい尽くす。いつの間にか首なしライダーはバイクごと姿を消し、そこにはモヤだけが残っていた。
そこで、瑠偉はあることに気がつく。
「……こいつ、邪蜘蛛の糸まで飲み込みやがった」
瑠偉の張った罠は、邪蜘蛛から出る霊力の糸だ。これは相手を捕らえる力を持つ蜘蛛の糸で、瑠偉の霊力と邪蜘蛛の霊力を組み合わせて生み出しているものだ。
この黒いモヤは、悪霊を飲み込んでいるというよりは霊力を飲み込んでいると言えるだろう。
得体の知れない黒いモヤに、瑠偉は緊張感を高める。
どう来る? 何が目的だ? 思考を巡らせても答えは出ない。情報がないのだ。
次第に、黒いモヤに不気味な顔が浮かび上がる。真っ黒な目をギョロリと動かし、ソレは顔の下半分を占めるほどに裂けた口をゆっくりと開いた。
「あ……し……い、る……か」
「……ッ!」
聞き覚えのある言葉に、瑠偉は目を見開く。
そして黒いモヤは、ゆっくりとその場から消えていった。
「……先生、今のは……」
「ああ、相当まずいぞ」
ゴクリと。瑠偉は生唾を飲み込む。これがもし瑠偉の想定通りなら、この町はいずれとんでもないことになる。
「殺子さんだ」
***
「カシマレイコ?」
露子達の前に黒いモヤが出現した翌日、露子の話を聞いていた絆菜がそう問い返す。
「そ。アンタの言う、殺子さんの別名とも言えるわ。むしろこっちが源流かもね」
黒いモヤと遭遇した後、すぐに露子は殺子さん、そしてカシマレイコに関する調査を始めた。
足いるか。という問いは、カシマレイコと呼ばれる怪異がするものとされている。
「なるほどな。だがかつてこの町で流行ったのは殺子さんだったぞ」
「らしいわね」
「ふ……お前はまだ小さかったからな」
「親戚みたいなコメントすんな!」
実際、陰須磨町で殺子さんの噂が広まったのはまだ露子が幼い頃だ。浸や絆菜は知っているだろうし、和葉も世代かも知れない。
カシマレイコという怪異には異様なまでの派生パターンが存在する。
「単純にカシマレイコ、カシマさん、チシマレイコってこともあるし、カシマ様って呼ばれることもある。あとは漢字が当てられてることもあるわね」
この怪異の特徴は、話を聞いた人間の元に現れることだ。パターンによって異なるが、夢の中であることが多い。そしてこれらの怪異は現れた時、相手に対して何かしらの問いかけをする。
それに答えられなかった場合、或いは答えを間違えた場合、パターンによって違いはあるものの必ず酷い目に遭うことになっている。
手や足を奪われたり、硫酸をかけられたり、連れ去られたり、殺されるパターンも少なくはない。
「足いるか、か……。確か正しい答え方があったな」
「今使ってます、とかそんなんでしょ。あとはこの話を誰から聞いた? って聞かれることも多いみたいよ」
「……そういえば八王寺が言っていたな。殺子さんの噂もまた広まっている、と」
あの時は准からの依頼もあり、ひきこさんから調査を始めたが、既にあの時点で殺子さんの噂は広まりつつあったのだ。
「……だが妙だな。今までのパターンなら、噂に合わせて霊が変質していただろう? あのモヤは何か違わないか?」
「そこなのよね……。なんであんな状態で出てきたのかしら」
本来なら、噂で語られる姿に合わせて殺子さんとしての姿で出現するハズだ。しかし今回は、黒いモヤとして現れた。
「……あまり考えたくないけど、あたし達の霊力じゃまともに霊視出来なかったってこともあり得るわね」
「なくはない、か……」
深刻な表情で話し合っていると、突如事務所のドアが開く。
「まあでも、和葉ちゃんなら見えるんじゃない?」
露子と絆菜の会話に、突如割って入ってきたのは瑠偉だ。
いつの間にか雨宮霊能事務所に入ってきていた瑠偉は、ソファに腰掛けて一息つく。その横にはピシッと背筋を伸ばした准もいた。
「……お前か。帰れ」
「つれないね。ていうか雨宮さんは? こないだのお礼を言いに来たんだけど」
「何スかその態度は! いくら赤羽先輩でも先生への無礼は見過ごせないッス!」
そっけない態度を取る絆菜に、准は怒鳴り散らしたが絆菜はどこ吹く風だ。まるで気にもとめていない。
「浸なら今いないわよ。あと、和葉も入院中」
絆菜の代わりに露子がそう答えると、瑠偉は目を丸くする。
「怪我?」
「そう。ていうか、浸いないんだから帰りなさいよ」
「まあそう言うなよ。殺子さんの話、俺にもさせてよ」
瑠偉がそう言った途端、露子も絆菜も顔色を変える。
「今聞いてた感じだと、おたくらも会ったんでしょ? あのモヤに」
「……ええ」
「なるほど。つまりおたくらにもアレはモヤに見えたわけね」
ふむふむとうなずき、瑠偉は一息ついて見せる。
「俺もおたくらも、勿論准も霊力は低くない。俺としては、アレは見えなかったんじゃなくて最初からモヤだったって考えてるよ」
「最初から不定形の存在ということか?」
「そゆこと。まあこの辺は和葉ちゃんの意見聞きたいところだけどね」
瑠偉の言葉に、絆菜はなるほどな、とうなずいて見せる。しかし露子は、納得いかなさそうに顔をしかめていた。
「じゃあ何? 思念体だったとでも言うわけ?」
「……あり得るね。とは言っても、あの密度の思念体はそうそうないけど」
霊は基本的に生前の姿がベースとなる。これが悪霊化することで変質するのだが、思念体の場合は違う。
人の負の感情が寄り集まって出来た思念体は、決まった形を持たない。黒いモヤとして出現したことも、思念体だと考えれば説明はつく。
「兎にも角にも、相当まずいよ今。ほんとにアレが殺子さんの類なら、必ず被害は増える」
既に今、陰須磨町では相当な数の怪異がうろついている。そのどれもが人間に対して攻撃的であり、凶暴だ。
「そーゆーわけでさ、俺から一つ提案があるんだけど」
「……何よ」
ぶっきらぼうに露子が答えると、瑠偉は不敵に笑って見せる。
「俺達と協力しない? 今回の件、流石に個人個人じゃ無理がある」
「意外ね。アンタ、基本は依頼以外じゃ動かないって和葉から聞いてたけど」
皮肉っぽく言う露子だったが、瑠偉は笑みを崩さない。
「まあね。でもさ、このまま野放しにしておくと、その内依頼も受けられなくなっちゃうワケだろ? 解決は早い方が良い」
「そうッス! 流石先生ッス! 最高! 最強ッス!!」
またしても紙吹雪を散らかしながら、准は大はしゃぎで瑠偉を褒め称える。しかし途中で絆菜に睨みつけられ、准は慌てて紙吹雪を片付け始めた。
「どう? 悪い話じゃないだろ?」
瑠偉の提案に、露子は雨宮霊能事務所の代理所長として考え込む。
真島冥子の出現、増加し続ける怪異。そしてあの黒いモヤ。迂闊に信用出来る相手ではないが、情報はなるべく多い方が良い。
「……わかった。ただし、あたし達の邪魔はしないでよね」
「ああ、約束するよ。ていうかそれ、お互い様だしね」
ソファから立ち上がり、瑠偉は右手を差し出す。露子はしばらく躊躇していたが、やがて諦めてその手を握った。