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その蔵の隅には塩が盛られていた。
入り口は固く封鎖され、外側にも内側にも御札が張られている。
少年はその蔵の中で一人、お守りを握りしめて震えていた。
蔵の周囲は霊滅師によって警護されている。その内の一人は少年の姉で、かつて実力を霊滅師協会に認められた凄腕の霊能者だ。
対策は万全で、あとはやり過ごすだけだ。
そう、それだけのハズなのに。
少年の震えは一切止まらなかった。
あの真っ黒な双眸を思い出すだけで身の毛がよだつ。自分を見下ろすあのモノトーンの怪物が、今もくっきりと脳裏に焼き付いている。
不気味な半濁音の幻聴が、鼓膜から離れない。
「……大丈夫……大丈夫……」
痛みを覚える程にお守りを握りしめて、少年は言い聞かせるように呟いた。
***
「しかし聞いたことねえぞ。この地域に出るなんて」
少年のいる蔵を警護しながら、青いレインコートの男がぼやく。しとしとと振り続ける雨を鬱陶しそうにみやりつつ、男は隣の白いレインコートの女に同意を求めた。
「そうよねぇ。最近変よねぇ、陰須磨町って」
「まあ、どうせそこらの悪霊が変異してるだけだろうけどな。だがまあ……実際に被害が出てる以上、油断は出来ねえか」
この二人は、協会から派遣された霊滅師である。二人が警護している少年は、とある怪異に魅入られ、狙われてしまっている。女の方は少年の姉にあたる人物で、実力のある霊滅師だったが、念の為に一人増援を呼んで警護にあたっている。
「ていうかこの町、城谷さんが来てるんでしょう? 結構、事が大きくなってない?」
「そういやあの人、怨霊を一匹追ってて返り討ちにあったって話だよな……。まさかそいつ、この町にいるんじゃ……」
城谷月乃は、霊滅師の間でも一目置かれる程の人物だ。高い実力と豊富な実戦経験を持つ上、名門中の名門に生まれた霊能者のサラブレッドだ。そんな彼女が一度返り討ちに遭ったとなれば、一体どんな霊滅師ならその怨霊を倒せるというのだろうか。
「……でもまあ、それよりも今は、八尺女(はっしゃくおんな)だな」
男がそう言うと、女もうなずく。
少年を狙う怪異の名は「八尺女」という。
白いワンピースに、白い帽子という出で立ちの女の怪異で、その身長は名前の通り八尺(大体2メートル半)あるとされている。
かつてある地域に出没していたという記録があり、対処方もある程度確立されている怪異だが、その強力さ故に恐れられている怪異でもあった。
「なあ苺香(まいか)……ほんとに八尺女なのか?」
「隼人(はやと)の言ってた特徴と、八尺女の特徴が一致してるもん」
少年――隼人が八尺女に遭遇したのはつい昨日の話だ。
そもそも陰須磨町では現在、不気味な噂が蔓延しており、怪異と思しき不審者の目撃も多発している。それに応じて派遣される霊滅師の数も増えてきており、ひきこさん、トンカラトン等、同じタイプの怪異の目撃、除霊報告も多発している。
八尺女もその内の一体だと言えるが、この八尺女の場合既に何人か霊滅師が返り討ちに遭っているのだ。
そのため、二人がかりでも安心は出来ない。もしもの場合を考えて、隼人を蔵に閉じ込め、伝承通りの対策をしているのである。
これなら最悪の場合、二人が八尺女を倒せずとも隼人が犠牲になる可能性は低くなる。
二人が改めて気を引き締め、八尺女を警戒していると、不意に蔵の裏の方から物音が聞こえてくる。
「……今の聞こえたか?」
「うん……ちょっと見てくる」
「気をつけろよ」
「はーい」
そう答えて、女――――苺香は慎重に物音のした方へ向かっていく。神経を研ぎ澄ませていると、強力な負の霊力を感じ取れた。
(きた……!?)
恐らく八尺女のものだろう。しかし警戒して蔵の裏を確認したものの、八尺女らしき姿は見られない。
「あれ……?」
物音に関しては気の所為だったのかも知れない。そう思ってすぐに男の方へ戻ろうと駆け出した瞬間、足元に小さなボールのようなものが転がってくる。
「……?」
白いそのボールを、雨が洗い流していく。うっすらとついたその赤が、血だと気づいた瞬間、苺香は息を呑んだ。
「ぽ」
「ぽ」
「ぽ」
「ぽ」
不規則なトーンで繰り返される半濁音が、真上から苺香に降りかかる。即座に飛び退き、苺香は目の前にそびえ立つ2メートル半の怪物を見据えた。一目でわかる、怨霊だ。
ソレの白いワンピースには、真っ赤な返り血が飛び散っている。そして肩には短剣が突き刺さっており、苺香はすぐにそれが仲間のものだと理解した。
つまり、足元の眼球は――――
「――――はっ!」
即座に腰に装備していた二つのチャクラムを持ち、苺香はソレに――八尺女へ飛びかかる。しかしそのチャクラムの刃は、八尺女へは届かない。
「霊壁……!」
だが苺香とて実力を認められた霊滅師だ。霊壁一つで太刀打ち出来なくなる程弱くはない。
「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ……」
「行くわよ」
再びチャクラムに霊力を込める。先程よりも強く、もっと強く。苺香の霊力に満ちたチャクラムは薄っすらと光を放ち、全てを切り裂く刃となる。
「霊斬光輪(れいざんこうりん)……っ!」
そして次の一撃は、見事に霊壁を切り裂く。二撃目を回避する八尺女だったが、霊壁が突破出来れば勝機はある。
「このまま仇を取らせてもらう」
苺香の霊残光輪が、八尺女を切り裂いた。
***
蔵の外で物音があってから、どれくらい経っただろうか。
隼人は感覚的に、八尺女が出現したことを理解している。聞こえていた物音も、苺香達が戦っている音だろうとわかる。
それが静まってから、もう何時間も経ったかのように錯覚してしまう。だが実際は数分のことだ。不安を紛らわせるためにしきりに携帯を見ているせいで、時間と感覚のズレだけハッキリと理解させられてしまう。不安は紛れるどころか、更に加速する一方だ。
しかし程なくして、蔵の入り口からノックの音が聞こえてくる。
驚いて肩をびくつかせる隼人だったが、聞こえてきたのは姉の苺香の声だった。
「隼人! 裕二さんが大怪我したの! 運ぶから手伝ってちょうだい!」
「……え!? 裕二さんが!?」
裕二、というのは苺香と一緒に隼人を護衛していた霊滅師だ。やはり先程の物音は戦闘の音だったのだ。
「お願い、姉さんも怪我してるから、一人じゃ運べないの!」
「わ、わかったよ! すぐ行く!」
苺香の口ぶりからして、恐らく八尺女は祓われたのだろう。その安心感もあいまって、隼人は慌ててドアを開けた。
「姉さん!」
「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ」
不規則な半濁音が、真上から聞こえた。
***
一体、また一体と悪霊を切り裂く。
どの悪霊も油断すれば命取りになる程の力がある上、使っている霊具に対しても神経を研ぎ澄まさなければならない。一瞬の油断も出来ない、綱渡りのような戦いを……雨宮浸はもう何日も続けていた。
「っ……!」
少しでも思考がブレれば、霊具の霊力に飲み込まれる。それをどうにか抑え込んでコントロールし、自分の霊力のように扱う。これが浸の修行の第一段階だ。
もう二度と飲み込まれぬよう、段階を踏んで強力な霊具を扱い、コントロールする。今使っている霊刀は、雨霧の倍近い霊力を持つ霊具だ。少しでも油断すれば、和葉を傷つけた時のように暴走しかねない。
そうして戦う浸の様子を、月乃は遠巻きに見ていた。
ここ狂山は棒立ち出来る程安全な場所ではないが、ほとんどの悪霊は霊具の負の霊力に誘われて浸の元へ集まっていく。月乃は、時折降りかかる火の粉を適当に払うだけで良い。
(……まさか、まだ伸びるなんてね)
浸を見つめながら、月乃は寄ってきた悪霊を切り捨てる。
月乃はかつて、師として浸を最大限まで育てたつもりになっていた。彼女の霊力を計り、その範囲で最大限戦えるように、と。その上でコントロール出来ると判断して雨霧を渡したのだから、公園での光景を見た時はひどく反省したくらいだった。
もう浸に伸びしろはない、そう思っていた月乃だったが、現実は違う。
大きくは伸びないにしても、少しずつ、着実に伸びていく。その結果、浸は雨霧の倍近い霊力の霊具をなんとか扱えるようになっている。
「……あの子のおかげかな、やっぱり」
和葉の顔を思い浮かべて、月乃は思わず笑みをこぼす。
弟子の伸びしろを信じてやれなかったことは悔しいが、それ以上に成長が喜ばしい。
だが、喜んでいられるのは今の内だけだ。
「……浸!」
月乃に声をかけられ、浸はチラリと視線を月乃へ向ける。
「次の段階にいくから、片付けなさい」
「……はい!」
力強くそう答え、浸は群がる悪霊達を次々と祓っていく。むしろペースが先程までより上がったくらいだ。
「このまま上まで登るけど大丈夫?」
「ふふふ……愚問ですよお師匠。私はもう、立ち止まりません!」
強がりのようにも思えたが、浸の足は実際にどんどん前に進んでいく。彼女のすぐ後ろを歩きながら、月乃はその背中に頼もしさすら感じ始めていた。
***
その社(やしろ)は、狂山山頂付近に存在する。
かつて何百体もの悪霊を祓ったとされる霊滅師、百音那由多(ももねなゆた)の霊魂が眠るこの社こそが、極刀鬼彩覇の封印された場所なのだ。
「……悪霊の姿が消えたということは……結界ですね」
「そうよ。それも私が毎晩張ってたのとは比べ物にならない程強力な結界よ」
狂山での山ごもりは過酷だ。悪霊がうじゃうじゃいる以上、テントを張って悠長に眠るなんてことは簡単には出来ない。
そのため、月乃は毎晩結界を張り、一時的に悪霊を寄せ付けなくすることで浸の休息時間を確保していた。その間は月乃が神経を集中させなければならず、浸は結界を張れないので交代することさえ出来ない。結果、狂山にこもり始めてからずっと、月乃はわずかな仮眠しか取れていないのだ。
しかし浸は浸で毎日悪霊と戦い続けている上、月乃の結界が二時間前後しかもたないこともあって満足に休めているわけではない。月乃からすれば、浸の方が厳しい状況と言えた。
余談だが、人間がたった一人で結界を二時間近く維持するのは通常では不可能である。木霊神社の結界は、複数人が交代で張っているのだ。
「では、ここにも結界を張っている方が?」
浸がそう問うと、月乃は首を左右に振る。
「いいえ。生きた人間はいないわ」
「……意味がわかりかねます」
「この結界は、百音那由多の霊魂そのものよ」
月乃の言葉に、浸は息を呑む。
「鬼彩覇と共に眠る百音那由多の霊魂が、この地に結界を張ってるってこと」
途方もない話だ。
霊魂とは必ず淀み、悪霊化する。それはどんな霊魂でも例外ではない。
「まあ、結界はちょっと良い言い方をし過ぎたかな。正確には、高位の怨霊がここに住み着いているせいで低級の悪霊は近寄れないって方が正しいわ」
「……なるほど」
そう説明されるとなんとか理解出来るが、途方もない話であることに変わりはない。
「さあ、入るわよ」
月乃に促され、浸は社の中へと入っていく。
戸を開けると、地下へと続く階段があった。
薄暗い階段を降りていくと、開けた場所に出る。設置してある四つの蝋燭に月乃が火を灯すと、最奥にある祭壇が見えてきた。
飾り気のない古びた祭壇の上には、抜身の大太刀が置かれている。
「これが……」
その長さたるや、普通の刀の比ではない。浸の身の丈程もある大太刀だ。その上、刀身は異様に太い。これではまるで西洋の大剣だ。
「そう。これが極刀……鬼彩覇」
刀身が僅かに、妖しい光を放ったように見えた。