テラーノベル
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クリスマスを過ぎているからたいして混んではいないと思ったが、六時を前にしてメイン会場の通りには人が集まり出していた。イルミネーションイベントが始まってもう一週間はたっているはずだが、やっぱり点灯の瞬間というのは格別なのかもしれない。
「とりあえず、この通りの向こうまで行ってみる?それでまた戻って来るってのはどう?」
「そ、そうね」
相変わらず私の手を離さない理玖の手に落ち着かず、指を伸ばしたり曲げたりともぞもぞと動かす。
理玖はくすっと笑い、私を諭すように言う。
「はぐれないように、ちゃんと手を繋いでいようね」
まったくどちらが年上なのか分からない。私は苦笑しながら頷いた。
ぶらぶらと通りを歩き、会場の端の方まで行く。まだ灯りはつかない。くるりと向きを変えて引き返そうとした途端、理玖が足を止めた。
「どうしたの?」
「そろそろ点灯かな、と思って」
ポケットから取り出したスマホにちらと目をやる。
「あの辺で待とうよ」
私の手を引いて人と人との間を縫うようにして移動する。とある企業のビル前まで行き、そこの壁を背にして立った。
「間もなくだね」
理玖の目は、前方に立ち並ぶ、電飾が巻き付けられているはずの大木を向いていた。
私もまた彼の視線をたどって前方に目をやり、その瞬間を待つ。
しばしの後、光を纏った木々が現れた。それよりやや遅れて周りでどよめきが起こる。ぱっと明るくなった一帯には、きらびやかな世界が眼前に広がっていた。
「わぁ、綺麗……!」
ロマンティックな光景にうっとりする。この感動を共有したいと思い、私は隣の理玖を見た。
本当だね――。
短いひと言が聞こえたと思った次の瞬間、目の前が暗くなった。どうしてとその原因を確かめようとした時には、そこに理玖の顔があり、唇には柔らかな感触があった。
不意打ちのキスだった。
驚きのあまり数秒間ほど呼吸を忘れてしまう。見開いた目に理玖の照れた顔が映った。空気は冷たいのに、全身がカッと熱くなる。動悸も激しい。私はかろうじて声を絞り出す。
「こんなことするなんて、何を考えてるの。周りにはたくさん人がいるのに……」
ところが私の文句に理玖はにっと笑う。
「まど香さんが可愛すぎるのがいけないんだよ。それに、どうせみんな上ばかり見てるし、そもそも俺たちのことなんか誰も気にしていないよ」
「か、可愛いって……」
動揺しまくりの私を見て、理玖は苦笑する。
「せっかくだから、もう一か所付き合ってもらっていい?」
返事を聞くより先に私の手を引いたまま、彼は駅の方へ向かって歩き出す。
「ちょっと待って。どこに行くの?」
「夜景が綺麗に見える場所」
「夜景?」
「駅近くのビルに展望フロアがあるんだって。帰る前に見たいと思ってさ」
イルミネーションを背景に理玖の唇が動くのを見て、先程のキスを思い出す。
あの唇が、私の唇に――。
その時の感触がありありと思い出されて、どきどきする。しかし、あれは周りの雰囲気に飲まれた結果の事故のような、あるいは気まぐれ的なキスだったに違いないと、自分に言い聞かせる。そう理由付けすることで、ずっと抑え込もうとしてきた理玖への気持ちが大きく膨れ上がりそうになっている自分を止めたかった。
私が黙り込んだ理由を疲れたせいだと思ったのか、理玖は気遣うように訊ねる。
「ここから少し歩くけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫よ」
ここでもう帰りたいと言えば、理玖はいいよと言ってくれただろう。けれど、彼への気持ちをこれ以上育てたくないと思うのに、もう少し彼とこうして過ごしたいと矛盾したことを思ってしまった。
イルミネーションを後にして、私たちは手を繋いだまま目的のビルへと向かった。十五分ほど歩いただろうか。ある高層ビルの前で理玖の足が止まる。
「着いた」
「ここ?」
「うん」
確かそこは、S市のランドマーク的な高層ビルの一つだ。春から就職する予定の会社がこの辺りにあって、就職活動中近くまで来ていたものの、このビルには立ち寄らなかった。
「行ってみよう」
ビル前の階段の手前で、繋いでいた理玖の手が離れた。それまで温かった手が、冬の冷気のせいで急にひやりとする。
自動ドアを通って少し行った先にエレベーターが何基かあった。そのうちの一つが、最上階まで一気に登るための専用エレベーターとなっているらしい。
その前で待つことしばし、エレベーターが到着した。他にも乗客が数人いたため、私たちは奥まった方に乗り込み、彼に寄り添うように立つ。彼の腕に肩が触れて、エレベーターが到着するまでの間、私の胸はどきどきしっ放しだった。
目的の階に到着し、他の乗客たちの後に続いてエレベーターを降りた。
広々としたフロアだ。壁側とガラスに近い場所の数か所に、観葉植物とベンチが置かれている。下に向かうエスカレーターがあり、その階には飲食店が入っているようだ。
夜景がよく見えるようにするためか、照明の明るさが絞られている。一面ガラスの向こうに真っ暗な空が見えた。ガラスの前まで近づいて行き、思わず声が洩れる。
「うわぁ……」
この街の夜景が広がっていた。地元よりも煌めいて見えるのは建物が多い大都市だからだろう。
眺望を楽しんでいる私に、理玖が声をかけてよこす。
「ベンチがあるよ。あっちに座ろう」
理玖の後に続いて一番端にあるベンチまで行き、腰を下ろす。
席には余裕があるというのに、彼はわざわざ私のすぐ隣に座った。
「ねぇ、もう少しそっちに行ってほしいんだけど。余裕あるでしょ」
「家庭教師で来てる時は、いつもこれくらいの距離じゃなかった?」
「うそよ。もっと離れてる」
「そうだったかなぁ」
理玖はくすっと笑ったきり、動こうとしない。
私はため息をつき、自分が動けばいいやと尻の位置をずらす。ベンチ脇にある観葉植物の葉が耳に触れてくすぐったい。
人一人分距離を置いた私を見て、理玖は苦笑する。
「もっと近い方が話をしやすいんだけどな」
「話なら、今度聞くわ」
理玖の顔に苦笑が浮かんだ。
「次って、家庭教師の日?年明けになっちゃうし、家だと話しにくいんだよ」
「それなら、どこかお店に入ろうか?この下の階にお店が色々あるみたいよ。その方が落ち着いて話せるんじゃない?」
「いや、ここでいい。ここの方が素直に話せそうな気がするから」
「そう……?」
「まど香さん」
理玖がおもむろに私の名を呼ぶ。
落ち着いた静かな声にどきりとした。話というのは真剣な内容の事柄なのだろうかと緊張し、身構える。
「な、何でしょう」
「今日は俺と一緒にS市まで来てくれてありがとう」
「え?いえ、どういたしまして、です。……改まってどうしたの?」
雰囲気もいつもと違う。
「今回だけじゃない。前回も、俺のわがままにつき合ってくれてありがとう」
「わがままじゃないわよ。だって、テストを頑張ったらっていう約束のご褒美だから」
「そうなんだけどね。でも本当はね。それを大義名分にして、まど香さんとデートしたかっただけなんだ。だけど、『デート』っていう言葉を使ったら、まど香さんが逃げてしまうと思ったんだ。だから『ご褒美』っていう言い方をしただけなんだよ」
まるで、彼から好意以上の感情を向けられているように聞こえて、戸惑う。しかしすぐに勘違いしてはいけないと思い直した。デートという言葉は特に深い意味なく使う場合だって多い。だから、勘違いするほどの理由にはならない。
理玖は膝の前で両手を組んで、静かな声で続けた。
「前回も今日も、褒美っていう意味のただの外出じゃなかった。俺にとっては『好きな人とのデート』だったんだ」
今、彼は何を言ったのかと、呆然として理玖の顔をしげしげと見つめた。彼の苦笑が目に入る。
「分かってないっていう顔してるね。本当は、まど香さんが俺の家庭教師を卒業するまで、言うつもりはなかったんだ。だけど、今日俺の隣にいるあなたがあまりにも可愛くて、気持ちを伝えないままじゃ嫌だって思っってしまった」
薄暗い中、所々で床を照らすオレンジ色の照明に浮かび上がる理玖の表情が、やけに大人っぽく見えて鼓動がどきどきと打ち出した。
「俺の気持ちに気づいてほしくて、これまで何度も、まど香さんの気持ちを揺らすようなことを言ってみたり、態度に出してみたりもした。だけど、そういう時に見せてくれる反応は、まぁ、一般的っていうか、そんなもんかなって感じのもので、俺のことを意識してるわけじゃなさそうなものだった」
時に私をからかっているのだと思っていた理玖の態度や言葉の裏に、そういう気持ちがあったとは思わなかった。
「でも、いつからだったかな。俺といる時のまど香さんの様子が、なんとなくだけど変わったような気がしたんだ。少しは俺のことを意識し出しだのかな、って思うようなね。嬉しかったな」
理玖は笑顔を浮かべたが、何を思い出したのか、それはすぐに苦々しいものに変わる。
「うちの母親が急に出かけることになって、二人だけになった日があったでしょ?覚えてる?あの日の俺、ハグだけでよく我慢できたなって思うんだ。まど香さんが帰ってから、自分をすごく褒めてやったよ」
途中から理玖の言葉を咀嚼し飲み込むのが追い付かなくなり、頭がぼうっとしてきてしまう。
「まど香さん、聞いてる?」
理玖の不安そうな声にはっとする。
「う、うん……。聞いてる」
私の返事に理玖はほっとした顔をする。
「回りくどくなったけど、何を言いたいかというとね」
理玖は私の方へじりっと移動した。
「あなたが好きです。俺と付き合ってください」
真剣な顔で見つめられて、彼から目が離せない。私の答えを待って揺れる彼の瞳を見つめ返しながら、どう答えるべきなのかと迷った。
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