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三
着いたそこは、校舎とは別棟になっていて、高級レストランと見まごうかという立派な建物だった。地中海の国にありそうな外装で、外にはテラスまであった。中に入れば、これまた凝った内装になっていて、とても高校の学食とは思えない造りだった。
「先輩、バイキング方式みたいですよ」
女子高だけあって、野菜類が中心のヘルシーメニューが大半を占めていた。聖司は数少ない肉料理をトレイに乗せて、空いている席に着いた。
「有名なお嬢様学校だけあって、何から何まで豪華ですよね」
周りを見渡しながら、真衣香が言う。
「まあ、そうだな」
特に関心がない聖司は、食べながら相槌だけ打った。
「先輩、それ美味しそうですね」
真衣香は、聖司の皿を見た。それはチーズが乗っているハンバーグで、箸でさくと出てくる肉汁が美味しさを物語っていた。
「そうだろう。チーズの誘惑に負けてしまったんだ」
「チーズが好きなんですね。じゃあ今度‥‥」
「聖司さん」
真衣香が話を続けようとした時、仲間の部員と一緒にやってきた梨々菜が割り込んだ。
「皆さん、先に行っていてください」
「はいよ」
他の新体操部員の数人が、聖司を見て微笑んだり含み笑いをしたりしながら通り過ぎていった。悪気がないのは分かっていたが、聖司は顔をしかめた。
「中等部の写真は撮れましたか?」
「まあまあかな」
梨々菜の問いに、憮然とした表情で答えた。
「どうかしたんですか?」
「何でもないよ」
「ところで聖司さん。そちらの方は?」
梨々菜の顔を、興味深そうに見ていた真衣香の方を向いた。
「ああ。光画部の後輩で、瀬名真衣香っていうんだ」
「初めまして、瀬名さん。わたくしは聖司さんの親戚で、鏡梨々菜といいます」
真衣香は、梨々菜が差し出した手を見てキョトンとした。
「わ、私は、瀬名真衣香っていいます。よろしく」
状況を理解した真衣香は、慌てて手を出した。
「では、みんなが待っていますので。午後は、わたくしをお願いしますね」
「了解」
「それでは」
梨々菜は真衣香に向かって、女から見ても素敵だと思える笑みを浮かべると、仲間の所へ行った。
「なにを焦ってるんだ?」
「間近で見ると、本当に美人ですね。ドキドキしちゃいました。それより先輩。なんで親戚の人だって、言ってくれなかったんですか?」
「深い意味はないよ」
素っ気なく答える聖司。ただ恥ずかしかっただけで、本当に深い意味はなかった。
「私はてっきり、あの人のことを好きなのかと思いました」
真衣香は食事の手を止め、目を伏せて言う。
「梨々菜を?俺が?それはないな。第一、親戚だからな。さっき聞いただろう」
「そうですね。安心しました」
「安心?」
「い、いえ、何でもないです。せ、先輩は、好きな人っていますか?」
「なんだ。突然」
聖司も手を止めて、真衣香の顔を見た。
「い、いえ。私には、いるんですが。先輩はどうなのかなぁって。私、告白しようか迷っているんです」
真衣香は、半ば告白したことに顔を赤くしていたが、聖司がそれに気が付くはずもなかった。
「う〜ん。そういう質問には答えづらいな」
「どうしてですか?」
「俺にも好きな人がいるけど、告白出来ないままだから」
「え?」
真衣香は一瞬黙ったが、すぐに続けた。
「私と同じなんですね。苦しいですよね、こういうのって。先輩は、いつか告白するんですか?」
「そうだな。俺は、自分に自信が持てるようになるまでは、言わないつもりだ」
聖司の目には、固い決心の色が浮かんでいた。
四
体育館に戻ると、間もなく午後の部が始まった。全国常連の姫百合女学院と、今年の上位校と目される高校の三校が招待されている。その三校の内の一校である蒼翠学園高等部であったが、その中での実力は一番下だとされていた。
今回の個人戦はクラブとリボンで、まずはクラブから始まった。梨々菜は十四番目なので、聖司は出番まで見学しようとしていた。中学生の部を撮影したことで、タイミングは掴めたと高をくくっていたのだ。しかし、その考えは甘かった。中学生と高校生の演技の違いに、聖司は驚いた。
「さすが高校生は違うな」
「はい。スピードと正確性が違いますよね」
クラブを操る手さばきとスピード、決して落とすことのない正確性と、明らかに違っていた。聖司はすぐにカメラを取り出して、イメージトレーニングを始めた。
「これで大丈夫だろう」
その甲斐あって、梨々菜の番が来る頃には、だいぶ慣れていた。
「よしっ」
聖司は、気合いを入れ直して構えた。
梨々菜が中央でポーズを取ると、音楽が流れてきて演技が始まった。
「梨々菜さん。綺麗」
真衣香は魅入っていた。
今までの選手も凄いと思ったが、梨々菜の演技は更にその上をいっていた。軽く流していた練習とは違う。音楽に合わせて舞う姿は、見る者を酔わせた。高いジャンプとしなやかさ、音楽に合った見事な技のコンビネーションが見る者を惹きつけていく。
この体育館の中にいる者では、蒼翠の部員以外は誰も知らなかった無名選手が与えた衝撃は、かなりのものだったに違いない。ファインダー越しでも、その素晴らしさは伝わってきていた。
「あれは」
聖司が梨々菜を追っていたファインダーの中に、ふと姫百合の菊間千代が入った。何気なくピントを合わせると、その表情はとても厳しく、その容姿と雰囲気から感じられた柔和さは消えて、梨々菜を追う視線は鋭かった。
「おっと。そろそろフィニッシュかな」
梨々菜の決めポーズをバッチリ捉える。
「よしっ」
会心の一枚に思わず言った呟きが、音楽が止み静まりかえった体育館内で、やけに大きく聞こえた。そして一人がした拍手を合図に、一斉に鳴り始めた。お辞儀をする梨々菜を、音の輪が包み込んだ。
「梨々菜さん。凄いですね」
「ああ」
梨々菜が二人を見て、手を振ったので、軽く手を挙げて答えた。
「クラブは、次が最後だな」
「はい。次の人ってやりにくいでしょうね」
この後に演技をするのは菊間千代なのだが、それは聖司も思っていた。がしかし、そんな他人の推測は杞憂でしかなかった。千代は、梨々菜の演技を忘れさせるかのような、堂々とした演技を見せつけた。
華麗さは梨々菜の方が上と感じたが、手具の使い方は圧倒的に優っていた。クラブが、まるで手の一部であるかのような動きは、力強さと華麗さを合わせ持っていた。
「お千代さ〜ん。素敵〜」
演技が終わると、あちらこちらから黄色声援が飛び交った。千代は審判員の方を向いて礼をすると、控えの席に戻る途中、ずっと梨々菜の方を睨んでいた。それは、自分のライバルになりうるのは、梨々菜ただ一人と認めていたからだった。
「緊迫してきたな」
「はい」
今日の試合は、千代の一人舞台だと誰もが思っていたに違いないが、様相が変わってきた。引き続き一番から、リボンの演技が始まったが、クラブが始まった時よりも幾分、盛り上がりに欠けていた。観客のほとんどが梨々菜と千代の演技を心待ちにしていたからだ。 それは聖司も同じだった。
カメラマンの血が騒ぐというか、美しい被写体を撮影するということに、とてもやりがいを感じていた。しかし、二人の演技を見ることは叶わなかった。
十三人目が終わり、いよいよ梨々菜の出番かというときだった。採点を待つ選手が審判団を見ていると、けたたましいサイレンが響いてきた。
「なんだ?パトカーみたいだけど」
聖司は窓の外を見た。かなり近いし、台数が分からないほどの連続音だった。どんどん、こっちに近付いている感じだ。異常に気が付いた人達で、体育館内も騒々しくなってきた。
「なんでしょうか」
真衣香が言った、その時、爆弾か何かが爆発したと思わせる衝突音がした。それは校門に張ってあった柵を、何かが破った音だった。
危険を感じた人達が体育館から出ていく中、パトカーのサイレンに混じって、甲高いエンジン音が聞こえてきた。ボンネットが凹んでいる車が、煙を上げガタガタと揺れながら体育館に向かって爆走してくる。耳を塞ぐほどのブレーキ音とタイヤの擦れる音がした直後に、ドアを破って侵入してきた。
数メートル進み、間もなく停車すると人が出てきた。手には刃渡り二十センチはありそうなナイフが光っていた。
「逃げろ」
誰かが叫んだ。人間の防衛本能から出た心の叫びは、成り行きを見守っていた人達の恐怖という感情のスイッチをオンにする。
体育館内は、逃げまどう人達でパニックとなった。
「これは」
「聖司さん、出番です」
いつの間にか聖司の隣に立っていた梨々菜が、耳元で囁いた。
「やっぱりそうか」
レオタード姿の梨々菜を見て頷いた。
「先輩。早く逃げましょう」
真衣香の存在を忘れていた聖司は、腕を引っ張られながら、どうしようか悩んだ。ここで分かれて一人にするのは、自分から誘った手前、無責任のように感じた。だからといって、連れて行くわけには行かない。ここは一端、外に逃げて戻ってくるほかない。
「行こう」
聖司は、真衣香の手を握った。
ナイフを持った男は、もう片方の手に鞄を持って走っていた。それとは反対に向かって走る。外に続くドアを出る前に、もう一度チラリと見ると、男が女性の腕を捕まえて校舎の方へ入っていくのが見えた。
―――人質か。
体育館を出ると、外には何台もパトカーが停まっていて、車と車の間を埋めるように警察官が詰まっていた。その中の一人が、拡声器を使い男に向かって警告を発した。
「犯人に告げる。校舎の周りは完全に包囲した。いま自首すれば」
「うるせ〜」
言い切る前に、二階にある教室の窓から顔を出した犯人が遮った。さっき捕まえた人質の首に腕を回し、ナイフを突きつけている。
「自首なんかするか。こいつを殺されたくなかったら、ヘリを用意しろ。一時間以内だぞ。いいな」
三人は、警察官の包囲網の外側に出た。学校の周りは、校門前から塀の周りまで野次馬で、ごった返していた。
「ここまで来れば大丈夫だろう。瀬名、一人で帰れるか?」
「それは大丈夫ですけど」
「そうか。俺はちょっと用事があるから」
「聖司さん。急ぎましょう。瀬名さん、気を付けて帰ってください」
「あっ、ちょっと待って」
真衣香の静止に答えることなく、聖司と梨々菜は校舎の方へ戻っていった。
その途中、野次馬の人達の話が聞こえてきた。どうやら犯人は、銀行強盗をして車で逃走していたのだが、学校に逃げ込んできたらしい。
「周りは警官でいっぱいだな」
校舎の周りを一周してみたが、中に入られそうな所は全て抑えられていた。
「いつも通り、鏡で移動するしかないな。どうした梨々菜」
「すみません。コンパクトは友達に持っていってもらったバックの中なんです。取り出すのを忘れてしまいました」
「何?じゃあ、この辺りに鏡の代わりになるものは」
辺りを見渡すが、何も見当たらなかった。
「どうしましょうか。急がないと」
「そう言われてもなぁ」
「これ、使ってもいいですよ」
「誰だ?」
声がした方を見ると、木の陰から真衣香が現れて手鏡を差し出した。
「瀬名。何でここにいるんだ」
聖司は真衣香に詰め寄り、腕を掴んだ。
「せ、先輩が。私の知らない先輩がいるって思ったら、追い掛けていたんです」
「瀬名」
「そうしたら、何か分からないけど、鏡が必要みたいだったから」
「聖司さん。一刻を争います。有難く使わせてもらいましょう」
「そうだな。じゃあ、ちょっと借りるぞ」
聖司は手を差し出したが、真衣香は逆に後ろに隠した。
「瀬名?」
聖司と梨々菜を交互に見て一息吐くと、思い切って言った。
「貸すのには条件があります。私も連れて行ってください」
「なに?」
聖司の顔が険しくなったが、真衣香は怯まずに続けた。
「危険なのは何となく分かります。でも、連れて行ってくれないのなら、貸しません」
「瀬名。何を言っているんだ」
「聖司さん。仕方ありません。人質がいるのですから急がないと。瀬名さんは、わたくしがお守りしますから」
聖司は迷ったが、梨々菜の言う通り今は一刻を争う。
「分かった。これから起こることは、誰にも話しちゃダメだぞ」
「分かりました。絶対に言いません」
「梨々菜、頼む」
「はい。聖司さんは、瀬名さんの手を握ってください」
真衣香から手鏡を借り受けると、三人の身体が白い光りに包まれた。
「瀬名。頭が少しグラッとくるから」
「は、はい」
緊張の面持ちで頷く。
「では、行きます。瞬」
光りと一緒に、手鏡に吸い込まれていく。いつもはすぐに出口となる鏡から出るのだが、今回はすんなりといかなかった。
「きゃあ〜」
「あっ。瀬名さん。落ち着いてください。そんなに精神が乱れると、目的地がぶれます」
「何?瀬名。落ち着け!」
しかし、もう遅かった。気が付いたときには、目の前は真っ暗だった。聖司が何か喋ろうとしたとき、口が何かで塞がれた。
「シッ。お二人ともお静かに。多少の音は漏れないようにしましたが、小さな声でお願いします」
三人が、かなり密着しているそこは暗くて、雑巾の臭いがした。
「もしかして、ここは」
「掃除用具のロッカーです」
「やっぱり」
普通のロッカーだと、すし詰め状態でも三人は定員オーバーだが、姫百合のロッカーは少し大きいサイズだったので入ることが出来た。
隙間から漏れてくる光もあり、だんだんと目が慣れてきたので聖司は、不安定だと思っていた足元を見た。
「どうりで」
聖司は掃除機の上に立っていた。名門女子校には、各教室に掃除機が常備されているらしい。
「瀬名は大丈夫か?」
「どうやら気を失っているようです」
「そうか。この場合、好都合だな」
「そうですね。聖司さん。ここから外を見てください」
ロッカーの内側から外を見ることになるなんて、まるで隠れんぼをしているような感覚になった。扉の内側には、小さな鏡がついていた。
―――ここから出てきたのかよ。
聖司は苦笑した。
「いた。犯人と人質の二人だけだな」
「はい」
ロッカーは窓側に置かれてあり、ロープで縛られている人質が見えた。犯人は窓から外を警戒している。視線を動かすと教室のドアには、警察の突入を防ぐために机が積み上げられていた。
都合が良いことに、どうやら人質の女性は気を失っているようだ。
「よしっ。ここは姿を消して」
真衣香はいるが、かまわず服を脱ぎ始めた。
が、しかし、狭くて上着を脱ぐことが出来ない。とりあえずベルトを外して、モゾモゾと足をよじってズボンを降ろしたその時、「う、う〜ん」真衣香が目を覚ました。
「瀬名さん。大丈夫ですか?」
梨々菜が声を掛ける。
「は、はい。ここは?」
事態が飲み込めていない真衣香は、しばらくボンヤリとしていた。
「すみませんが、小さな声で話してください」
梨々菜の声に頷くと、聖司を見た。
「大丈夫みたいだな。よっ」
すると聖司は上着を脱ごうとして、身をよじっていた。
「先輩。何をしているんですか?」
「何って言われるとだなぁ」
簡潔に説明しようとすると、真衣香の表情が、みるみるうちに変化していった。
「な、な、なんで脱いでいるんですか。まだ早いですよ」
「何だ。まだ早いっていうのは」
「瀬名さん。これには事情がありまして」
梨々菜の制止も遅く、真衣香はジタバタと身悶えた。
「聖司さん。気が付かれます」
音はいくらか漏れないようにしていたが、ロッカーそのものが揺れてしまっては意味がない。そんな緊急事態を理解していない真衣香は、とうとう両手を突き出した。
「いや〜」
聖司は、上は脱ぎかけ、下はパンツ姿で押し出されてしまった。
「うわあっ」
「うわっ」
聖司と犯人が、同時に尻餅をついた。
ロッカーがガタガタと揺れ始めたので犯人が何事かと近付いたとき、いきなり聖司が飛び出したのだ。
「いて〜な」
よろよろと立ち上がった犯人は、気を取り直して聖司を見下ろした。
「誰だ?」
―――やばい。カメラ。
聖司は手ぶらだったが、カメラバックを持って横に立っている梨々菜に気が付いて一安心した。梨々菜は、犯人が尻餅をついて混乱しているうちに、ロッカーに真衣香を残して出てきていた。
「お前ら、どこから入ってきた」
ナイフを左右に動かして、聖司と梨々菜を牽制しながら鬼のような形相で睨むと、パンツ姿の聖司を見て薄気味悪い笑みを浮かべた。
―――聖司さん。瀬名さんは暴れられると困るので、動けないようにして待ってもらっています。
梨々菜の言うとおり、真衣香はロッカーの中で固まっていた。
「ごめんなさい。先輩」
真衣香は動けないだけで、隙間から外を見ることは出来た。どうやら自分が事態を悪化させたことに気が付き、おとなしく見ていることにしたらしい。
―――了解。しかし、この状況をどうするか。
真衣香がおとなしくしているとはいえ、一触即発の状況は変わらない。左側の窓からは、パトカーや警察官、大勢の野次馬が見えた。
「なんだ。その鞄は」
梨々菜が持っている鞄を、ナイフで差した。
「何でもありません」
なだめるような笑顔で答えるが、凶暴化している犯人に通じるわけがなかった。
「そんな訳ないだろ。前に放り出して、手を頭の後につけろ。早くしろ」
―――困りましたね。
防御の呪文を唱えようにも、手で印を描かないといけないので、犯人とこう近くては無理だった。血走っている目を見ていると、今に斬り掛かってきそうだ。
聖司は、どうしようか考えた。
―――たぶん梨々菜は、自分の身を守ることは出来るだろう。むしろ俺を守るために怪我をするかも知れない。それならば、いっそのこと。
―――それは危ないです。待ってください。
聖司の思考を読みとった梨々菜の制止を聞かず、状況打開のため賭に出た。
「おりゃ〜」
屈んでいた聖司は、アメリカンフットボールのタックルの如く、下半身の瞬発力を爆発させて飛びかかった。
「小僧!」
犯人は、何のためらいもなくナイフを突き出した。普通の人間なら、少しは躊躇する瞬間があったかもしれない。しかし、罪人に憑かれている犯人には、そんなものはなかった。人質は、一人いれば十分だった。
―――ダメか。
「危ない」
横から聖司を押し出そうと、梨々菜も同時に飛び出したが間に合わない。今まさに、ナイフが顔面に突き刺さろうとした瞬間、何かが犯人の手をはたいた。
ゴトリとナイフが落ちると、それは目にも止まらぬ速さで引っ込んだ。寸前で間に合った梨々菜が、聖司の身体を抱きかかえながら窓際に激突する。
「何だ?」
犯人が叫ぶと、机で固められたドアをぶち破る者がいた。ダムが決壊するかのように机が吹っ飛び、何者かがドアの所に立っているのが見えた。
「私の学校で、好き勝手やっているんじゃないわよ」
聖司と梨々菜は、同時に埃がたった方を見た。
「え?」
聖司は驚嘆した。何故なら、そこに立っていた者はレオタード姿だったからだ。そして、見たことがある顔だった。
「わたし、姫百合お千代の目の黒いうちは、悪さをする脱獄人なんて、のさばらせないわよ。覚悟しなさいな」
そう。姫百合女学院新体操部エースの菊間千代、その人だった。
机を吹っ飛ばしたであろうクラブを二本クルクルと回しながら、崩れた机の間から一歩一歩、腰をくねらせながら入ってきた。
「野郎!」
犯人が落としたナイフを拾おうと、床に手を伸ばした。すると千代は持っていたクラブを腰のベルトに素早く下げ、リボンに持ち替えた。
「甘いわ」
犯人の手が届く寸前で、リボンでナイフを弾いた。
「凄い」
聖司はテレビドラマか映画を見ているような光景に、ポカンと口を開けて成り行きを見ているしかなかった。
「ほらそこ。何しているのよ。人質を解放しなさいな」
「そうでした」
同じく呆気にとられていた梨々菜が、人質の女性の方へ駆け寄った。
「くそっ」
犯人はもう一本、隠し持っていた小型ナイフを抜いて襲いかかった。
千代は怯むことなく、再び近距離戦用のクラブに持ち替え、冷静に犯人の動きを見極めた。斬り掛かってきたナイフの軌道から、軽くステップを踏んで離れると、容赦なくクラブを振り下ろした。鈍い音がしてナイフが落ちると、犯人が絶叫を上げた。
「ぎゃあ〜。て、手が」
手首が曲がるはずのない方向に、グニャリと曲がっている。
「うわっ」
聖司は、痛さが身に染みたように顔をしかめた。
「観念しなさい」
新体操の手具であるロープを腰から取って放り投げると、男の身体を縛り上げた。
「グゥッ」
ロープがキュッと縮まり、苦痛の表情をした犯人の頭から、罪人が煙となって立ち上った。
「出ましたわ」
千代が右腕を挙げると光りのフープが出現して、その輪の中にブラックホールのような黒い空間が渦巻き、そこに吸い込まれていった。
「任務完了!」
「お疲れさま」
無事に戦闘が終わると、教室にもう一人、女が入ってきた。
「貴女でしたか」
女性を解放した梨々菜が、肩に担いで聖司の元に戻ってきた。
「知っているのか?」
「もちろんです。いま入ってきたのは、この地区を担当している羅々衣です」
「あら。梨々菜さんじゃない」
先程から廊下にいただろうに、わざとらしく言いながら近付いてきた。
「羅々衣さん。お久しぶりです」
「久しぶりね」
「元気でしたか」
梨々菜が握手をしようと手を伸ばしたが、羅々衣はそれを無視して「ええ」とだけ言った。二人の関係は知らないが、その口調に聖司は不快さを感じた。
「こちらが、貴女のパートナーかしら?」
「ええ」
「ふう〜ん。いま何かしてらした?」
羅々衣がジッと下を見ている。いまの格好を思い出した聖司は、急いでズボンを取りに走った。
「わたくしの不手際で、こうなりましたが、聖司さんはよくやってくれています」
「そう」
聖司を品定めするように見た。どうやらバカにされているのは、聖司にも理解出来た。そして、それが梨々菜の立場も悪くしているようだった。
「何も出来なかったのは俺のせいであって、梨々菜のせいじゃない」
やっと履いた聖司は、羅々衣を睨んだ。
「ほほほ。そんなことは、言っていませんわ。たまたま居合わせたから出しゃばって来たのでしょうけれど、この地区はうちの縄張りなのだから、無理をしなくても良いですわよ」
「その通りですわ」
羅々衣の横に千代も並んで、二人して高笑いをした。聖司は歯ぎしりをして、自分の不甲斐なさを悔やんだ。
「羅々衣さん。もう良いかしら」
犯人を縛っていたロープを回収した千代が言った。
「そうですわね」
「では」
千代がその場で一回転すると、レオタード姿から制服姿に変わった。
「これは。どうなっているんだ」
そこにまた、誰かが入ってきた。一見、ラフな格好なので一般人のように見えたが、後ろから警官がぞろぞろと入ってきたので刑事だと分かった。
「君たち、これは」
「誰かが退治をしてくださったようですね。私が来たときには、あの男が倒れていました」
千代が、倒れている男を指差した。
「そうですか」
刑事は千代のことを知っているらしく、まったく疑問を持っていないようだ。だが、それよりも聖司は、千代の喋り方に驚いていた。先程までの女王様口調とは違い、ゆったりと優しく話す千代を見て目を丸くした。
「お千代さ〜ん」
「ご無事ですかぁ〜」
今度は女子高生の団体が、雪崩れ込んできた。
「あら。皆さん」
「急にいなくなったから驚きました。お千代さんに、もしものことがあったら、どうしようかと」
「ふふふ。大丈夫ですわ」
「それでは刑事さん、私は失礼します。ごきげんよう。皆さん、参りましょう」
「はい」
千代は刑事に軽く会釈をして、女子高生軍団と共に出て行った。
「聖司さん。わたくし達も行きましょう」
梨々菜は、抱えていた女性を下ろした。
「そうだな」
大勢の中に紛れて現場を離れようとしたが、そうはいかなかった。
「待ちなさい。君たちには残ってもらうよ。犯人と争っていただろう。さっき下から見えていたよ」
「え?え〜と」
―――梨々菜。逃げるぞ。
梨々菜に目配せをした聖司は、すぐに走り出した。それに梨々菜も続いた。
「待ちなさい」
背中で刑事の声がしたが、無視をして走った。
「せ、聖司さん。戻らないと」
「バカ言うな。いま戻ったら、問い詰められるだろう」
「いえ、刑事さんの所ではなくて、瀬名さんを忘れています」
「そうだった」
このままでは、いつロッカーを開けられるか分からない。
「どうするんだ」
警官が追い掛けてくるので、止まることは出来ない。
「こっちです」
梨々菜は聖司の手を引っ張り、目の前にあった女子トイレに駆け込んだ。
「わ〜、ちょっと待て」
抵抗する聖司を強引に引き込んだ。
「なんだなんだ」
「ここから迎えに行きます」
「あっ、なるほど」
女子トイレに入ってしまうなんてと慌てていた聖司は、鏡を見て納得した。
「行きます」
二人は、再びロッカーに戻ってきた。
「あっ、先輩と梨々菜さん。恐かったよぉ〜」
泣いていたのだろう、涙声で聖司に抱き付いた。
「すまん」
「すみません。急ぎます。行きますよ」
警官だろうか、誰かがロッカーのドアに手を掛けた音がした。しかし、開けられる前に三人の姿は消えていた。
「着きました。ここなら大丈夫です」
出た先は、どこかの閑散とした駐車場だった。
「ふう。やばかったな」
「そ、そうですね」
抱き付いたままだった真衣香は、弾けるように離れると、その場にへたり込んだ。
「瀬名。約束どおり、黙っていてくれるか?」
「え?は、はい。それは約束します。例え誰かに話したって、信じてはくれないですよ」
「まあ、そうだな」
「先輩が、レオタード姿で戦うなんて」
結局カメラを使わなかったので、真衣香に勘違いされていた。
「違う、違う。俺は、このカメラで写すと退治したことになるんだ」
誤解を解こうと、バックからカメラを取り出した。
「何人か同じ事をしている人がいて、得意なことで退治しているんだ」
「そうなんですか。良かったぁ。先輩が、あんな格好をするのかと思っちゃいました」
「は、ははは。そんな訳ないだろう」
自分のレオタード姿を想像して、聖司の顔は引きつっていた。
「それでは帰りましょう」
微笑ましく見ていた梨々菜に促される。
「そうだな。でも、その前に何か食べていかないか?腹減ったよ」
聖司は腹を抑えた。緊迫していた状況から一転、安心したらから腹が鳴ってしまった。
「良いですね。私も空いていたところです。ハンバーガーでも食べましょうか」
真衣香も恥ずかしそうに、お腹を抑えていた。
「ふふふ。じゃあ、あそこに入りましょう」
梨々菜が見た先にはファーストフード店の大きな立て看板が、ゆっくりと回っていた。