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千紘はぷくっと頬を膨らませ、すぐにぷふーと空気を抜いた。それからグラスに指を添えた。
「なんだろうね。俺もここまで好きになったの初めてだし。でも、1つ言えるのは、仕事に対して真面目ってことかな」
「そう思ってるヤツが簡単に仕事辞めろとか言うのかよ」
「簡単だとは思ってないよ。俺、セラピストやってるお客さんも顧客にいるけど、どの人も簡単に女の子と繋がれるから、とか性欲処理ができるからって言ってること多くて、男女で風俗に対しての考え方って違うだろうなって思ってた」
凪は黙って千紘の言葉に耳を傾けた。実際この仕事をナメてセラピストになる男は多い。大した努力もしないから、指名がとれず稼げないために数ヶ月で辞めていく。
凪も何度も目にしてきた光景だ。
「でも凪は、どんな仕事であってもちゃんとお客さんのこと考えてるように見えたんだよね。俺も指名増えて、歩合だからバンバン稼げるようになって、いつの間にかそれが当たり前になってた。
だけど、凪があの場で真面目に予約を待ってる客に対して失礼だって言ってるのを聞いてさ、俺にとっては毎日変わらない日常でも、何ヶ月も待ってる客にとってその1日って凄い価値のあるものなんだよなって改めて考えさせられた」
「そりゃ、そうだろ。髪なんて1ヶ月もありゃけっこう伸びるし、2ヶ月放置したらもうウザったいだろ? それなのに半年も1年も待てるって相当だぞ?」
「だよねー。俺なら担当変えちゃうもんな。でもまあ、そのおかげでなんか初心に戻ったし、仕事も今までより楽しくなった気がする。そしたら凪好きーってなった」
にかっと笑う千紘に、なんでそこに繋がるんだ、と凪はガクッと肩を落とした。
料理が運ばれてくると、千紘は手際よく取り皿に料理を配り、凪の目の前に置いた。
「お食べ」
「……ありがとう。こういうことやらないヤツかと思ってた」
凪は牛タンのワイン煮込みを見つめて言った。今のところ自分勝手な印象しかない千紘が、自ら取り分けるなんて想像できなかったのだ。
「俺だってそのくらいやるよ」
「ふーん」
軽く返事をした凪は、手を合わせてから料理を口に運んだ。その瞬間、目を見開くほど旨味が口内へと広がった。
「うっま……」
驚愕する凪の姿に、千紘はふふっと小さく笑う。同じように千紘も一口食べると「うん。やっぱ美味いよねー」と嬉しそうに言った。
「んで、いつになったらお前は俺を諦めるわけ?」
「ん? 諦めないよ。凪が俺のモノになるまで」
「いやいや……俺は男は無理だって言ったじゃん」
「でももう女の子じゃイケないんでしょ?」
「そうと決まったわけじゃない。たまたま体調が悪かっただけだ」
千紘が最初から体だけでも凪が求めてくるよう仕掛けていたと知ったからか、女性とのセックスで絶頂を迎えられないことを隠すことはしなかった。
けれど、どうしてもそれを認めたくない自分がいる。まだ千紘に抱かれてから日が浅いから、元の体に戻るまでに時間がかかるのかもしれない。そんな期待もまだ残っている。
「たまたま体調悪いことがずっと続くの? あれからけっこう経ってるよね?」
「うっるせーな! じきに戻るからいいんだよ!」
「そう? 戻らなかったらいつでも頼ってね」
「絶対ヤダ。つーか、写真消せよな」
「まだまだ。デートは始まったばっかじゃない」
凪はうんざりした顔で、肉を頬張った。どんな心境であれ、美味いもんは美味いんだな。と少し恨めしくもなる。
「凪はいつから彼女いないの?」
「なんだよ……。今の仕事始める前からいないけど」
「ほしいって思わないの?」
「思わないわけじゃないけど、この仕事してたら無理だろ。セラピスト辞めてでも付き合いたいって思う人に会ったこともないし、どうせ女と寝るなら金もらった方がいいし」
「凪お金に困ってるの?」
千紘にとっては素朴な疑問だった。単純に風俗で働くといったら金銭的に不自由している印象だったから。凪はどうしてこの仕事をしてるのか、根本的なことは何も知らなかった。
「別に理由はない。ただ、その前にやってた仕事は全くやりがいがなくてダラダラ働いてただけだったから」
凪は、自分の右隣に置かれたブロッコリーをフォークで刺し、とろけたチーズの中に絡めながら言った。
「前の仕事って何してたの?」
「普通のサラリーマン」
「営業?」
「いや、製造。残業多いわりに給料安いし、自分よりも仕事できないヤツと同じ給料なの割に合わないし。だから、歩合の方が合ってると思っただけ」
「ああ、じゃあ今の凪には天職なんだ?」
千紘も同じようにウィンナーをチーズと絡める。びよーんと伸びたチーズが垂れないよう、皿を近くまで持っていってそれを乗せた。
「まあ、合ってはいると思う。最初から稼げるなんて思ってなかったけど、自分の売り方考えたりすんのも悪くなかったし」
「女の子は元々好きだし?」
「まあな。でも、若い客ばっかじゃないからキツい時もある」
「だろうね。俺も無理だもん」
さらっと言いながらもぐもぐと口を動かす千紘。彼の客層は若い男性が多いと聞く。恋愛対象である年齢層が多く利用していても自分に執着する辺り、客は対象外なのだということはわかった。
「それでも今はある程度やりがいもってやってるし、続けてこうって思ってんだよ」
「そっか。色んな仕事があるねぇ」
「やってみなきゃわかんないしな。向き不向きもあるし」
凪はチラリと千紘を見やる。綺麗な長い指先がフォークを握り、下に向けられた視線は妖艶に光る。
時々女っぽいんだよなぁ……。こういうのを中性的っていうんだろうけど。これで女ならなんの問題もなかった。俺よりデカくなくて、竿もついてなくて、非力なら……いやいや、何を考えてるんだ。
俺はコイツの被害者だぞ。無理矢理拘束して犯した挙句、写真を使って脅すような悪いヤツだ。その事を忘れるな。
そう何度も何度も自分に言い聞かせる。
ただ、こうして無害に一緒に食事をするだけなら、そんなに嫌悪感はなかった。自分の体が警戒しているのはわかるが、相手が自分のことを好きなのも伝わってくる。
同じ空間を共有するにも、好意があるのとないのとでは、全く違うのだろうと思えた。