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日下部が転校してきて、三日が過ぎた。彼は、誰とも馴れ馴れしくしないくせに、妙に好かれていた。
休み時間、誰かが勝手に机を寄せて話しかける。
廊下では女子に呼び止められ、教科書を貸してくれと頼まれる。
体育では球技の要領も良くて、男子たちにも自然と輪ができていた。
「さっき、日下部くんに教えてもらったんだけどさ」
「えー、あの人、ノートめっちゃきれいだった」
「てかさ、日下部くん、最初はちょっと怖かったけど、普通に話しやすくない?」
──気づけば、「日下部」はこのクラスの中で“安全な存在”になっていた。
遥は、教室の一番後ろの席で、その様子を見ていた。
見ていたというより、見せつけられていた。
その日は、掃除用具室での“当番”だった。
戻ってきたとき、制服の前を慌てて整えていたら、日下部が教室のドアを開けた。
ほんの一瞬、目が合った。
でも何も言わなかった。
──“いつものことだ”と言わんばかりの、無表情。
「何してんの? 早く席戻んないと、また先生に怒られるよ」
誰かの声が背中に飛んできて、遥は黙って席に戻った。
脚が引きつっていた。
太ももの内側が痛む。
座るたびに、制服の布が皮膚に擦れて、小さく呻きそうになる。
でもそれを表に出せば、誰かの“笑い”が返ってくるのを、もう知っていた。
チャイムが鳴り、先生が入ってくる。
何の説明もなしに授業が始まり、日常が続いていく。
日下部は、何も語らない。
遥のことに一切触れない。
クラスの誰もが、ふたりを無関係の他人として見ている。
──オレが喋ったときは、いつも空気が止まっていたのに。
あのとき手を挙げて発言しただけで、クラスの誰かが顔をしかめた。
廊下で呼び止めようとして、無視されたこともある。
何もしていないのに、「ウザい」「空気読めない」と言われたこともある。
それなのに、日下部が喋れば、
その場が少し柔らかくなって、誰かが笑い、空気が動く。
なんでだ。
あいつは、どうして、“何もしていない顔”ができるんだ。
オレのことを知っていて、あの家を知っていて、
“今も見ている”くせに──なぜ、「普通の転校生」でいられるんだ。
そんな遥の視線に、日下部が気づいたかのように、ちらりと振り返った。
ほんの一瞬、薄く口角が上がったように見えた。
──見えていなかったふりをする、加害の笑み。
遥は、黒板に目を戻した。
チョークが走る音と、窓の外の風の音。
それ以外は、すべて沈黙だった。
でもその沈黙は、オレを守ってくれるものではない。
もう、とっくに意味を失っていた。