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掃除用具室のドアは、内側から鍵をかけられる。もちろん「清掃用具を守るため」なんて理由ではない。
誰も、そんな建前を気にしていなかった。
突き飛ばされるとき、腰をぶつけた棚が鳴った。
モップが倒れ、バケツの中で水が跳ねる音が響いた。
「立てよ。まだ終わってねえんだろ」
「ほら、反応しろよ。せっかく手間かけてやってんだからさ」
「マジ、今日は声出さねーな。日下部くんに見られてるから?」
──耳に、ひやりとした名前が入ってきた。
遥は床に倒れたまま、顔を上げた。
扉の隙間から、わずかに光が漏れていた。
その外に、誰かが立っている影が見えた。
制服のシルエット。背の高さ。首の傾き。
──間違いなく、日下部だった。
オレは、とっさに目を逸らした。
痛みよりも、視線のほうが鋭かった。
暴かれるわけじゃない。
ただ「見られる」ことが、これほどまでに耐えがたいものだとは思わなかった。
加害者たちは、別に気にしていないようだった。
むしろ見られることで、興奮を増しているようにさえ見えた。
「よー、日下部。おまえ、マジで見てんの?」
「意外とそういうの好き系? やばくね?」
「でもこの顔、なかなか見れねーからな。泣きそうなとこ、録っときゃよかった」
笑い声が飛び交い、誰かの足が遥の腹を小突いた。
呻きそうになった喉を奥で押し殺した。
反応すればするほど、面白がられるのを、もう知っていた。
それでも、心の奥で叫んでいた。
──見るな。
──おまえだけは、見んな。
──今さら何、他人みたいな顔してんだ。
あいつは何も言わなかった。
扉の前からも、去らない。
入ってくるわけでもなく、助けるでもなく、ただ“いる”。
まるで、それが「日常の一部」であるかのように。
やがて、用具室の鍵が開けられ、遥の体が引きずられて外に出される。
誰かが笑いながら「日直やっとけよ」とプリントを押しつけた。
日下部は、数歩離れた場所で、無表情のまま立っていた。
誰とも目を合わせない。
遥とも──もう見飽きたものに向けるような、冷たい目で一瞥だけ。
まるで、“この程度のことは知っている”とでも言いたげだった。
遥は、膝をついたまま、濡れた床に手をついて立ち上がった。
制服の膝が濡れていた。
何の水かも、もうわからない。
背後では、日下部の足音が、ゆっくりと廊下に消えていった。
──何もしてこない。
──けど、そこにいる。
それが一番、息苦しかった。
地獄がひとつに重なっていく音が、まだ遠くで響いていた。