「お疲れ様です。お先失礼します」
鳥愛(とあ)も割と遅く学校を出る方だが、まだ残っている先生もいるので
まだ残っている先生方に一言断りを入れ、職員室を出る。
後輩で、仲の良い天美(あみ)と我希(わき)は早々に帰った。
用務員さんなどにも挨拶をして学校の敷地内から出る。学校の敷地内から出たからといって
はい。もう私はこの瞬間から教師ではありません
となることはなく
遠足は無事家に帰るまでが遠足です
というように鳥愛は家に帰るまで教師スイッチを完全には切らない。
というものの半分はスイッチを切っている。ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込み
歩きスマホをすることなく、しっかり立ち止まって
スマートフォンで音楽アプリを開き、プレイリストをシャッフル再生し、駅まで歩き出す。
帰宅ラッシュではないため、そこまで混雑はしていないものの
座れなかった電車に揺られ、自宅の最寄り駅で降りる。飲みに行こうかと思うがやめる。
教師は帰り道、飲酒を伴う外食をしてはならない
なんていう決まりはない。なので鳥愛も帰って料理を作るのがめんどくさいから
帰りに居酒屋に寄ってビールを片手に、焼き鳥やらなんやらを食べて帰ることもできる。
しかしなぜかしない。なぜかいけないことな気がしている。
なので大人しくスーパーに寄って、出来合いのお惣菜を買って帰るのである。
スーパーを出たところで肩を叩かれる。
お客さん。レジを通してない商品ありますよね?
というニュース番組のMyPipeのチャンネルで見た万引きGメンのセリフが頭の中に響く。
しかし、万引きの「ま」の字もない鳥愛はドキドキも1ミリもせず振り返る。
「奥樽家(オタルゲ)先生」
鳥愛の目には涼しげな水色の髪に、涼しげな水色のまつ毛、そのまつ毛に守られている涼しげな瞳。
赤い制服に赤いスクールバッグ。微笑むアイビルがいた。
1ミリもドキドキしていなかったが急激にドキドキし始めた鳥愛。
オレ、先生のこと好きです
というアイビルのセリフが頭の中をこだまする。ワイヤレスイヤホンを外す。
「ア、ア、アイビルくん」
不自然極まりない。
「ふっ…」
そんな不自然極まりない鳥愛の様子にクスッっと笑うアイビル。あまりに美しい微笑みにドキッっとする鳥愛。
「ア、アイビルくん、どうしたの?制服で」
「あ、今さっきまで士、葉道(はど)、蘭
羽飛過(うひか)さん、雨上風(はれかぜ)さん、遠空田(とおくだ)さんに歓迎会をしてもらっていたので」
「あぁ。歓迎会!いいね!楽しかった?」
自然と2人で歩き出す。
「はい。楽しかったです」
「仲良くなれそうでよかった」
「はい。みんな良くしてくれて」
「ま、そんだけイケ」
「そんだけイケメンならわりとチヤホヤされるよね」と言いかけて口に急ブレーキをかける。
まだ家ではない。なのでまだ辛うじて教師スイッチは切れていない。
容姿への言及は避ける。これ現代の教職においては鉄則。
踏み止まれた。偉いぞ鳥愛(とあ)。
と心の中で自分を褒める鳥愛。
「イケ?」
しかしアイビルは逃してはくれない。
「イケ…」
「イケ?」
「そんだけ池の水面くらいおおらかだったら大丈夫だよ」
ビックリするぐらい急ハンドルを切って無理矢理曲がった鳥愛。
「池…」
「そうそう!池池!」
「オレは奥樽家(オタルゲ)先生に沼ですよ」
爽やかな微笑みでサラッっと言う。
…。…あ?
すぐには飲み込めなかったが、飲み込んでも喉に引っかかる。
「ぬ…ま?」
「沼」
「…ん?ごめん。沼とは?私もう歳じゃから若者の言葉はわからんのじゃ」
わざとらしく腰を曲げて、わざとらしい口調になる鳥愛。
「いや奥樽家先生まだ全然若いでしょ」
クスッっと笑うアイビル。
「“もう”28よ?」
「いや“まだ”28でしょ。あ、持ちますよ」
アイビルがスーパーのレジ袋に手をかける。
「あ、いいよいいよ。ありがとう」
「そうですか?ま、で、沼っていうのは」
と話を戻すアイビル。
「沼っていうのは足をとられて抜け出せなくなるほどハマってしまうことです。知ってたでしょ?」
「あぁ…うん。知ってたわ」
で?「先生に沼です」とはなんぞや?
となんとなく意味がわかっているが、頭に浮かぶ表面的な疑問をぶつけようとするが
「それほど先生のことが好きだっていうことですよ」
と爽やかな微笑みで言うアイビルが容易に想像できた。
さらにその想像上のアイビルにすらドキッっとしてしまう。
それを面と向かって言われてしまったら私の心臓はどうなってしまうんだろうと思うのと同時に
1回好きだと言われただけで思い上がりすぎでは?と思う自分もいた。
もしかしたら「沼」は別の意味かもしれない。
でも実際聞いてそうだったら?と、いつの間にか頭の中をアイビルに支配されていた鳥愛。
「…で?わ…私に沼ってなに」
興味に負けた。
「それだけ奥樽家(オタルゲ)先生のことが好きになってしまった。ということですよ」
ほとんど正解であった。参ったな。と言わんばかりに右手を額にあてる鳥愛(とあ)。
そんな参ったな。と言わんばかりのポーズをとり
本当に困ったなと思っていたものの、内心どこか嬉しさもあった。
「…やっぱりか」
「わかってました?」
「そりゃ面と向かって好きと言われた後だったらね」
「それもそうか」
と微笑むアイビル。
「あのね、アイビルくん。わかるよ?私が学生のときも先生を好きになった友達とかいたけど
それって結局、歳上への憧れってだけだから」
とテンプレのセリフを生徒に言ってなだめる。
「しかも恋してはいけないという存在の先生だからね。カリギュラ効果っていって
人は「やってはいけない」と止められれば止められるほど、そこに魅力を感じてしまうものなのよ」
これまたテンプレのセリフを吐く。
「知ってます。カリギュラ効果。歳上の憧れもわかります」
「でしょ?」
「でも」
アイビルが鳥愛の前に出る。
「でもオレは違います。オレはちゃんと理由があって奥樽家先生のことが好きになったんです」
真剣な表情のアイビル。ドキッっとする鳥愛。ドキッっとすると同時に
あぁ。こりゃ一筋縄じゃいかないな
とほんの少し困っていた。
「あぁ…。ありがとう…」
とりあえずお礼を言った。
「でもね」
と言ったときワイヤレスイヤホンが落ちた。
「あ、奥樽家先生。落ちましたよ」
とアイビルが拾う。ワイヤレスイヤホンから音楽が漏れ聞こえている。
「あ…この曲」
「あ、イヤホン。落ちちゃったのか。ありがと。あ、曲流しっぱなし?」
とスマホを取り出す。
「あ、流しっぱなしだ。しかもよりにもよってreplicestsのSheknow(シノ)ちゃんの曲だ。
聴いときたかったなぁ〜」
「…Sheknow(シノ)。奥樽家(オタルゲ)先生、replicests好きなんですか?」
「ん?あぁ。うん。そうね。音楽聴くのは割と好きで、中でも最近ではreplicestsはマイブームかな」
「…そうなんですか」
どこか様子の変わったアイビルに「?」と思いながらも、自宅のマンション前についた鳥愛は
「んじゃ。送ってくれてありがとうだけど、こんなとこ他の先生方とか他の生徒の親御さんとかに見られたら
なんていえばいいかわかんないから。特に制服姿だとなおさらね?」
「じゃあ私服ならいいですか?」
と微笑むアイビルに
「いやいやいや。私服ならいいってもんでもない」
「でも奥樽家先生、さっき制服だったらって言ってたから」
「まあ…たしかに私服なら制服より幾分マシだけれども…。そういう問題じゃないのよ…」
と聞き分けがいいのか悪いのかわからないアイビルに少し悩みながらも
「うん。まあとりあえずありがとう。アイビルくんも気をつけて帰ってね。また明日」
ととりあえず別れを告げた。
「はい。奥樽家先生。また明日」
と爽やかに微笑むアイビル。
とびきりのイケメンに「また明日」と言われて心臓がとんでもなく早く動く鳥愛(とあ)。
その早く動く心臓を隠すようにアイビルに背を向けてマンションのエントランスに入っていく鳥愛。
「そっか。奥樽家先生、replicests好きなのか」
と呟いてアイビルも家に帰っていった。エレベーターで自階に上がり、鍵を開けて自分の部屋に入る。
鍵を閉めた瞬間、教師スイッチがパツンと切れる。電気をつけて靴を脱ぐ。
「あぁ〜疲れたぁ〜」
いろいろ疲れた。服を脱ぎ、洗濯物は洗濯機に投げ、スーツはハンガーにかけておく。服を脱いだついでに
「シャワーだけ浴びちゃいますかな」
めんどくさいと感じながらもお風呂場に行ってシャワーだけを浴びる。
部屋着に着替えて、テレビをつけて、レンジでパックご飯を温める。
出来合いのお惣菜をつまみながらテレビを見る。シャキシャキのレンコンを噛み締めながら
「オレは奥樽家(オタルゲ)先生に沼ですよ」
「オレはちゃんと理由があって奥樽家先生のことが好きになったんです」
「奥樽家先生。また明日」
というアイビルの言葉が、爽やかなアイビルの顔と共に頭の中を巡る。
「生徒と先生。禁断の関係で、なおかつあんなイケメンに好き好き言われたら」
ピー!ピー!ピー!放送禁止クラスの下ネタを隠すように電子レンジが鳴く。
「はいはい」
立ち上がり、電子レンジからほかほかの湯気の立つパックご飯を取り出し
「あっつ、あっつ」
と熱がりながらお惣菜の隣に置く。
「いただきます」
しっかり手を合わせて口に出して言う。
「うん。やっぱ唐揚げってハズレないわ」
唐揚げを食べ、パックご飯を口に入れる。
「うまっ」
食べ進めていき
「ご馳走様でした」
パックご飯とお惣菜数品を食べて、ゴミをゴミ箱に捨てる。
唐揚げを2個ほど残しているテーブルに缶ビールを持っていく。
カップシュペリガリ。プルタブを開け、飲み口から溢れ出る泡を吸う。
その吸った勢いで一口ビールを口の中へ流し込む。
「…っはっ」
息を止めていて、ひさしぶりに吐いたように息を吐く。
「うまっ」
唐揚げをちょびちょびつまみながらビールを飲み進める。
さらに唐揚げをちょびちょびつまみながらビールをちょびちょび飲みながら
「さてーと。…あ、アイビルくんイギリス出身って行ってたし、イギリスの地理からかな。
まずはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の4国の名前と…あとは国旗だな。
…4国の名前を書き、それぞれに合う国旗を線で繋げよ。にするかな?」
と朝の小テストを軽く作った。
「…っはぁ〜…あぁ〜…美味しかった」
名残惜しいが缶ビール1本で終えることにした。
「さて明日も早いし」
とテレビを消してベッドに寝転がり、部屋の明かりを消してしばしスマホをいじる。
ポツッターで好きなアーティストの投稿を眺め、とりあえずリポツリといいねをしたりしていた。
鳥愛(とあ)の最近のマイブーム、replicestsのSheknow(シノ)の投稿が目に入る。
今日間接的にだけど、実際に私の曲をマイブームと言ってくれてた人がいたと
メンバーのAI:β(エーアイ:ベータ)から聞きました!バンザーイ\(°∀° )/
いやぁ〜(直接会ってないけど)直接そういうお声を聞けるのってありがたいことですよねぇ〜(( ˘꒳˘ *))ウンウン
「私のことか?なんつって」
と冗談を呟きながらリポツリといいねをする。そこで
「奥樽家(オタルゲ)先生、replicests好きなんですか?」
というアイビルの言葉とその後の
「…そうなんですか」
というなんとも言えない表情のアイビルの顔が思い浮かぶ。
「なんだったんだ?」
と思いながらスクールしていくとreplicestsのAI:βの投稿が目に入る。
曲作る
というだけの投稿。しかしそれにリポツリが5000越え
いいねに至っては5万を越えてなお、リアルタイムで増え続けていた。
「すごい人気。さすがはNeo Generationアイドル」
replicestsとはMyPipeで人気が急爆発したグループ名で
replica(レプリカ)の最上級という意味を持っている。グループでありながら、個々の活動を主としており
それぞれがそれぞれでとてつもない人気を誇っているものの、その姿は公表されておらず、年齢も謎。
ライブを行えば、個人のライブでも大盛況
replicestsとして集まるとなれば倍率はとんでもないことになるほどの人気だが
バラエティ番組や歌番組にも出演していない謎多き集団。ライブでもシルエットすら出しておらず
私生活の片鱗やメンバー同士の会話が聞けるのはライブやMyPipeのラジオのみ。
ネット上では「本当に存在してるのか?」とか
「ネットの中にのみ存在するネット上の存在だ」など半ば都市伝説化するほどで
ファンの中には「シルエットでも出たらファン辞める」とか
「バラエティ番組に迎合したらファン引退します」など
現在の状態のreplicestsを崇拝しているファンも多い。そんな姿も、シルエットすら表さず
本当に存在しているのかも怪しい存在から「Neo Generation アイドル」と呼称されている。
「AI:β(エーアイ:ベータ)くん、曲作るのか。なんか久々な気がする。楽しみだなぁ〜」
と眠くなるまでスマホをいじり、あくびが出たところでスマホをいじるのをやめて眠りについた。
…
「リポツリ&いいねしといたでぇ〜。曲作んのひさしぶりじゃん。どったの?」
「…。別に?」
「私のことをマイブームって言ってくれた人に関係ある?」
「あるかもね」
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