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よく晴れた日だった。遠くてウグイスが鳴くのが聞こえる。
「比奈子ー、朝だぞ」
目覚まし時計をセットしてスヌーズ機能を使っていたのに三度寝はしていただろうか。
リビングから晃の起こす大きな声で目と体が起きた。
「はーい!」
部屋に置いていた服にパジャマから服に着替えて、ランドセルの中身を確認する。
身の回りのことはほとんど自分でできた。
できないのは宿題をこなすこと。
元々、絵里香だった頃も勉強は好きじゃなかった。特に算数。掛け算割り算が始まった時から頭は回らなくなる。
いつも父の晃に聞きながら解いていた。そのかわり、国語の解き方は聞かなくてもすぐに答えられた。昔から国語は得意だった。
言葉を交わさなくても、どうにか手話や筆談でなんとかなっていた。
人生2回目もこのくらいはこなせていた。
今日は、緊張する参観日。
丁寧にプリントを交換されたあの日。見せたくなかったのに、たまたま覗いたランドセルの中を晃に見られた。
それは1週間前のこと。
夕食を食べる前に晃は言う。
「あれ、参観日あるの?」
黙って頷く。
「え、比奈子ちゃんの参観日?」
晃の実母の榊原恵子《さかきばらけいこ》は、食卓に食器を運びながら、問いかける。
晃の母親と3人で住み始めて、5年は経過していた。晃の父親は晃が最初の結婚してすぐに病気で亡くなっていた。
それまで、ずっと1人暮らしをしていた恵子は、まさか長男が帰ってくるとはと喜んでいた。
恵子は、足腰も丈夫で、ドラッグストアの店員としてパートタイムで今でも働いている。
参観日プリントをマジマジと見る。
「あれ、この日、晃、有給使って休み取った日じゃないの? 会社から言われてたんじゃないの?」
「え、どれ見せて。いつよ?」
ネクタイをほどいて、プリントを見た。
「あ、本当だ。偶然にも休み取った日じゃん。なんだ、床屋行こうと思ってたけど、せっかくだから、比奈子をしっかり見てくるかな? 参観日終わったら床屋行くから。な? 比奈子」
比奈子の頭をポンと撫でた。本当は来てほしくなかった。見なくてもいいのにと。作り笑顔で返した。
祖母の恵子もニコニコと喜んでいた。親子が仲が良くて安心していたようだ。
心の中は微妙だったが。そして、参観日当日。
何だか、食欲が無くて、朝ごはんはバナナだけで終わらせた。
手話で行ってきますと言って、ランドセルを背負った。
「比奈子、俺、見に行くからな。3時間目の算数な。楽しみにしてるから」
静かに頷いて、玄関のドアを開けた。スニーカーをトントンと蹴って整えた。
仕事着ではなくグレーのポロシャツに黒のスラックスを着ていた晃は心配そうに比奈子を
見送った。
***
比奈子は自宅から徒歩で向かった。いつも通り、紬に挨拶をされてから昇降口に着いた。
そう、また、水曜日であるにも関わらず、給食着の袋をぽふっと頭にぶつけられる。
走ってきた隆二だった。いつもより元気がない。
「ちょっと、毎回毎回。比奈子ちゃんにぶつけるやめなさいよ!!」
紬が叱ってくれる。比奈子は守ってくれる友達がいてありがたかった。
「べーっだ!!」
典型的な小学生だった。比奈子はそんなのお構いなしに教室に行った。
クラスでの隆二との関係はさっぱりしていた。
話しかけられば話すが、比奈子から積極的に会話することはなかった。
学校でしか会えないことが不満のため行動することに積極的になれなかった。
尚更、さっぱりな関係に不満を持つのが隆二のようだった。
いつも意地悪しては構ってほしい態度をあらわしている。
どうやら、今日は参観日ということもあっておとなしかった。
「みなさんおはようございます。今日は、参観日ですね。いつもの皆さんの様子をお父さんお母さんに見てもらいましょうね」
「はーい」
2時間目終わりの休み時間。ざわざわと学校中が賑やかになってきた。
晃がスリッパと保護者ネームプレートを持って、駐車場に到着していた。
「あれ、お久しぶりです。杉本美咲の母です。比奈子ちゃんパパですね」
「あ、どうも。もしかして、BBQでご一緒だった……」
果歩はまだ生きていた頃に、ママ友同士で集まってBBQしていた。
「そうですそうです。あれから5年も経ってるんですもんね。あっという間で。うちなんて長男が小学6年生になりまして今日は妹の美咲3年生クラスと2箇所に時間見てそれぞれに行かないといけないんですよ」
「お兄ちゃん、もうそんなに大きくなりましたか。あっという間ですね。2箇所回るのはお疲れ様です。あれ、お父さんとかはお休み取れなかったんですか?」
「……実は、うち、離婚してまして。シングルマザーで頑張ってます。今では、1人の方が気が楽って感じなんです」
晃は申し訳ない顔をした。
「あ、すいません。余計なこと聞きましたね。失礼しました」
「いいですよ。気にしないでください。比奈子ちゃんのうちだって、シングルファザーじゃないですか。お互い頑張りましょう。果歩も天国で応援してますって」
ニコニコと割り切ったように杉本亜梨沙は答えた。比奈子と美咲はクラスが違うため学校内の廊下でお別れした。
果歩の事情も知っている保護者で良かったと逆に良かったと安心した。
口は災いの元。あまり話しすぎに気をつけようと思った。
比奈子の教室に入ると何人かの保護者の方々が、保護者名簿に丸をして、出席リストをチェックしていた。
晃も並んで、丸をつけた。一覧表を見ると、佐々木隆二という名前が目についた。
この子も比奈子の同級生で、一緒にBBQしたママ友だと気づいた。
チャイムが鳴って、教室にそれぞれ入り始めた。
ギリギリになって、中に入ってきたのは佐々木あずさだった。
佐々木隆二の母だった。
その母の隣には、小さな女の子がくっついて歩いていた。
どこかで見たことがありそうな風貌だった。
「算数の割り算について、今日は授業をしていこうと思います。お父さんお母さん見てますからね。
頑張っている姿を見せましょうね」
先生は黒板に問題を書いて、指名をし、答えを書いてもらうという流れで割り算の勉強がすすめられた。
黒板を利用するのは昔から同じだが、黒板のとなりには大きなテレビが置かれている。
そこには、授業で使うタブレット画面が使用されている。
デジタル化が進んでこんなに便利になってるとは、時代が違うなと晃は思った。
割り算が苦手な比奈子は恥ずかしさもあるのか全然手をあげようとしなかった。
隆二といえば率先して何度も手をあげている。
指名にあたれば、答えも正解していて優秀だった。
いつもよりはりきっているなと思った比奈子だった。
授業が無事終わった。ふざけることなく、真面目に授業を受けていて晃は感心した。
ふと廊下に出るとさっきの佐々木あずさに声をかけられた。
「あら、比奈子ちゃんパパ。お久しぶりです。お元気にしていましたか? 頑張ってますね。お父さん」
「はい。おかげさまで元気ですよ。それより、その子ってもしかして、隆二くんの妹さん?」
「よかった元気そうで。果歩が亡くなって、シングルになったじゃないですか。心配してたんですよ。おばあちゃんと住むようになったって比奈子ちゃんから隆二伝いで情報を聞いて安心してました。あー、会ってなかったですもんね。そうなんです。隆二の妹の佐々木夏帆《ささきかほ》って言います。今年で3歳になりました。比奈子ちゃんママと同じ名前ですけど、夏生まれなので、夏の帆で漢字は違うんですよ。ほら、夏帆、挨拶して」
夏帆は、あずさのワイドパンツの横にしがみついてはなれようとしなかった。挨拶どころか隠れている。
晃は、異様にその子が気になった。
「そうだったんですか。隆二くん、お兄ちゃんになったんですね。かわいがるんじゃないですか?」
「全然そんなことないんですよ。とにかく、果歩はわがままで自分の思い通りにならないとすぐ癇癪おこすからお兄ちゃんタジタジで逃げ回りますよ。2歳でも自己主張激しいですよ!」
あずさは夏帆の頭を撫でて話す。ミディアムヘアのストレートでさらさらで細かった。どこかで見たことある目の下のほくろ。猫のように目が大きい。まつげも長い。ふと、晃は、夏帆の肩を触れてみた。
一瞬、走馬灯のように果歩との過去が頭の中に飛び込んできた。亡くなった瞬間の事故の現場、黒い猫が横切ったあのシーンが晃の頭の中に入ってくる。
晃の前髪がどこから吹くのか風で舞い上がった。
(まさか、この子。小松果歩の生まれ変わり?!)
「どうかしました?」
「あ、いえ、別に。なんでもないです」
「シングルになって大変かと思いますが、 何かあったら協力しますから声をかけてくださいね」
「ありがとうございます。お言葉だけ受け取ります。大丈夫ですよ。それじゃ、失礼します」
晃はあずさの横を通り過ぎようとした。頭の中に『晃』と呼ぶ果歩の声がした。後ろを振り返ると、あずさの足元で隠れていた夏帆がちらっとこちらをじーと見つめていた。
晃は生唾をごくりと飲み込んだ。
榊原 晃は、どこに行っても何をしても榊原絵里香と小松果歩から逃れられないのかもしれない。
ソウルメイトというのか死んでもまた生まれ変わって自分の前に現れる。
そういう運命なんだと現実を受け入れた。
またこの3人の取り巻く環境でそれぞれのストーリーが繰り広げられていく。
安息の地なんてどこにもない。
小松果歩は、わがままを言えなかった前世を現世は佐々木夏帆になって子どものうちにたくさんわがままを言って解消していた。
大人でも子どもでもわがままを言いたいときはある。
誰かが気づいて受け止めてくれたらどんなに楽か。世の中、そんなに甘くはない。
苦しくても今を生きて楽しむ努力をしないといけないんだと学んだ。
いつか生まれ変わってやりたかったことができるかもしれないとーーー
【 完 】