テラーノベル
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翌週。出社すると、会社の空気が少しだけざわついていた。
「営業部に中途入社ですごいイケメン入ったらしいよ」
「もう見た? やばいよ、アイドルかモデル並みじゃん」
女子社員たちが、色めき立って囁き合っている。
そんな噂は、光の速さで社内を駆け巡っていた。
(イケメン、か。まあ、僕には関わることのない人種の話だ)
そう思っていたが、昼前に営業部のシステム端末の調子が悪いと連絡が入った。
確認のために営業フロアへ足を踏み入れた瞬間、肌で感じた。
空気が、いつもと違う。女子社員たちの視線が、熱を帯びて一点に集まっているのだ。
その視線の先にいたのが──王子谷流星だった。
背が高くて、手足が長くて、顔が小さい。髪は無造作なのに清潔感があり、笑うと目元が柔らかくなる。韓流アイドル風イケメンだ。
しかも、笑顔に隙がないのに、嫌味がない。噂によると、誰にでも優しく、気配り上手らしい。
中途入社初日だというのに、彼は持ち前の明るさで、社内の雰囲気にあっという間に溶け込んでいた。
僕が黙々とシステムの更新作業をしている間も、背中で彼の爽やかな笑い声が聞こえた。
まるで彼だけが高精細な4K映像の中に生きていて、他のすべては粗い低解像度の世界にとどまっているようだった。
***
問題は、その数日後からだった。
営業事務は、営業担当との距離が近い。業務上、それは当たり前のことだ。
(当たり前、なんだけど――)
その日、営業部のフロアを通りがかった僕は、足が縫い付けられたように止まってしまった。
白石さんが、王子谷と並んで一台のパソコンを覗き込んでいる。
距離が、近い。白石さんが画面を指差してなにかを説明していて、王子谷が、その言葉を聞き逃さないようにメモを取りながら少し身を屈めて頷いている。
そして二人は、顔を見合わせて笑った。
──お似合い。
その言葉が、僕の意思とは無関係に、勝手に脳裏に浮かんだ。住む世界の違いに、僕は圧倒的な敗北感を覚えた。
白石さんの隣には、ああいう人が立つのこそが「正しい構図」なのだと、誰かに突きつけられた気がした。
ただのOJTで、業務を教えているだけだと頭では分かっている。
けれど、ざらついた不安が残った。白石さんの笑顔が、僕といるときより自然に見えたからだ。
***
その日の昼休み。休憩スペースの隅で、コンビニのサラダを一人で食べていると、数席向こうから噂話が聞こえてきた。
「白石さん、王子谷くんと仲良いよね」
「わかるー。美男美女だから絵になるよね~」
悪気のない称賛の声だった。それが、僕をじわじわと締め付けていた。
(白石さんは、彼女なのに……)
それをなんだか確認したくなって、スマホを取り出した。LINEのトーク画面を開く。
「お疲れさま」のスタンプ一つでも送れば、彼女は返してくれるだろうか。けれど、指先が迷って、画面の上で行き場をなくす。
もし、今まさに王子谷とランチに行っていたら?
通知を見て「ああ、陰キャの彼氏からだ」なんて思われたら?結局僕は、画面を閉じた。
***
その週の火曜。僕は勇気を出し、メッセージを送った。
『今週の土曜、空いてますか?』
数秒後、既読がついた。早い。いつもなら嬉しいそのスピードが、今はなんだか怖かった。
『ごめん、その日ちょっと予定があって……!』
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。指先が急速に冷えていくのを感じる。
『そうですか。了解です』
精一杯、物分かりの良い彼氏を演じる。
「何の予定?」なんて、怖くて聞けなかった。 “重い奴”になって嫌われたら終わりだ。
そんな臆病な計算が、僕の口を塞いだ。
***
土曜日、僕はどうして、秋葉原なんかに行ったんだろう。
家で大人しくスマホゲームでもしていれば良かったのだ。でも、頭の片隅に、白石さんが以前言っていた言葉が残っていた。
『ダンスとかできるゲーム楽しそう。やってみたいな~』
だから、彼女が喜びそうなゲーム機とソフトの下見に来たのだ。彼女が喜んでくれるなら、と思って。
休日の秋葉原は、人で溢れかえっていた。メイドカフェの呼び込みの声、ショップから流れるアニメのBGM。極彩色の看板たち。
普段なら安らぎを感じるオタクの “聖地”が、今日だけはやけに騒々しくて、居心地が悪かった。
そのときだった。道路の向こう側に、見覚えのある二人組が目に入った。
最初は、よく似た他人だと思った。だけど次の瞬間、心臓がきゅっと縮んだ。
白石さんだった。
水色のコートに、ゆるく巻いた髪。そして隣には──王子谷流星がいる。
二人は並んで歩き、親しげに何かを話して笑い合っている。手は繋いでいない。けれど、距離が近い。
二人は僕と違って同年代同士だし、会話のテンポも合うのだろう。
休日の街中を歩くその姿は、まるでドラマのワンシーンのように完成されていた。
“絵になる”って、こういうことだ。陰キャオタクの僕と、若くてイケメンの王子。どう比較したって、勝ち目なんてあるはずがない。
眩暈がして、呼吸が浅くなる。胃のあたりに、冷たい鉛を流し込まれたような感覚がした。
やっぱり、そうか。 彼女が僕だけを見てくれる未来なんて、バグみたいなものだったんだ。
本来起こるはずのないエラーが修正されて、正しいプログラムに戻っただけ。都合が良すぎたんだ、最初から。
(終わるときって、案外あっけないんだな)
他人事のように、そんなことを思った。
「…………終わった」
今すぐ走って追いかけようと思えば、追いつく距離だった。問い詰める権利だって、一応彼氏である僕にはあるはずだった。
でも、僕は動けなかった。足がコンクリートに埋まったように重かった。
「偶然ですね」と、声をかければよかったのかもしれない。
でも、その想像の先にあるのは、彼女の困った顔だった。
聞かなければ、まだ決定的な言葉を聞かずに済む。
見なかったことにすれば、ほんの少しだけ、恋人だった時間にしがみついていられる。
もし、彼女に「ごめんなさい」と言われたら?困った顔で「やっぱり王子谷くんの方がよかったの」と言われたら?
そんなことを想像するだけで、心が粉々になりそうだった。
二人は楽しそうに笑いながら、大型商業施設へと消えていく。あそこには、カップル御用達のオシャレなカフェや、レストランが入っているはずだ。
枯れたSEのおっさんの僕なんかより、キラキラした若いイケメン王子の方が、彼女の隣にはずっと相応しい。
(デートを断られた理由なんて、聞かなくても明白じゃないか……)
「……帰ろう」
僕は踵を返した。声をかけられなかったことより、 “声をかけないと決めてしまった自分”が、ひどく惨めだった。
自宅に帰るまでの記憶は曖昧だ。
電車に揺られながら、ふと白石さんが自分に向けてくれた無防備な笑顔を思い出して、胸が締め付けられた。
あの笑顔も、「春川さんと一緒にいると楽」と言ってくれた言葉も、全部嘘じゃなかったと思いたい。でも、現実は残酷だ。
静まり返った自室で、僕は最後の力を振り絞るようにして、スマホを取り出した。
このままフェードアウトされるのを待つのは、辛すぎる。
どうせ捨てられるなら、自分から手放したほうが、まだ傷は浅い。そんな最低な保身が、僕をなんとか突き動かした。
震える指で打ち込む。
『さようなら』
送信ボタンを押した瞬間。僕の世界が、静かに幕を閉じた。
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