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その日の昼休み。休憩スペースの隅で、コンビニのサラダを一人で食べていると、数席向こうから噂話が聞こえてきた。
「白石さん、王子谷くんと仲良いよね」
「わかるー。美男美女だから絵になるよね~」
悪気のない称賛の声だった。それが、僕をじわじわと締め付けていた。白石さんは、彼女なのに……。
それをなんだか確認したくなって、スマホを取り出した。LINEのトーク画面を開く。
「お疲れさま」のスタンプ一つでも送れば、彼女は返してくれるだろうか。
けれど、指先が迷って、画面の上で行き場をなくす。
もし、今まさに王子谷とランチに行っていたら?
通知を見て「ああ、陰キャの彼氏からだ」なんて思われたら?結局僕は、画面を閉じた。
***
その週の火曜。僕は勇気を出し、メッセージを送った。
『今週の土曜、空いてますか?』
数秒後、既読がついた。早い。いつもなら嬉しいそのスピードが、今はなんだか怖かった。
『ごめん、その日ちょっと予定があって……!』
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。指先が急速に冷えていくのを感じる。
『そうですか。了解です』
精一杯の、物分かりの良い彼氏を演じる。
「何の予定?」なんて、聞けなかった。 “重い奴”になって嫌われたら終わりだ。
そんな臆病な計算が、僕の口を塞いだ。
***
土曜日、僕はどうして、秋葉原なんかに行ったんだろう。
家で大人しくスマホゲームでもしていれば良かったのだ。でも、頭の片隅に、白石さんが以前言っていた言葉が残っていた。
『ダンスとかできるゲーム楽しそう。やってみたいな~』
だから、彼女が喜びそうなゲーム機とソフトの下見に来たのだ。彼女が喜んでくれるなら、と思って。
休日の秋葉原は、人で溢れかえっていた。メイドカフェの呼び込みの声、ショップから流れるアニメのBGM。極彩色の看板たち。
普段なら安らぎを感じるオタクの “聖地”が、今日だけはやけに騒々しくて、居心地が悪かった。
そのときだった。道路の向こう側に、見覚えのある二人組が目に入った。
最初は、よく似た他人だと思った。だけど次の瞬間、心臓がきゅっと縮んだ。
白石さんだった。
水色のコートに、ゆるく巻いた髪。そして隣には──王子谷流星がいる。
二人は並んで歩き、親しげに何かを話して笑い合っている。手は繋いでいない。けれど、距離が近い。
二人は僕と違って同年代同士だし、会話のテンポも合うのだろう。
休日の街中を歩くその姿は、まるでドラマのワンシーンのように完成されていた。
“絵になる”って、こういうことだ。陰キャオタクの僕と、若くてイケメンの王子。どう比較したって、勝ち目なんてあるはずがない。
眩暈がして、呼吸が浅くなる。胃のあたりに、冷たい鉛を流し込まれたような感覚がした。
やっぱり、そうか。 彼女が僕だけを見てくれる未来なんて、バグみたいなものだったんだ。
本来起こるはずのないエラーが修正されて、正しいプログラムに戻っただけ。都合が良すぎたんだ、最初から。
終わるときって、案外あっけないんだな。 他人事のように、そんなことを思った。
「…………終わった」
今すぐ走って追いかけようと思えば、追いつく距離だった。問い詰める権利だって、一応彼氏である僕にはあるはずだった。
でも、僕は動けなかった。 足がコンクリートに埋まったように重かった。
もし追いかけて、彼女に「ごめんなさい」と言われたら? 困った顔で「やっぱり王子谷くんの方がよくて」と言われたら?
そんなことを想像するだけで、心が粉々になりそうだった。
二人は楽しそうに笑いながら、大型商業施設へと消えていく。あそこには、カップル御用達のオシャレなカフェや、レストランが入っているはずだ。
枯れたSEのおっさんの僕なんかより、キラキラした若いイケメン王子の方が、彼女の隣にはずっと相応しい。
デートを断られた理由なんて、聞かなくても明白じゃないか。
「……帰ろう」
僕は踵を返した。声をかけられなかったことより、 “声をかけないと決めてしまった自分”が、ひどく惨めだった。
自宅に帰るまでの記憶は曖昧だ。
電車に揺られながら、ふと白石さんが自分に向けてくれた無防備な笑顔を思い出して、胸が締め付けられた。
あの笑顔も、「春川さんと一緒にいると楽」と言ってくれた言葉も、全部嘘じゃなかったと思いたい。でも、現実は残酷だ。
静まり返った自室で、僕は最後の力を振り絞るようにして、スマホを取り出した。
このままフェードアウトされるのを待つのは、辛すぎる。
どうせ捨てられるなら、自分から手放したほうが、まだ傷は浅い。そんな最低な保身が、僕をなんとか突き動かした。
震える指で打ち込む。
『さようなら』
送信ボタンを押した瞬間。僕の世界が、静かに幕を閉じた。