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幾ヶ瀬を一睨みする有夏。
冷蔵庫ショックのあまり少々おかしくなっているのだと、暴言は水に流す。
「うちの実家で20年使ってるやつが、冷凍部分だけ壊れたんだと。去年だっけな……麗華姉が来てかついで帰った。有夏のアイスが入ってたのに、問答無用ってかんじで奪われた」
「何だ、そうか。有夏のお姉さんが担いで持って帰って……え?」
急に我に返ったらしい幾ヶ瀬が眼鏡を外して瞬きを繰り返す。
ちなみに胡桃沢有夏、子だくさん一家の末っ子であるらしい。
上には有夏いわく「凶悪な姉ちゃん」が六人。
同級生だった幾ヶ瀬も、学生時代に「六華姉妹」の噂を何度聞いたか。
「麗華姉、柔道の師範だから。修行とかそういうの、ムヤミに大好きだから」
「へ、へぇ……」
「元々あの部屋、響華姉が男と住むって借りた部屋だし。家具だって有夏は1円も出してないし」
「きょ、響華姉? へぇ……」
「持ってかれてもしゃあねぇわ。有夏はとにかく逆らえない」
「へ、へぇ……」
姉弟の中での有夏のヒエラルキーの低さよ。
幾ヶ瀬は嘆息した。
仕方のないことだと妙に納得したようだ。
「で、でも麗華お姉さん? 1番上の? 柔道してるって意外だね。六華姉妹ってモデルでもしてそうなイメージなんだけど」
「あ、一番下の百華姉が……」
「ええっ、まさかモデルをっ?」
突如、幾ヶ瀬が色めき立つ。
自分で発した「モデル」という言葉に、フンスと鼻息を荒くした。
この男、得てしてこういうところがあるのだ。
「いや、地下アイドルのおっかけしてる」
「……ああ、地下アイドルじゃなくて、おっかけの方なんだ」
……どうやら興が冷めたらしい。
「お姉のヲタ芸すごいよ? キレッキレ」
有夏も箸を持ったまま、不器用な手つきで両手をあげてみせた。
「ご飯中にそんなことしないの!」
「ちぇっ」
有夏は素直に手をおろし、牛丼を一口ずつゆっくりと食べ始める。
牛丼あるなら、白いご飯っていらなくね? なんて言いながら。
「まぁいいけど。おかずをご飯の上に乗っけてソースとか染ますとおいしいし」
「……ごはんよりも肉を食べてね?」
「うんうん……ゲップ!」
腹をさすりながら牛丼を食べ進める有夏に気付いて、幾ヶ瀬は現実に立ち戻ったようだ。
「有夏、まさかもうシメにかかってない? 駄目だよ。まだこんなに残ってる」
一応すべての料理に手をつけたようだが、どれも半分以上残っている。
「有夏、いっぱい残ってるよ。もっと食べてよ!」
ご飯茶碗に盛られたミニ牛丼は何とか平らげて、有夏が首を振る。
「ムリ! もうお腹いっぱい」
「駄目だって! もう少し頑張って」
土台、この量を二人でなんて無理な話だ。
好き嫌いはなく何でも食べる有夏だが、食は細い方である。
「しょうがねぇよ。隣りのクソビッチにでもやりゃいいじゃねぇの。残飯係として」
「やだよっっ!!」
幾ヶ瀬が吠える。
「国産牛だよ? 絶対にやるもんか! 有夏に食べてほしくて買ったんだからっ」
「でも有夏、もぅ入んない」
「………………」
唐突に、沈黙。
「……今の、もっかい言って」
「なに? なんか言ったっけ。ありかもうはいんな……」
そこで有夏、ようやく気付く。
「お前、まさかこの流れでそういう……!?」
早く食べろと言う幾ヶ瀬の必死な形相が和らいだ。
かわりに、だらけた笑みに支配される。
彼の頭の中の有夏はしなをつくって「もう挿んなぁい」なんて言っているのであろう。
「有夏ぁ」
迫る顔を有夏の掌底が押しとどめる。
「お前バカだろ。メシじゃなくて有夏のこと食ってどうすんだよ!」
「有夏、うまいっ!」
「うまくねぇよ。わいてんのか!」
幾ヶ瀬は箸を置いて、本格的に手を出しにかかっている。
「ヤだよ。ヤってる間にメシが冷めましたなんて、くだらねぇオチはもうコリゴリなんだよ」
でもさ、と幾ヶ瀬が声をひそめる。
「運動したらお腹へるかもよ?」
「うんどう……」
「運動」という言葉だが、幾ヶ瀬が言うと爽やかなスポーツとはかけ離れたイメージが沸きあがるのは何故だろう。
「ヤだよ。絶対しねぇから! 有夏は食べる! あとちょっとだけなら入る」
「ちょっとだけ? いっぱい挿るくせに」
「最悪だ、コイツ」
腰に伸びた腕を、有夏は完全に無視した。
肉じゃがのジャガを頬張ってみせる。
「いいよ、食べてて」
Tシャツの裾から侵入した手が、有夏の腹の上で軽やかに踊る。
「んーっ!」
ゆっくりとに上へとのぼってくる指に、有夏が身をよじった。
「むっ……心を無にするのだ」
青椒肉絲を口に運びながら、そんなことを言っている。
「心に宇宙をえが……っ、描くのだっ」
どうやら心は無にできないし、宇宙も描けないでいる様子。