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「杏葉(あずは)……?」
「空太(くうた)……?」
杏葉は自分の名を、目の前にいる男子生徒も自分のことであろう名を口にする。
(どうして杏葉が?)
小学5年生の秋まで一緒に過ごしていた相手なのだから、知っていて当然だった。
順調に大人への階段をのぼり、身長も肉付きも男らしくなり、記憶に残っている声よりも低くなっている。それでも、面影はしっかり残っていて 安藤空太(あんどうくうた)だと確信できた。
「空太……じゃなくて、杏葉もこの高校だったの?」
「そうだよ。杏葉……じゃなくて、空太は――」
「杏葉ちゃん!」
弥奈(やな)は折れるのではないかと思うほど強く杏葉の指先を握り、会話に入り込んでくる。
「早く中に入ろう?」
「あっ、ちょっと、弥奈!」
疑問形でありながらも、すでにその足は動いていて、杏葉は引きずられるように校舎へと向かっていく。
「どうしたの、弥奈?」
「…………」
弥奈は無言のまま先導する。むこうに顔を向けているから表情を読み取ることもできない。
杏葉は引っ張られながらも振り返ると、そこには間違いなく空太が立っているのだった。
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第2話 久しぶり
「ふんふふんふふ~ん♪」
横7列あるうちの中央、最後方の席に座っている弥奈は上機嫌のようだ。
「そんなに私と一緒にクラスが嬉しかったの?」
スクールバッグを自分の席に置いてきた杏葉は、弥奈の席までやってくる。
4階にある1-4組は、これから杏葉たちが学ぶ場所。席は半分も埋まっていないが、これから一気に登校してくるだろう。
「他のクラスになったらどうなると思う体育で一緒になるかもしれないけど授業中は離れ離れになるんだよ同じ授業進行してても同じグループで話し合いや実験だってできないし退屈になっちゃうよ!」
弥奈は、ひと呼吸で説明してくれる。
「弥奈の熱い気持ちはわかったし、私も嬉しいよ」
素直に恋人に返事をして、杏葉は前方の黒板を見た。
そこには今日のタイムスケジュールが書いてある。上方に掛かっている時計を見ると着席までの時間には余裕があり、しばらく弥奈と話す時間がありそうだ。
「ねぇ、杏葉ちゃん……さっきの男の子って、いったい誰なの?」
(やっぱりその話になるよね~)
昇降口の前に掲示されていたクラス表を見て笑顔になってから、その話題に触れてなかった。でも、それは決して気にしていなかったわけじゃない。
「小学校の時のクラスメイトだよ。5年生のときに私が引っ越してからは、会ってないけどね」
「その割には、ただならぬ雰囲気が漂ってたけど」
「そう?」
「元彼なんていないって言ってたはずだけど、まさか」
「そんな関係じゃないよ」
(ちょっとどころか、かなり深い関係だけど)
そう思いつつも、言葉にしたら弥奈が取り乱す可能性があるので、杏葉は飲み込む。
「今は弥奈が一緒なんだし、浮気なんてするはずないでしょ」
「それもそうだね」
弥奈がサラッと納得するのは、杏葉が浮気するなど全く考えていないからだ。
「でもでも、あんなにチャライ男の子と杏葉ちゃんは、普通のクラスメイトじゃなかったんだよね?」
「普通のクラスメイトじゃない?」
「だって、目と目だけでどこか通じ合っていた感じがしたから……それって、仲良くしていたってことじゃないの?」
「そういうことね」
一瞬だけ、杏葉は空太との関係を知られているのかと考えてしまった。
決して他の人は知らない、杏葉と空太の秘密を。
「空太とはクラスで一番仲良しだったのは間違いないかな」
「女の子のクラスメイトとも?」
「多分ね」
「多分って、なんか曖昧(あいまい)。なにか隠してない?」
「隠しごとなんて、誰でもひとつやふたつ持ってるものでしょ」
平静に杏葉が言うと、弥奈は視線を宙に向けて、「う~ん」と声を出す。そして、杏葉を見て、
「それもそうだね」
と、眉をハの字にしながら答えた。
杏葉が弥奈と恋人関係になった最大の理由は、今回のように本当に肝心な部分については踏み入ってこないことだ。
すねたり、ちょっと気分屋だったり、正直メンドクサイと思うことはあっても、イヤがることはしない。
だからこそ、杏葉にとってはピッタリの相手だった。
「と・こ・ろ・で! 杏葉ちゃん、さっきクータって名前で呼んでいたような気がするんだけど!」
弥奈は身を乗り出してグググッと杏葉に寄ってくる。
「仲良しだったら、それくらいするでしょ? 弥奈のことだって、弥奈って呼んでるんだし」
「お互いに大切な人なんですから当然です」
「な~んで敬語になるんですか~」
「なんででしょうね~」
気が付けば、ほとんどの席が埋まりはじめている教室の一角にできあがる、ふたりだけの空間。もちろん、特別な関係であることを知っている人はいない。
同じ中学校出身なのだろうと推測するだけで、このふたりの声もBGMのひとつに感じられているだけだろう。
「げっ」
突然、弥奈は顔をゆがめた。
「どうしたの?」
「ほら、前」
弥奈は前方の黒板に向かってではなく、ドアのほうに指差す。
杏葉が振り向くと、今まさに、校門で声をかけてきた人物が入ってきたところだった。
(空太も同じクラス!?)
「なんで、あの男の子も同じクラスになるのかなぁ。クラス分けした先生に仕組まれたとか?」
「そんなことできる学校だったら、怖いを通り越して感動だよ」
そんな杏葉と弥奈のやり取りが聞こえたのか、空太は杏葉に視線を向けてきた。
杏葉はスッと顔を正面に戻して、弥奈を見る。
(私ってば、なんで逃げてるの!?)
つい反射でやってしまったこととはいえ、空太にとっては、明らかに避けられたと感じてしまうのは間違いないだろう。
「これから1年間、同じ空間で過ごさなくちゃいけないなんて、拷問(ごうもん)だよね」
全身の酸素をすべて吐き出すように、弥奈は大きなため息をつく。
「そんなにイヤなの?」
「だって、あんなにチャライんだよ? あの話しかけ方、明らかにナンパだよ?」
「たしかにそうだったけど……」
「杏葉ちゃんはカワイイから、声をかけられるのは当然のことだけど、入学式の初日に、それもロリコンの年上じゃなくて、同じ学年の男の子にだよ? ありえない!」
「そこまで言わなくても……」
「ううん、言わなくちゃだめ。こういうのはちょっと気を許したら調子に乗るんだから!」
いつになく攻撃的な弥奈に、杏葉はなんて言い返せばいいのか困ってしまう。
「杏葉ちゃんは、私がちゃんと守るからねっ!」
弥奈は杏葉の手を両手で握る。それは、まるで堅い誓いのように強く。
「い、痛いって」
「あっ、ごめん……」
手にかかっていた圧力がスッと抜けるのを感じ、杏葉は肩を脱力させる。
「でも、なにかされそうになったり、されたりしたら、ちゃんと言ってね?」
「うん、ありがとう」
生まれたてのヒナを持つように包み込む弥奈の手のぬくもりに、杏葉は心から笑みを浮かべた。
それから間もなくクラスの担当教師がやってきて、全35名の生徒が穴を作ることなく着席した。
担当というのは、担任の発表は入学式の最中に言われるからだ。これは青葉高校の伝統らしい。
黒板に書いてあるように、入学式があり、その後は教室に戻って担任から明日の連絡事項を受けて放課後となる。
今日はあくまでも入学式を行い、クラスメイトの顔を覚えること、担任を覚えることが主な目的だ。
そして今、入学式を執り行うために体育館に杏葉はクラスメイトたちとともに列になって入場してしたのだが……。
「…………」
「(なんで “杏葉” が隣の席なの!?)」
なにを基準にしたのかわからないが、隣にいるのは空太だった。
出席番号2番と32番。普通に出席番号順であれば隣になることはないはずだ。
ちなみに弥奈は4列後ろにいる。
全員合わせての礼から、吹奏楽部の音色に合わせて在校生が校歌を斉唱し終わり、校長が壇上に上がる。
整列してからずっと、杏葉は見ないようにしなきゃと思いながらも、何度も空太に視線を向けていた。
「言いたいことあるなら言えば?」
空太は壇上で話し始めた校長に顔を向けながら、杏葉にだけ聞こえる声でボソッと言った。
「わ、私は別に……」
「ふ~ん、“私” って言うんだ」
素っ気ない返しに、それは興味を持っているのか無関心なのか、杏葉は察することができなかった。
少しでも表情に変化があれば気づくだろうけど、空太はポーカーフェイスそのもの。
でも、せっかく弥奈に聞かれない場所で話せる機会だからと、杏葉は気持ちを切り替える。
「その……“杏葉” は、これまでちゃんと元気だった?」
「まぁね。っていうか、杏葉は僕じゃなくてキミだから」
(うっ、そうだった……)
「これから先、間違えたりしたら怪しまれるんだから注意しなよ」
空太の声にも表情はなく、やはり心情を察することができない。もしかすると、本当になにも感じていないのかもしれない。
どう話を続ければいいのかと杏葉が考えていると、意外にも、空太が繋げてくれる。
「僕のほうは元気だよ。家族も、とくに変わんない」
「そっか。それなら良かった」
「キミのほうは?」
「うん、パパもママもお姉ちゃんも元気だよ」
「杏葉は?」
「見ての通り、それなりに元気」
「それなりって」
(あっ、やっと笑った)
フッとした、 嘲笑(ちょうしょう)に似た笑い。でも、決してバカにしているわけじゃないのは知っていた。
小学5年生のときにも、 “杏葉” はこうやってかみ締めるように笑うことが多かったことを覚えている。
「いつ、こっちに戻ってきたの? 転校は県外だったでしょ」
「中学に入るのと同時に。小学校のときとは別の市に引っ越したから、同じ学校にはならなかったみたいだけどね」
「そう。そういえばずいぶん、仲の良い相手がいるみたいだけど、彼女?」
「えっ!?」
思わず杏葉は大声をあげてしまった。
周囲から注目を浴び、さらには長々と続いていた校長の話も中断してしまい、杏葉はすぐに頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
杏葉は四方に謝り、最後に壇上に向かって深くお辞儀した。
校長は 咳払(せきばら)いをし、何事もなかったかのように話し始める。
「……ばか」
空太にボソッと言われ、杏葉は肩を縮める。
もとはと言えば、空太が弥奈とのことを指摘するからだと思ったのだが、失態を犯したのは自分なので口にできなかった。
「まぁ、さすがに彼女を作るはずなんてないか」
追及する素振りを見せない空太に、杏葉はホッと息を吐いた。
それと同時に校長の挨拶が終わり、一同礼をする。次は、生徒会長からの挨拶だ。
「杏葉は、元に戻りたいと思う?」
「元にって、元通りにってことだよね?」
「他になにがあるっていうの?」
「そうだよね……」
元通り――それこそ杏葉と空太にとって、誰に言っても信じてくれないだろう秘密。ふたりだけが共有している秘密。
杏葉はそっと目を閉じ、空太とともに過ごした小学校生活に思いを馳せた。
第3話へ続く