コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
凪はバッサリ辞めることも考えたが、結局は暫く内勤として働くことにした。内勤の仕事は受付やセラピストのスケジュール管理、ホームページ管理などの事務職といったところだ。
対面で客と関わることはないし、セラピストとだって業務的な会話だけですむ。
仕事を辞めたところでまたこの2週間のような生活を送るのも考えものだし、また工場勤務に戻るのは嫌だった。
あんなふうにただ生活するためだけに働くほど経済的に困っているわけではない。だからといってずっと働かずにいれば貯金はその内底を突く。
それならまだわかってる業界で必要最低限働く方がマシだと思った。
「内勤か……辞めちゃってもよかった気もするけど」
「俺も考えたけど、次の仕事探すのも面倒だし、ずっと引きこもってるのも病みそうでやめた」
「まあ、たしかに」
千紘はもう少し休んだらどうかと言おうとしたが、痩せた凪を見て仕事をしようと思えただけいいかと考えた。
ちゃんと食事をする様子を見られて安堵したし、自分も凪と同じペースで食べることができて嬉しく思った。
凪を見た途端に元気が出たのは実感している。このままずっとここにいてくれればいいのに、と思わずにはいられない。
「セラピストから離れたら、また違う仕事をしてみようって思うかもしんないし」
「セラピストに戻ることはない?」
「ない。多分。オーナーはいつでもセラピストに戻ってもいいって言ってたし、俺も軽く返事したけどもう戻るつもりはないよ」
「うん。ちょっと安心した。嫌々やる仕事は神経削られるし。それに、食欲もあるみたいでよかったよ」
千紘は、空になった凪の茶碗を見て微笑んだ。自分が作った料理を完食してくれたのも嬉しかった。
「あんまり食欲なかったんだけどな。久しぶりにちゃんとしたもの食った」
「ご飯はちゃんと食べないと」
「お前もな」
「1人でいるとどうでもよくなっちゃうよね。ほんと、俺もそうだからよくわかる」
今似たような境遇にいる2人は、食卓に並ぶ皿をじっと見つめた。頭ではわかっているのだ。一緒にいればちゃんと食事がとれることも、眠れることも。
だけど、一度突き放された千紘は間違っても一緒にいてほしいとは言えなかった。
凪は満たされた腹をさすった。千紘の茶碗もあと一口で空になる。凪のために作った料理にしろ、千紘がちゃんと食事を摂ってくれてよかったと思えた。
ただ、睡眠と栄養の不足による見た目の変化はどれだけ見ても痛々しかった。自分のせいだとわかっていても、千紘が凪を責める権利はないし、凪から寄り添ってやるつもりもなかった。
ただ、腹が満たされたことによりやってくる眠気。どんなに時間があって、ベッド上にいることが多くても、しっかりと眠れるわけではない。
それはセラピストを始める前からのことだったから、今更変わらない生活だ。だから慣れているはずなのに、ウトウトと瞼が重くなってくる。
指先で目を擦ると、それを見た千紘がつられてあくびをした。同じく眠れていないであろう千紘に視線を移した凪は、彼の隣で安眠できたことを思い出す。
まだ昼間だというのに、いや、昼間だからこそ眠くなるのかもしれない。昼夜関係なく眠るようにしていたから、夜にだけ眠くなるわけでもないし、そもそもセラピストの仕事は昼夜関係なかった。
「眠そうだな」
「凪こそ」
「普段から眠れないからな。お前だって寝不足だって言ってた」
「うん。考えることも多かったしね。1日は長いのに、寝る時間はあっという間になくなる」
「でも、長すぎる時もある」
「ねー……」
そう言って千紘はまたあくびをする。今度は凪がつられてあくびをした。千紘はふっと柔らかく笑うと、立ち上がって食器を片付け始めた。
以前の千紘なら、「昼寝してく?」なんて聞いたが、今はそんなことなど言わない。千草との約束を入れた時でさえ、千紘は勝手に凪が早々に帰ると思い込んでいたのだ。
今日も食事だけしたらこのまま帰宅すると思っているに違いないと凪は考えた。
「今日もこの後予定入れてんの?」
今日は凪から先に聞いた。予定が入っていたら帰るし、入っていなかったら……。
「ううん。今日は何も予定ないって言ったじゃん」
「あ……」
千紘が電話越しに必死に訴えていたことを思い出す。恐らくキャンセルしたのであろう予定。
「凪と会った後は余韻に浸りたいと思って。誰かに会ったらもったいないじゃん」
「なんだそれ……」
何だかよくわからないことを言う千紘に呆れながらも、凪は一息つくと「じゃあ、一緒に昼寝でもする?」と尋ねた。
千紘は皿を流水にあてながら、ピタリと手を止めた。今まで通り会話ができただけでも嬉しいのに、聞き間違えかと思える内容が聞こえたのだ。
さすがの千紘も一緒に昼寝ができるだなんて期待はしていなかった。連絡をもらえただけラッキーで、会えたら奇跡だと思っていたのだ。
徐々にまた関係を構築し直していければ……そんなふうに謙虚な姿勢でいた。
それなのに、凪から昼寝の誘いをもらうことになり、思わず言葉を失った。
「……おい。なんとか言えよ」
流水の音だけが響くリビングで、凪が顔をしかめた。てっきり千紘がはしゃくようにして喜ぶものだと思っていたため、凪も拍子抜けだった。
急に誘った自分が恥ずかしくなって、言わなきゃよかった……なんて後悔する。
「す、する! 昼寝する!」
そんな後悔を途中で断裂させるほど大きな声で千紘が言った。すぐにでも返事をしなければ凪の気が変わってしまうかもしれないと焦った。
その様子に凪も仕方がない……と「やっぱりいいや」という言葉を飲み込んだ。
凪としてもいい加減体が辛かった。療養するために休職したはずが、思ったように休めなかったからだ。けれどまた千紘と一緒に眠ったら、この2週間の気怠さから解放されるかもしれないと少し光が見えた気がした。