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ああ、熱い。


手にしていたはずのティーカップがいつの間にか滑り落ち、息を呑むような破砕音が立つ。


これだけ耳につく音がしているのに、どうして誰も部屋に駆け込んで来ないのだろうか。


廊下にいるはずの護衛は何をしているのか、と問い質すつもりの言語も、まるですり潰されるように脳内で消えてゆく。


思考だけでなく、身体の筋肉も弛緩し、みっともなく床に膝をついた。


薄いナイトドレスを隔てて、確かに床の硬さを感じる。


しかしその面積が広がっていくように思うに、果たして自分はどうにか身体を起こせているのか、横たわっているのか。


ああ、それよりも、


私は戦慄く手で喉に触れた。


ああ、それよりも、ただただ、熱い。


喉が焼ける。肌に触れた指先にまで飛び火しそうな熱だ。


呻く声すら呑み込むように、刻一刻と痛みが、過熱する。


身体の内、隅々から、爛れていくような恐怖に身をやつしていると、頭上から吐息の風を感じた。


発言のために吸い込み吐き出した、たったそれだけの。


しかし私は絶望に似た気持ちで視線を上げた。


すでに朦朧としてきた意識の中にあっても、その呼吸に纏わせた声音には十分に心当たりがあったからだ。


見上げる私の目には非難の色が浮かんでいるのだろうか、それとも恐怖だろうか。


まるで問いに答えるためと言うように、僅かに身を屈め私の目を覗き込んだそれが、ゆったりと弧を描いた。


無邪気な子どものように、そして、神をも恐れぬ悪魔のように。


グエンタール国の女王・スカーレットとして生きた私が最後に見たものは、


「わたくしね、一番になりたいの」


そう言って恍惚と微笑む、妹の歪な表情かおだった。






* * *






浅い息を繰り返す。全身が重く、指先ひとつ上手く操ることができない。


どうにか目を開きたいと思うのに、どっぷりと闇に浸かったように光の欠片すら見出せない。


深淵に沈む意識が確実に死へと引き寄せられていくのを感じる。


途方もない道のりを進む感覚には、どうしてか馴染みがある。


一歩、一歩と引き寄せられるごとに、一つ、一つと手放していく。


この苦しみから逃れたい、暗闇が恐ろしい、そういった感情だけでなく、温度や感触や香りといった感覚を、一つ、一つ。


そうやって手放しながら死へと向かう中、ふいに風を感じた。


爽やかな春風のようなものではない。


纏わりつくような憎悪と嘲笑に押し出された、私を貶める吐息だ。


「あら。まだ頑張っていらっしゃるの? お姉様」


無邪気な子どものような、


「早く逝ってしまえばよろしいのに」


そして、神をも恐れぬ悪魔のような、



私を、


遥か遠い死地から、


呼び醒ます声だ。





ぴくり、と指先が跳ねる。けれど目の前の悪意は気づかない。


残念ね、と呟いて身を翻す。


まるでその心を表すように粗雑に閉められた扉の音が、最後の一つを取り戻すように響いた。



指先からじんわりと温度が走ってゆく。


それに押し上げられるように、ゆっくりと瞼を開き、力を込めて、声帯を震わす。


「――全く、最悪の目醒めね」




* * *




死の淵から舞い戻った私がまず初めに目にしたものは、見覚えのない室内だった。


間取りも広さも、家具も調度品も、私の知っているそれではない。


一体どういうことかと思いながら首を巡らせる刹那、視界を掠めた銀の筋に瞬く。


ほぼ反射の動作でその筋を掴んだ。


己のものだと思われる髪が、よく知るブロンドではなく、シルバーに染まっている。


室内の明かりは落とされているが、今は朝なのだろう。カーテン越しに差し込む白い光が視界に入るすべての色を正しく伝えている。見間違いではない。


脳が混乱の渦を巻き始めるのと同時に、扉がささやかにノックされた。


しかし部屋の主である私からの返事を待たずに開けられたところを見るに、恐らく端から返事を期待していなかったものと思われる。


案の定、部屋に入って来たメイドが、ベッドで上半身を起こして座っている私を見るなり、ひっと悲鳴じみた声を上げた。


「お、お嬢様……!? お目覚めになったのでございますかっ、大変、お、奥様……!」


言うなり踵を返し、廊下を駆けていく。


開け放たれたままの扉を呆然と見つめ、一体この無作法なメイドは誰がいつ雇い入れたのだと思いながら、今のたった一言を反芻する。


あのメイドは私を見て何と言った?


そうだ、確かに「お嬢様」と呼んだのだ。






バタバタと忙しない音がいくつも重なり、なだれ込むように部屋に入って来た面々に、騒々しい、と、眉間に皺を寄せて注意をしようと思った私の出鼻を挫いたのは、まさに目の前に連なる面々だった。


メイドはおろか、明らかに身分ある者だとわかる人間に至るまで、誰一人にも見覚えがない。


混乱の渦が強く巻きつくのを感じていると、その中の一人、一等身分が高いとわかる男が、先程目にしたものと同じシルバーの髪と、僅かに乱した息とを整えながら近づいて来る。


「グレイス……目が覚めたのか」


たったそれだけの言葉だったが、紛うことなき安堵を含む。


そうしてベッド脇の椅子に座り、同じ高さで目を合わせる。


その藍色の瞳を見つめると、急激に何かが胸に込み上げて、


「お父様……」


と、応えた。


口をついた呼び名に、私はとうとう混乱を極めたのを自覚した。


お父様? 馬鹿な。私の父はとうに――


「あなた、そろそろ登城のお時間ですわ。後のことはお任せになって」


いつの間にか近づいて来ていた女が促す。


「ああそうだな。早急に医者を呼んで診せるように。ダルトン、騎士団には引き続き捜査を徹底するように伝えろ」


端的に指示を出し、承知の意を示す家令を一瞥してから、再び視線を寄越す。


微かに言葉を選んだ気配がしたが、届いたのは「大事にするように」という、ひどく簡素な言葉だった。


しかし頭で思う感想とは違い、心はじんわりと温かくその言葉を受け止めた。


何だ、これは。


異常を感じながら、自身が父と呼んだ男が、全員から丁重に送り出されているのを見つめる。


そうして家令とメイドの一人が一緒に出ていくのを見届けてから、「さて」と空気を仕切り直すように先程の女が口を開いた。


その瞬間にざらり、と不快な空気に変わったのを肌で感じて、私はいよいよ己がおかしくなったのだと思った。


だってそうだろう。おかしくなったのでもないなら、これは何だと言うのだ。


女がさっきまでの良妻の顔を引っ込めて、今はそのギラギラと派手なドレスにも負けぬ激しい厭悪えんおの顔で私を見下ろし、その表情にはおよそ似つかわしくない柔らかなアーモンド色の瞳を歪める。


「ああ、お前は本当に無能ね」


そう言った女が、見知らぬ女のはずが、いつもこうして私を蔑む、継母・サンドラだとわかるのだ。そして。


「あらお母様、そんなこと今に始まったことではないじゃない」


声音と同じだけ軽やかに躍り出て、同じアーモンド色の瞳を不思議そうに丸くする。


「でも本当に、どうしてお姉様は何もお出来にならないのかしら。せっかく毒を飲まれたのだから、皆が望む通りにそのまま逝ってしまえばよろしかったのに。わたくし、一生懸命に祈って差し上げていたのよ? グレイスお姉様」


鮮やかなブロンド、レースをふんだんにあしらった豪華で可憐なドレスに身を包み、少女とも呼べる程に愛らしい容姿で、まるで空はなぜ青いのかと問う子どものように『なぜ』を問うた。


いつもと変わらず私を嘲り、私を死地から呼び戻した存在は、ああ言わずともわかる。義妹のリネットだ。



そうだ、私はおかしい。


そうでなければ、祖国を治める女王であるはずの私が、他国の公爵令嬢グレイス・ベックフォードとして生きているのだとは、およそ理解することはできなかっただろう。





あまりのことに閉口すると、それを病み上がりが故ととったのか、元来の性格ととったのか、いずれにせよ鬱陶しそうに眉間に皺を寄せ、サンドラが踵を返した。


虫の居所が悪いらしく、夫に任せておけと宣った口でメイドを呼びつけ、「医者に診せておきなさい」と指示を出す。


そのまま振り向きもせずに退室していく母を追い、リネットも部屋を後にする。


メイドも医者を呼びに行ったのだろう、あっという間に一人になった部屋で、私は混乱を吐き出すように頭を振った。


一体、何がどうなっているのだろうか。


ひどく気分が悪い。


水でも飲もうと思ってサイドテーブルに向くが、手を伸ばしても届かない位置に水差しがある。


出来の悪い仕事に微かな憤りを感じながら、私は水差しを取るためにベッドから足を下ろす。


身体を寄せてコップに水を注ぎ、ようやくありついた一口に、深い息を吐いた。


しかし気分の悪さは拭い切れず、私は空気を入れ替えるために立ち上がり、窓へと向かった。


スリッパ越しに感じる絨毯の感触に、妙に不思議な気持ちになった。


もっと冷たいと思っていたのだ。


どうしてそう思ったのかを考えると、チリ、と胸の奥が軋む。


私は、今はその理由を追及するのはやめて、カーテンを引き、窓を押し開いた。


そして眼前に広がる景色を見て、私は己の目を疑った。


「これは……!」


目の前にあるのは祖国の地ではない。この屋敷の敷地だろう、随分と広い庭だ。


門へと続く石畳の脇に豊かな色彩が並ぶ。私が好んだ城庭とは異なるが、庭師の腕が光る見事な仕上がりだ。


そして、門の外の道には何台かの馬車が走っているが、遠目に見てもその細工の巧みさに目を瞠る。


ただ贅を尽くしたのとは違う、確かな技術を感じる。


それらが走る道々に、迎える街に、例えようのない輝きと活気がある。


これは私の国ではない・・・・・・・・・・。それどころか、私の知る時代のものでは到底ありえない。


私は、はっとしてすぐにサイドテーブルに引き返し、掴むように呼び鈴を鳴らした。


すぐに反応が得られず、焦れるように二度、三度と鳴らした。


程なくして、何やら物言いたげな表情でメイドが一人やって来て、用件を尋ねてくる。


「お嬢様、お呼びでございま――」


「今日の新聞を」


言葉を遮られたメイドが微かに眉を顰めたが、それについてはどうでもよい。


「早く」


急かすように告げると、黙ってお辞儀をしたメイドが一旦下がり、しばらくして要望通りに新聞を持って来た。


ひったくるようにそれを受け取り、印字された日付を見る。


西暦を確認して、私は瞳孔が開くのと同時に、この違和感に答えを得た気持ちになった。




ここは祖国グエンタールではない。それどころか、私が統治していた時代でもない。


そこから三十年の時が流れた、隣国アドニスの地だ。


一体どのような神の思し召しか、数奇な運命か。


理由など考えて出るものではないが、私はどうやら、この国の公爵令嬢グレイス・ベックフォードとして生まれ変わったらしい。


「はっ……」


理解に及んだ途端、自嘲の笑いが漏れた。


生まれ変わった体に、今再び女王としての意識が蘇るとは、いくら運命の悪戯と言っても遊びが過ぎるのではないか。


妹に毒を盛られて死した前世の記憶を、大事に携えよと言うのか。



ああそうだ。



震えた手から新聞が滑り落ちる。


その感覚が、いつかの記憶と重なり。



ああそうだ、



「……私は殺されたのだったわね」


私はそう呟き、震える手の平を見つめた。





女王陛下の壮麗な復讐

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