岩崎に説教された月子は、しょんぼり俯いた。
言われている事は何か違うような気もしたが、月子が皆の前で失態を晒したのは間違いない。
「申し訳ありません。人前で……」
少し離れた所から、か細い声が詫びてくる。
「あっ!御母上!」
月子の母が、日当たりの良い場所に椅子を置き腰かけていた。
「いえ、な、なにも、月子が、いえ、その、お嬢さんが悪いわけではなく、その、なんです、あの、あっ!!こ、これは!失礼しました!」
岩崎は、月子を引き起こすために握っていた手を慌てて離した。
「あ、あの、母さんも、皆と唄を聞いていて……」
月子も母の手前照れ隠しというべきか、岩崎へ語るごとで、恥ずかしさから逃げようとしている。
もじもじとしている二人に、使用人達から失笑が起こった。
いやはや、まったく、と、三田がニヤニヤしながら呟いている。
皆、岩崎と月子の仲が気になるようで、揃ってニヤついた。
「まあ、なんですなぁ。仲良き事は良いことで。更に絆を深めるということで、チェロをご用意いたしました」
何が言いたいのか、はたまた、何が目的なのか、執事の吉田が言葉通りチェロを持ち、何処からともなく現れた。
「京介様は、奥様のご指導ということで……」
吉田は、周囲を見回す。
その一言で、使用人達は散り散りになり、各々の持ち場へ向かっていった。
つまり、吉田は、芳子の相手を京介に任せ使用人達を解放したのだ。
芳子の相手をなぜ?!と、岩崎は言いかけるが、使用人達には仕事があり、芳子の相手をしている場合ではない。
岩崎は、兄の男爵が、吉田がお冠で困っているとぼやいていた事を思い出した。
仕方なし。と、岩崎も割りきり、吉田からチェロを受け取った。
それではと、芳子の伴奏者になるかと、用意された椅子に岩崎は腰かけチェロを構えるが……。
月子が、皆の列に混じって去って行こうとしている。
「月子!!」
岩崎の叫びに月子は立ち止まり振り返った。
「月子!何処へ行くつもりだ?!」
岩崎に、大声で呼び止められ、月子は一瞬ひくりと体を揺らし、答える。
「あ、あの、お世話になるのでしたらやはり、お手伝いを……」
「なっ?!そんなことにまで、気を回さなくてよろしいっ!!それより、月子は、聞いていかないのか?!」
好きな曲を演奏するという岩崎の申し出に、月子は驚いた。
「あ、あの、私も、よろしいのですか?」
「当たり前だろう?さあ、好きな曲を言いなさい」
「奥様……」
吉田がこっそり芳子を呼んだ。
「あっ!私は、演奏会のドレスの用意をしなくちゃいけないわ!吉田!いらっしゃい!」
芳子が、慌てて立ち去る。
残された岩崎は、訳がわからぬという顔をしつつ、
「ああ!御母上も是非!」
と、女中に手を借りて席を立とうとしている月子の母を呼び止めた。
岩崎なりの義理立てという意味合いもあったが、なんとなく、月子と母を、一緒にいさせた方が良いのではないかと思ったのだ。
「桃太郎!!」
そこへ、お咲が岩崎にねだるように叫んだ。
「ああ!そうだ!旦那様!お咲ちゃんは、ずっと伴奏無しで唄っています。本番は、確か中村様が、伴奏してくださるのですよね?それで一緒に練習を……」
バイオリンとチェロの音は、異なると月子にもなんとなく分かってはいたが、一度も伴奏なしで、中村といきなり練習するのもどうなのだろと、月子は気になっていた。
楽器は異なるが、中村との練習に入る前に、一度くらい伴奏者付きで桃太郎を唄っていてもよいのではないかと月子なりにお咲の事を心配しての事だった。
「……なるほどなぁ。それもそうだなぁ。その方が練習の時にごたつかないかもしれんなぁ……」
フムフムと納得している岩崎の姿に、月子の母に寄り添っている女中がクスクス笑う。
「まあ、本当に仲がおよろしいことで!」
「月子、よかったね。岩崎様に大事にされているようで、母さんも嬉しいよ」
「いや、それは、御母上、当然の事です!月子とは恋仲になりましたので!」
岩崎の大きな声が中庭に響き渡った。
たちまち、月子は顔を真っ赤にして俯いた。
月子の母と女中は、一瞬、ぎょっとしたが、すぐにクスクス笑いだし、なかなか止まらない。
その様子に、岩崎は、あっ!と叫び、見合いをしたら当然そうなるなどとモゴモゴ言って、お咲!と、叫んだ。
「桃太郎だ!!」
コホン、と、はずかしを紛らわす為か、岩崎は空々しく咳払いし、弓を握った。
「は、はいっ!!」
呼ばれたお咲は、キリリと顔を引き締め、桃太郎を唄う気満々になっている。
「で、では、お咲による、新解釈桃太郎を」
岩崎はゆっくり弓を滑らせた。
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