「それにしても、岩崎様は凄い方だねぇー」
布団で横になる月子の母が言った。
「御屋敷の皆、京介様の演奏を楽しみにしているんです。月子様は、幸せだわ!好きな時に、好きな曲を演奏してもらえるんですから!」
枕元で、茶を入れながら月子の母の世話係──、女中の梅子が月子へ羨望の目を向ける。
あれから岩崎は、チェロで桃太郎を演奏したが、お咲は芳子の唄ったオペラが気に入ってか、あーあー、無駄な高音を出し続けた。
それはそれで、凄いと月子達は思ったが、岩崎は激怒する。
子供らしさあっての桃太郎なのだと言い張る岩崎は演奏を中断してしまい、お咲は、その剣幕に泣き出す始末。
月子は、芳子の真似をしていただけではと、なんとか取り繕って岩崎をなだめた。
すると、岩崎は突然、中断していた桃太郎の独奏を始めた。
聞いたものをお咲は真似する。ならば、このまま演奏すれば、普通の桃太郎になるのではないかという言い分だった。
「でも、桃太郎が、あんな素敵な曲だったとは、びっくりしましたよ!」
梅子が、月子へ茶を渡しながら言った。
「梅子さんのいう通りだわ。西洋の音楽かと思ったもの」
月子の母も、梅子の言い分に頷いている。
母と梅子のやり取りに、月子は少し誇らしくなった。
自分が誉められた訳でもないのに面映ゆくなり二人への返事もどぎまぎしてしまう。
「いやだわー!本当に、初々しいことで!」
月子の様子に梅子が、カラカラ笑っている。
「月子!月子!」
そこへ、岩崎の声が響いて来た。
「あらまっ!噂をすれば!」
梅子は必死に笑いを堪えている。
「月子!いるかっ!」
何か切羽詰まった岩崎の大声が響き渡った。
「お咲が、飽きてしまって練習を拒むのだ!今度の日曜だぞ!時間がないのに!」
ドタドタと廊下を歩く足音がして、チェロを持った岩崎が現れた。
「こちらへ来ていると聞いて……」
そこまで言うと、場の雰囲気を察したのか、岩崎はあっと小さく声を上げた。
「申し訳ありません!御母上とご一緒のところをお邪魔してしまい!」
月子は、別宅に当たる和式家屋にいると聞かされやって来たのだと岩崎は言い訳している。
「お咲ちゃんの事で、なんで、京介様が月子様を追っかけて来るのですか?」
梅子が、遠慮なく岩崎へ尋ねた。
それは、月子も不思議に思った。取りあえず演奏が終わり、後は、お咲の特訓だと岩崎は張り切った。
月子達は遠慮し、別館にある母の養生の間で、休息していたのだ。
そこへ、岩崎が現れた。
梅子に、鋭い一言を言われた岩崎は、
「いや、そ、それは、月子とは、恋仲だから……」
などと、訳のわからない理由を言って、あつ!と、叫び恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「こ、恋仲っっ?!」
梅子が驚きからすっとんきょうな声を出す。
「まあ、それは……」
月子の母も、驚いて月子を見た。
月子は受け取っている湯飲みを落としそうになりながら、俯いた。
「あっ!いや!なんだ!そのっ!そ、それは、その!気分転換に、御母上!チェロの演奏はいかがですかっ!」
恥ずかしさを紛らわす為か、岩崎は、いっそう大きな声を出す。
あらまあ!と、月子の母は嬉しそうにし、梅子は側でキャッと喜んだ。
「すまん!梅子!椅子を持って来てくれ!」
はいはいと、返事しながら梅子は、
「京介様!どうせなら、恋仲の歌とか、曲とか、無いのですか?」
「う、梅子!!」
からかわれたと、岩崎は照れながら梅子を注意する。
キャーと、空々しい悲鳴を上げて梅子は椅子を用意する事で部屋を出ていった。
「月子、よかったね。岩崎様と恋仲になれて」
こっそり、月子の母が言う。
床《とこ》についてはいるが、その表情は、西条家では見たこともない朗らかなもので、月子は嬉しくなった。
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