テラーノベル
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本編軸。珍しく女体化じゃない。珍しく。
太宰が「自分はマグロなのかもしれない・・・」ってなる話。
自己肯定感低い太宰=神 ・・・ここテストに出ます(大嘘)
窓の外では、ヨコハマの街が宵闇に溶け始めていた。武装探偵社の事務室内は、定時を過ぎてなおキーボードを叩く音と、淹れたての珈琲の残り香が微かに漂っている。
太宰治は、ソファに深く背を預けたまま、手元のスマートフォンの画面を虚ろな目で見つめていた。指先が、何気なく流れてきたSNSのタイムラインに並ぶ、脈絡のない単語の羅列をなぞる。その時、ふと、ある単語が網膜に引っかかった。
「……マグロ?」
声に出して呟いてみる。食卓に並ぶ刺身の王様のことではない。文脈から察するに、それは男女の……あるいは男同士の、密やかな営みにおける「隠語」としての響きを帯びていた。
太宰は、自身の知識の海をさらってみる。死に至る手法や毒物の配合、敵対組織の動向については辞書を引く必要もないほど精通している彼だったが、こと「世俗的な愛の戯れにおける俗称」に関しては、案外と疎い部分がある。
「満を持して、調べてみるとしようかな」
軽い好奇心だった。あるいは、ただの暇潰しだったのかもしれない。検索エンジンにその二文字を放り込み、表示された解説を読み進める。
──マグロ。性交時において、自ら動かず、反応が薄く、相手にされるがままの状態であること。
「…………」
太宰の思考が、一瞬だけ停止した。
画面をスクロールする。そこには、残酷なまでの「現実」が書き連ねられていた。
──マグロなパートナーは飽きられやすい。
──相手に「義務感」を感じさせ、最終的には愛想を尽かされる原因になる。
──捨てられる確率、ナンバーワン。
無機質なデジタルフォントが、太宰の胸を鋭く突き刺した。
脳裏をよぎるのは、ヨコハマの安マンションで共に暮らす、小柄で、それでいてあまりにも眩い光を放つ恋人の姿だ。中原中也。元相棒であり、今は最愛の同居人。
彼との夜を思い返す。中也はいつだって情熱的で、献身的だ。太宰の肌を慈しむように撫で、熱い吐息を溢れさせ、名前を呼び続ける。対する自分はどうだろうか。
中也の腕の中で、自分はただ蕩けるような快楽に身を任せ、されるがままに……文字通り、横たわっているだけではないか。
「……飽きられる。捨てられる」
その言葉が、心臓の奥で嫌な音を立てて反響した。
今の太宰でいい、今の太宰がいいと、中也は笑って言ってくれる。重力使いの強靭な腕で抱きしめられるたび、自分はこのままこの腕の中で腐っていっても構わないとさえ思う。
だが、もし中也が心根のどこかで、反応の乏しい自分に物足りなさを感じていたとしたら?
もし、彼がいつか「もっと反応の良い相手」を求めて、自分の元を去っていくのだとしたら?
「……いけないね。これは、非常にまずい」
太宰はスマートフォンを伏せた。
その顔は、普段の飄々としたそれではなく、まるで国家存亡の危機に直面した軍師のような、悲壮な決意に満ちていた。
今日、このまま家に帰って、いつものように中也の顔を見る勇気がない。玄関を開けて「おかえり」と笑う中也の瞳に、自分への失望が混じっているのではないかと疑ってしまう。
「国木田君! 溜まっていた報告書、全部今夜中に終わらせることにしたよ!」
「……はあ!? 貴様、明日は天変地異でも起こるつもりか!」
驚愕する国木田の声を背に、太宰は狂ったように万年筆を走らせ始めた。
帰宅を遅らせるための口実。そして、自分を律するための苦行。
中也が寝静まる頃を見計らって帰る。そう決めた太宰の背中は、どこか震えているようにも見えた。
時計の針が深夜二時を回った頃、太宰は静かに自宅の鍵を開けた。
リビングの明かりは落とされ、寝室から微かな寝息が聞こえてくる。中也は、明日の任務に備えて先に眠りについたのだろう。
太宰は音を立てないように靴を脱ぎ、泥のように疲弊した体をソファに投げ出した。仕事の疲れではない。一日中「マグロ」という単語と、それに付随する「別れ」の恐怖に晒され続けた精神の摩耗だ。
翌朝、目が覚めると、視界の端に中也の姿があった。
「あ、起きたか。珍しく残業なんてしてたから、死んでんのかと思ったぜ」
キッチンで朝食の準備をしていた中也が、フライパンを揺らしながら振り返る。いつも通りの、飾り気のない、温かな声。
「……おはよう、中也」
「飯、食うだろ? さっさと顔洗ってこい」
中也の態度は、昨日までと何一つ変わらない。太宰は鏡の前で自分の顔を見つめ、一つ深呼吸をした。
今日は休日だ。そして、二人の間で暗黙の了解となっている「予定」がある。
お互いの翌日が多忙でない限り、彼らは肌を重ねる。それが、言葉に頼らない彼らなりの愛の確認作業でもあった。
(……やるしかない)
太宰は固く拳を握った。
中也に飽きられないために。捨てられないために。
自分は「マグロ」を卒業しなければならない。
昼下がり、カーテンを閉め切った薄暗い寝室。
シーツの擦れる音と、重なり合う体温。
中也の指先が、太宰のシャツの隙間から滑り込み、柔らかな肌をなぞる。いつもなら、太宰はこの時点で思考を放棄し、中也の導くままに目蓋を閉じるところだ。
しかし、今日の太宰は違った。
「っ……あ、……ん、ちゅう、や……」
中也が首筋に唇を寄せた瞬間、太宰はわざとらしく、それでいて必死に声を上げた。
中也の動きが一瞬、止まる。
「……太宰?」
「な、に……? 続けてよ……中也……」
太宰は中也の背中に腕を回し、爪を立てるようにして彼を引き寄せた。ネットで見た「積極的な反応」を必死に脳内でシミュレートする。
腰を少し浮かせてみたり、耳元で熱い吐息を吐き出してみたり。喉を震わせ、いつもより数段高いトーンで甘い声を絞り出した。
中也は、どこか訝しげな表情を浮かべて太宰を見つめていた。
その青い瞳には、戸惑いと、隠しきれない違和感が宿っている。
だが、中也は何も言わなかった。ただ、太宰の髪を優しく梳き、いつもより少しだけ慎重に、けれど最後まで、力強く彼を抱き上げた。
嵐が過ぎ去った後のような、静謐な時間。
行為の後の心地よい倦怠感と、無理に声を出し続けたことによる疲労。
太宰の意識は、半分ほど夢の中に溶け出していた。視界は霞み、中也の声が遠くの方で鳴っているように感じる。
「……おい、太宰」
後処理を終え、ベッドに戻ってきた中也が、隣に横たわって太宰の顔を覗き込んだ。
中也の大きな手が、太宰の頬を包み込む。その体温が心地よくて、太宰は猫のようにその手に顔を寄せた。
「……んぅ……なに……中也……」
「おめぇ、今日……なんか変だったぞ」
中也の低い声が、太宰の鼓膜を微かに震わせる。
「……何が……」
「何がじゃねぇよ。……どっか具合でも悪いのか? それとも、俺がなんか気に食わねぇことしたか?」
その問いに、太宰の心臓が跳ねた。
意識は朦朧としている。脳の防衛本能が低下し、普段なら張り巡らせているはずの虚飾の壁が、ボロボロと崩れ落ちていく。
「……べつに……なにも、ないよ……」
言葉を詰まらせ、視線を泳がせる。嘘をつく時の、太宰らしくないぎこちなさ。
中也は「むむ」と眉を寄せた。
「嘘つけ。おめぇ、さっきからずっと変な声出して、無理に動こうとしてただろ。……隠し事か?」
「…………っ」
中也の指先が、太宰の脇腹や腰のあたりを、くすぐるように、それでいて愛撫するように這い回る。
「言えよ。言わねぇと、朝まで寝かさねぇぞ」
「……あ、……や、め……中也……っ」
逃げ場を奪われ、甘い責め苦に晒された太宰の口から、ついに、せき止めていた思いが溢れ出した。
「……マグロ……だったから……」
「はあ? マグロ?」
中也の手が止まる。
太宰は、涙で潤んだ瞳を上向かせ、消え入りそうな声で白状した。
「……調べたんだ。……私は、いつも中也にされるがままで、自分から何もしないから……。それは、マグロって言って……一番、相手に飽きられやすくて、捨てられやすいんだって……」
「…………」
「だから……中也に飽きられたくなくて……捨てられたくなくて……頑張って、声……出したのに……」
言い終えると、太宰は恥ずかしさのあまり枕に顔を埋めた。
プロの探偵、元ポートマフィアの最年少幹部。ヨコハマを裏から操る智略の天才が、ネットの恋愛コラムに踊らされ、恋人に捨てられないために必死で「演技」をしていたのだ。
中也は一瞬、絶句した。
そして、あまりの滑稽さと、それ以上に愛おしさが爆発しそうになり、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
ここで笑えば、この繊細すぎる恋人は今度こそ立ち直れなくなる。太宰がどれほど真剣に、どれほど自分との関係を終わらせたくないという「恐怖」に怯えていたのか。その必死さを思えば、笑うことなんてできなかった。
「……はぁー。おめぇなぁ……」
中也は大きくため息をつき、太宰の体をまるごと抱き寄せた。
腕の中で丸まっている太宰は、どこまでも頼りなく、脆い。
「……ねぇ、中也。……私は……女の子みたいに柔らかいわけでも、細いわけでもないけれど……」
太宰が、枕に顔を埋めたまま、掠れた声で問う。
「……捨てない……?」
その問いに含まれた、あまりにも純粋な不安。
中也は、太宰の背中を、大きな子供をあやすように優しく、ゆっくりと撫でた。
「ばか言ってんじゃねぇ」
中也は太宰の耳元に唇を寄せ、断定するように言い切った。
「おめぇがマグロだろうが、なんだろうが、関係ねぇよ。俺は、俺を受け入れてる時のおめぇの顔が、一番好きなんだ。……無理して声出したり、媚びたりしなくていい。俺がおめぇを抱きてぇから抱いてんだ。飽きるわけねぇだろ、手がかかりすぎるくらいが丁度いいんだよ、おめぇは」
「……ほんとうに……?」
「ああ。嘘じゃねぇ」
中也は太宰の額に、慈しむような口づけを落とした。
「今の太宰がいいんだよ。……何もしねぇで、俺に全部預けて、蕩けてるおめぇが。……もしおめぇが変化したとしても、それはそれで楽しんでやるけどな。でも、不安になる必要なんて、一ミリもねぇ」
太宰は、中也の胸に顔を押し当てた。
中也の心音。自分と同じ、けれど自分よりも力強い、生きた証。
その音が、太宰の凍えていた心をゆっくりと溶かしていく。
「……中也は、優しすぎるね」
「優しくねぇよ。……惚れた弱みだ、諦めろ」
太宰は、ようやく安堵したように深く息を吐き出した。
中也の腕は、どんな鎖よりも強く、どんな羽毛よりも柔らかく、太宰をこの世界に繋ぎ止めている。
「……じゃあ……次は、無理しない」
「おう。ありのままでいろ」
中也は太宰の髪を指先で弄りながら、ふっと口角を上げた。
「……ま、さっきの『あ、ん……』って声も、面白かったけどな。あれはあれで、新鮮だったぜ?」
「……! それは、もう忘れて!」
「ハハッ! 無理だな。一生分、録音しときたかったくらいだ」
冗談めかして笑う中也に、太宰は「酷いよ」と小さく毒づきながら、けれどその腕から離れようとはしなかった。
窓の外では、ヨコハマの街に静かな夜が訪れている。
二人の間に流れる時間は、不格好で、不器用で、けれどこれ以上ないほどに満たされていた。
太宰は、中也の腕の中でゆっくりと目を閉じる。
もう、無機質な検索結果に怯える必要はない。
自分の価値を決めるのは、画面の向こう側の誰かではなく、今、自分を抱きしめているこの男の熱量なのだと。
「おやすみ、中也」
「ああ、おやすみ。……明日も、ちゃんと起きろよ」
微かな眠りの縁で、太宰は微笑んだ。
明日も、明後日も。この不器用な愛の形は、続いていく。
コメント
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気にしちゃう太宰さん凄いかわいい