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玉雨:名を狐目
狐の面をつけた呪術使いの青年
春菜:姓を益山(仮名)
親を亡くしその記憶をなくす少女
益山夫婦にかわり玉雨に身を預ける
ーいつの頃だろう。
「母様!見てください、綺麗な桜ですねぇ。」
「母様!家の近くに、こんなにも立派な滝があるのですね!」
はしゃぐ子供の隣で、柔らかく笑う、
細身の女性。「お前の名は、この二つのものから頂いたものなのですよ。「桜滝」とかいて、「–」と読む、大切な、お前の名を。」
ふわふわと、雲のような声で、自分の名のことを話してくれる。
「父上!これは、なんという魚なのですか?」
「これはね、鯛という、人生の中でもめでたい時にいただく魚だよ。ほら、桜滝も生まれ日で見たことあるだろう?」
「うんっ!」
興味を示している姿に、嬉しそうに話す、細身だが気迫のある男性。父上、これは?と、キラキラした目で子供が問う。
「あぁ、水槽で泳いでいる魚かい?それは、父さんと母さんも好きな魚だよ。名前は、ルリスズメダイというんだ。ほら、青く光って、綺麗だろう?」
そう言って微笑む「父上」に、柔らかい春の陽の光が注ぎ込むのだった_。
_夢を、見ていた。また家族と微笑ましくいた頃の夢だ。目覚めた今でも、あの暖かい陽の光の感覚が残っている。あの夢を何回見て、何回頬を濡らしているだろう。それが乾燥した肌がチリチリと痛む。おかげで、自分の名前や家族はあんな風だったと、忘れることもできないのだが。
「春菜さん?起きていますか?」
「もし起きていたら、朝食を摂りなさい。頭も早く覚めるだろう。」
紅葉さんと,椋さんの声。その声で、あぁ、私はいま『春菜』だった、と再認識する。
2人は、私、益山春菜の、今の保護者である。
洗面所でうがいを済ませ、顔と手を洗いリビングへ向かう。そこにはすでに、エプロン姿の紅葉さんと、朝刊を読む椋さんの姿があった。
「おはようございます。」
「おはよう、春菜さん。今日もよく眠れたかしら」「はい、おかげさまで。」
「味噌汁、温めておいたから、早めに頂いてください。」
「はい、ありがとうございます。」
「いただきます。」軽く挨拶を済ませ、座布団に腰掛ける。朝食は、ご飯に味噌汁に、だし巻き卵に焼き魚。シンプルな和風の、春菜にはちょうどいい食事だった。
自分の箸を動かす音。紅葉さんがお皿を片付ける音。椋さんが新聞をめくる音。
朝には、たくさんの『落ち着ける音』がある。
春菜が少しずつ朝食に手をつけているのを見計らい、椋さんが朝刊をぱさりと置き、春菜の目を見て口を開いた。
「ーそういえば、春菜。土曜の朝からわるいようだが、少し話すことがあるんだ。」
、、珍しい。
普段からあまり話すこともない椋さんが、こんなにも早く話を切り出してくるなんて。春菜を見つめるその目には、いつもの穏やかな椋さんにはない、真剣な光を宿していた。紅葉さんも、椋さんの空気を感じ取ったのか、静かに椅子に腰を降ろしていた。動きが、時間の流れが、異様に早く感じたのは、気のせいだろうか?
「できるだけ多く話しておきたいんだ。
だから、今日は部活が終わり次第、早めに帰るようにしてくれるとありがたい。」
何やら、様子がおかしい。椋さんはまっすぐ春菜の目を見ている。紅葉さんは、俯いて口を引き結んでいて、らしくない。春菜は少し迷ったのち、普通の答えを返すことを選んだ。
「ー…分かりました。部活が終わり次第、早めに帰るようにします。」
そういって朝食を早めに片付け、戸惑いを行動で隠すように、春菜は思考を止め急ぎ足で家を出た。嫌な予感がする。
いつもの生活が揺らぐような_…
春菜が部活をする日は、月、水、木、土である。吹奏楽部に入っているのは、昔から『音』が好きだからだ。といっても、弾ける楽器は琴しかない。それ以外に、見たり聞いたりしたことがないからだ。
琴の音色は素晴らしいもので、穏やかな時もあれば、合戦というほどの勢いもある。春菜は、その音を自在に操るのが好きだった。
だが、今回は椋さんの件がある。
いつも通りではないというのは、なんとももどかしい。なかなかいつも通り集中を保つのは難しかった。そのせいで、音合わせの時、ミスを出してしまった。
2、3時間もある練習時間が、まるで30分のように感じられるほど、時間の流れは早かった。
ミスをしたところも、もう少し確認をしておきたかったが、約束は破れないと、先生の申し出も断って、春菜は帰りを急いだ。
廊下も駆け、靴を履く。息も整えぬまま、
駆ける。ただひたすらに、道を駆ける。
なにも、走れとは言われてないのだが、とにかく急いで帰りたかった。あの話が、自分たちではなく、他の人が、身元引受人になる事となった。と話されたりしたら、、。
考えただけで寒気がする。私は、あの2人との生活を離れたくないのに、、。
はぁっはあッ!はぁ…
やっとの思いで家の目前。走ったせいで息もこれまでかというほど乱れていた。
ゆっくり、息を整えていく。
深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
すぅーーーふぅぅーー、、よし、大丈夫。
自分に言い聞かせる。戸を開ける。
ガチャリッ
音が、いつもより大きく高く、響いた気がした。
「おや、帰ってきたようです。」
おお本当かね。ええ、是非とも、、
椋さんの声と、知らない男性の声。それだけで、背筋が凍るようだった。
とたん、とたん、、2人が近づいてくる。
、、逃げたい。本当ならもう、部屋に戻っているはずなのに。
とたん、とたん。
「春菜。挨拶をしなさい。
こちら、新しく春菜の身元引受人となってくれる、草薙さんだよ。」
ドクンッー
心臓が、嫌な音を立てる。分かってた。なのに。こんなにも、、苦しいものなんて。
「草薙さんは優秀な方でね、この間なんてー、、」
ドクンッードクンッー
椋さんは、平然と話す。だが、春菜は椋さんの話に聞く耳を持たなかった。聞けなかった。
自分の心臓の音が、あまりにも鼓膜に響くものだから。椋さんの褒め言葉を聞き、ニマニマと男が笑う。
ドクンッードクンッードクンッー
、、うるさい。静かにしてほしい。聞こえない。椋さんの、声が。と、突然。
「あぁ、きみがぁ、春菜さん?どうも初めましてぇ。ぼく、椋さんがいったとおりの草薙です。」
ドクンッッー!
自分に対する男性からの呼びかけに、震えが止まらない。初対面なのもあるだろうが、春菜とは訳が違う。
、、怖い。他人が、男性が、この人が、怖い。む、りだ、とても。
今日からなんて、言わないよね、、?
春菜は怯えた目で、懇願するように椋を見る。「君のぉ荷物は、紅葉さんと椋さんで、まとめておいたからねぇ。今日から君は、ぼくの家族だよぉ。」
‼︎?
この時、ふと、安心した。良かった。
これを嫌な予感に駆られて持ち出しておいて。
「さぁ、行こう。、、春菜ちゃん。」_〜〜ッ!
泣きそうだった。早すぎる。過ぎゆく時間が早すぎる。まだ、状況整理すら、春菜はまともにできていないのに。それなのに、まとめておいたよ。そうですか。
2人に、ではさようなら。なんて。
紅葉さんも椋さんも、今朝のように優しい笑みを浮かべていた。悪意はない。それがまた辛かった。喜んでいるのだろうか。春菜が、また新しい地で、一歩を踏み出すのだと思って。
これだから、断れないのだ。2人の、善意から。ここまでくると、走馬灯のように思い出すものがある。春菜のことを、優しく包み込んでくれたような昔話が、、、。
春菜が十一の頃、脱水症状と栄養不足で倒れていたのを、益山さん夫婦に救われた。それから2人は、自分たちの家で看病をし、完治するまで、食事も分け与えてくれていた。
子供がいなかった益山さん夫婦は、春菜を実子のように受け入れてくれ、保護という形で、共に過ごすこととなった。私は、十一歳になるまでの記憶が曖昧になっていて、唯一記憶としてあるとすれば、夢に出てくるあの桜と、滝と、魚たちの場面のみ。その影響もあり、益山さん夫婦以外の人とは、全くと言っていい程関わりがなく、話の受け答えもつっかえるようになってしまった。それも、少しずつ、益山さん夫婦と克服することが可能になっていった。
それなのに。
春菜は心の底からこの2人に感謝し、
心の底から2人に向けて微笑んだ。
今の、言葉にできない恐怖を、悟られることのないように。
ガチャリッ
あぁ、扉よ、閉まることなく開き続けろ。
2人の姿を、ずっとこの目で、最後まで_!
そんな春菜の小さな望みも、跡形もなく消えた。 ガチャンッ
自分で開けた音よりも、はるかに大きく、低く、虚しく響いた。
、、あぁ、無理だ。部活も終わって、最後に存分に過ごした時間を思い返すこともなく、この草薙さんという人に、首輪をつけられてしまった。最後に、ありがとうと言いたかったな。早かったなぁ。お別れの言葉など言えないくらいに。だが、春菜は、どうしても諦めきれなかった。最後まで、どうにか抵抗しようと試みた。
存分に声が出なくとも。
「、、?どぉしたの、春菜ちゃん。震えているが、寒いのかい?まだそんな季節ではないんだけどもねぇ。」
すぅーーふぅーー。もう一度。だけでも。
深呼吸をして、目を見て、向き合う。
「草薙さん。身元引受人になってくださって、ありがとうございます。ですが、私にはもう決心はついております。あんなにも微笑ましく見送ってくださいましたが、、私にはもう、益山家しか残されていないのです。生命を助けてくださった、たった1つの恩なのです。なので、私があの家から離れることはできません。本当に申し訳ありませんが、この手を、離しては頂けないでしょうか?」
最後の、春菜の祈り。希望。望み。
草薙は、固まったまま春菜を凝視している。「、、ぁぁきみは、なんてことをいうだい?
ありがとうというのなら、ついてきてくれても、いいじゃないかなぁ?、、なあ!」
‼︎い_った…!
グイッっと腕を掴まれ、引かれ、逃れなれないほど強く拘束される。
「そもそも、君には私についていくという選択肢しか残されていないんだよ!」
ぼくから、私。一人称が変わってる。猫かぶっていたのだ。演じていた。本性を隠して。
「ぁあ、何をしてやろうか。一度でも私にたてついたからね、ぁあどんなことをして遊んでやろうかぁ」 _ひっ!
先ほどの声とはまるで違う、身体を這うような、気味の悪い声。口から、声が漏れる。恐怖で脚がすくみ、ガチガチと歯が鳴る。顔はひきつり、目には涙が溜まっている。手を伸ばされる。もう一方の手を、掴もうとしている。
やだ、、!嫌だ、、!
もう、あの頃の、優しい目はない。
、、どこにも。
「さぁ来るんだよ、春菜‼︎」
「ッいやッ‼︎!」
声が響いた、瞬間。
ふっと抵抗がなくなった。
代わりに、どさりッと音がすれば、
背を地につけている、草薙の姿があった。
、、、、、、?
わけもわからないまま立ち尽くす。だか、
ふらぁっと、めまいが春菜を襲う。
目の前がぼやける。体の感覚が薄れてゆく。
安堵と疲れで、立つどころではなくなってしまったのだろうか?
そんなよろめいた春菜の身体を、誰かの腕が支える。ー甘い香りがする。
余計に眠くなってしまいそうな、、。
すると、そこに聞こえたのは、
凛とした男の声。
「これは災難なことだ。通りかかった身とはいえ、流石に見て見ぬ振りはできん。今はもうそれどころではないように見える。この玉雨がその生命拾ったならば、案ずることはない。目覚めればそこは、安楽の地、隠り世だ。」
安楽の地、とは、天国だろうか?
隠り世、とは、あの世のことだろうか?
様々な疑問も、頭に浮かべばすぐに沈んでしまう。気が遠くなる。何も考えられなくなる。
閉じて暗くなってゆく視界の中で…
瑠璃の目をした狐面と、目があった。