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桔流の問いに、花厳は確かに頷き、はっきりと謝罪の言葉を述べた。
それが、すべての答えであった。
桔流の予感通り、やはり“あれ”は、以前のものと同じ、あの“瑠璃色”だったのだ。
つまり、花厳と例の元恋人は、何かしらの経緯の果て、復縁する事になったのだろう――。
― Drop.020『 Shake〈Ⅱ〉』―
――実は、俺。
――今度、改めてプロポーズするんだ。
あの晩。
桔流が遮った言葉の先は、そのようなものだったのではないか。
――だから、もう君とは居られない。
さらには、そのようにも、続いたのかもしれない。
「――………………」
桔流の視界は白く染まり、眩暈を生じた。
真っ白なヴェールの隙間から覗く廊下は、微かに揺らぎ始める。
桔流は、その中、なんとか溢れそうになる感情を堪えた。
(――なんだ。やっぱりこうなるんじゃねぇか)
運命に弄ばれ、つい希望を抱いてしまった悔しさに、桔流は奥歯を噛みしめる。
(――好きになんて、なるんじゃなかった)
どうせ、誰かを好きになっても、こうして辛い結末を迎えるだけなのだ。
希望など、抱くものではないのだ。
(――もういいや。答えは出たし、全部終わった。――もう、帰ろう……)
桔流は、大きな落胆の中、この場から立ち去るため、振り返ろうとした。
だが――、できなかった。
(何してんだよ……。――もう、全部終わっただろ……)
桔流は、溢れそうになる想いを必死に堪えながら、振り返ろうとする。
しかし、桔流の身体は、指先ひとつすら、桔流の意志に従おうとしない。
(――なんだよ……。希望なんて、もう残ってないんだよ)
先ほど紡がれた、花厳からの言葉で、真相もすべて解明されたのだ。
そして、桔流が、もう、この家に居て良い存在ではなくなった事も、はっきりと分かったのだ。
そうである、はずなのに――、桔流の中には、未だ、諦めの悪い花厳への希望が、粘り強く居座り続けていた。
そんな希望に対し、桔流は退席を促す。
(――もう、全部終わったんだって言ってんだろ……)
希望をもつという事は――。
期待をするという事は――。
先々に良い未来がない場合、心の傷を酷くするだけの猛毒にしかならない。
桔流は、それをよくよく分かっている。
しかし、宿主がそれを分かっていても、桔流の心は、希望をひしりと抱いて離さない。
その心は、桔流に訴えるのだ。
まだ、花厳は、すべてをはっきりとは言っていないではないか。
だからこそ、まだ、希望が失われたわけではない。
もしかすると、花厳は、この後。
“でも”――と紡ぎ、さらに続くその先の言葉で、桔流を、絶望の淵から救ってくれるのかもしれない。
もうすぐ、花厳は、この沈黙を破り、救いの言葉を紡いでくれるのかもしれないのだ――。
桔流は、そう必死に訴える心に、そこでまたひとつ、抵抗した。
(――そんな事……あるわけ……)
その時。
しばらくの沈黙を破り、花厳は静かに紡いだ。
「――本当に、ごめん……」
だが、そうして新たに紡がれた花厳の言葉は、やはり、桔流を落胆させるものだった。
桔流は、吐き捨てるようにして思う。
(――ほらな……。――だから、言ってんだろ。――希望なんて持ったって無駄)
「――俺……、袋のデザインの事とか、全然頭になくて……」
「――………………。――……え?」
花厳は、確かに、桔流の希望には沿わない言葉を紡いだ。
しかし、それは、桔流を絶望に追いやるのにも、力不足な言葉であった。
その事に、桔流は戸惑い、困惑する。
(――“袋のデザインの事とか”って……。どういう事だ?)
花厳は、続けた。
「実は、ちょっと前。この家に姉が来たんだけどね。――その時、姉に言われて、初めて気付いたんだ……。本当にごめん……」
恐らく、花厳は、今。
桔流が、花厳の言葉の意をすべてを理解しながら話を聞いていると思っているのだろう。
しかし、それは大きな間違いだ。
桔流は、連ねられた花厳の言葉の意を、一切解せていない。
それゆえ、しばし強引に話に割り込み、桔流は言った。
「――あ、あの。ちょっと待ってください。――その……、“袋のデザインの事とか”って……、つまり……。――あの日に出してきた紙袋って、――以前、うちの店で預かってた紙袋と、同じ物じゃなかったんですか?」
そんな桔流の問いに、
「え? “同じ物”って……」
と、花厳は、しばしきょとんとしたが、すぐにハッとすると、
「――あ。……あぁ! そ、そうか……」
と、言い、またひとつ詫びた。
「――ごめん。そんな勘違いもさせてたのか……。――俺は本当に、こういうところが駄目なんだよな……」
桔流は、そんな花厳に未だ困惑しながらも、問うた。
「あの……、どういう事ですか?」
花厳は、随分と反省しているらしい様子で言った。
「えっと。――まず、なんだけど、――あの日の夜に桔流君に見せた紙袋は、前にお店で預かってもらっていた――“前の恋人のために用意した贈り物”とは、まったくの別物なんだ。――実は、俺の友人が、あのブランドの関係者でね、――ああいう贈り物をする時は、あのブランドのものを買うのが、俺の中でのお決まりになってたんだ……。――だから、今回の君への贈り物が入った紙袋が、“前にお店に忘れた物と同じデザインの紙袋”になってしまったのは、それが理由で……」
そんな花厳は、そこまで言うと、
「――ちょっと、待ってね」
と、言い、リビングより手前にあるドアを開けると、寝室へと入っていった。
そして、すぐに戻ってくると、花厳は、その手に、あの“瑠璃色”を持っていた。
「――……」
花厳は、その光沢感のある瑠璃色に、思わず身を固くする。
戻ってきた花厳は、今度はそのまま桔流の前までやってくると、その“瑠璃色”をそっと示し、言った。
「――これ。――受け取らなくて大丈夫だから、開けて、中身の確認だけしてみてくれるかな。――多分、贈り物の中身さえ見てくれれば、あの時の物とは“違う物だ”って、すぐに分かると思うから」
桔流は、それに、思わずたじろぐが、
(大丈夫。大丈夫だ。――これは、あの時の“指輪”とは、違う物なんだ……)
と、なんとか自身に言い聞かせ、恐る恐る“瑠璃色”を受け取った。
そして、強張る身体を宥めながら、まずはゆっくりと紙袋の中を覗く。
(――これは……)
そんな“瑠璃色”の中に佇んでいたのは、上品ではありながらも、着飾りすぎない程度の包装が施された、小ぶりの包みであった。
それは、桔流が必死で花厳を探し回った、あの夜に“瑠璃色”の中で佇んでいた、――“一世一代”を思わせるような包装が施された“指輪”とは、まったく異なる様相をしていた。
(――違う。――これは、確かに、あの時の“指輪”じゃない……)
桔流は、それにしばし安堵すると、意を決して包みを取り出し、花厳を見た。
花厳はそれに、黙したまま穏やかに笑むと、次いでひとつ瞬きながら頷いた。
桔流は、そんな花厳に背を押されるようにして、丁寧に包みを開封した。
そして、言った。
「――これ……」
上品な包装から顔を覗かせた、シックなデザインの化粧箱を開ければ、そこには、確かに指輪が据えられていた。
その指輪は、美しい曲線が組み合わさったデザインの、シンプルなシルバーリングであった。
桔流は、中身さえ見ればすぐに分かる――と言った、花厳の意図を理解した。
そのリングは、大変美しくはあったが、宝石などは一切飾られておらず、“婚約指輪”として贈るには、少々シンプル過ぎるデザインと云える様相をしていた。
また、今、桔流を見守っている花厳にも、嘘を吐いているような素振りは見受けられない。
(――じゃあ、これは……)
桔流が思うと、花厳は言った。
「本当にごめんね。――酷い勘違いをさせた上に、俺が考えなしなせいで、余計に傷つけて……。――桔流君は、箱の中までは見ていないから、信じて貰えるか分からないけど……、――でも、正真正銘。これは、“あの時”の物とは一切関係ない、まったく違う物。――これは……、あの日の前日。――君への贈り物として買った物なんだ」
桔流は、凛と佇むリングを見つめ、言った。
「そう……だったんですね……」
「うん」
そんな桔流に頷くと、花厳は続ける。
「――俺。こういう事に本当に鈍くて……。――姉に言われるまで、全然気付かなくて……」
そうして、心底反省しているらしい花厳に、桔流は、はたとして問う。
「姉?」
そういえば花厳は、先ほど、確かに“姉”についての話をしていたような気がする。
花厳は、言う。
「そう。“姉”。――少し前。ちょっとした用事で、この家に姉が来た日があったんだよ。――それで、その時。置きっぱなしにしてしまってたこの贈り物を見つけた姉にね、言われたんだ。――“未練がましくまだ持ってるの?”って……。――で、その時に気付いたんだ。――あの時。桔流君がお店でずっと預かっててくれたのも、この紙袋と同じデザインの紙袋だったって」
「――……な、なるほど」
そんな花厳の話によれば、その姉とやらに問い詰められる中で、“以前の贈り物を見ている上、経緯まで知っている、現在の想い人に対し、まったく同じデザインの紙袋で贈り物をしようとした”――という事もバレてしまったらしく、その後、その事も散々と叱られたらしい。
(確かに、それについては、法雨さんも、無神経ってストレートに言ってたけど……。――それを、お姉さんにめちゃくちゃ怒られてる花厳さんか……。――容易に想像できすぎるな……)
そして、ひとつ思いながら、しょぼくれた花厳の話から視えた想像上の花厳に、桔流は、つい笑いそうになるのを咄嗟に堪えた。
そんな桔流の前では、その漆黒の耳と尾をすっかりと垂れさせて落ち込んだ様子の花厳が、深い反省を続けていた。
「本当に、ごめん……」
しかし、その花厳が、思った以上にヘコんでいるため、桔流は、なんと声をかければ良いか分からなくなり、
「あ。あぁ……ええと……」
と、言葉を探し回りながら、花厳と手元のリングを交互に見た。
すると、そんな桔流の様子から勘違いをしたのか、花厳はしばし明るく言った。
「あぁ。それも、流れで押し付けちゃってごめんね。――もちろん、それはつけなくていいよ。――受け取るのも嫌だったら、返してくれても大丈夫。――桔流君。モノが残る贈り物は避けてるって言ってたから、迷惑かもとは思ったんだけど……シルバーリングも好きだって言ってたから、それがどうしても頭の隅に残っててね。――そんな時に、たまたま似合いそうなのを見かけてしまったものだから、その勢いで、勝手に買っちゃったんだ……。――でも、嫌だったら本当に」
その中、そう言いながら、花厳がふと桔流を見ると、大切そうに贈り物を持った桔流は、何故かそのまま俯いてしまっていた。
その様子を案じ、花厳は、その名を呼んだ。
「桔流君……?」
桔流は、そんな花厳からの気持ちを、心から嬉しく思った。
だが、今の桔流は、まだ、その事を心から喜ぶ事はできない。
桔流には、まだ、確かめなければならない事があるのだ。
桔流は、案じるようにした花厳に、俯いたまま、ゆっくりと紡いだ。
「花厳さん。――……前の恋人さんは、本当に、もういいんですか……。――本当は、まだ、その方に望みを持ちたいんじゃないんですか……? ――花厳さん。言ってましたよね。――たとえ、怒って帰っちゃっても、必ず電話がかかってきて、会いたいって言われるって。――なら、今回も、そうやってまた、もう一度やり直したいって、言ってくれるかもしれませんよ」
どうしても、声が震える。
花厳も、きっと、それに気付いているだろう。
だが、それでも花厳は、決して、情から嘘を紡ぐような様子もなく、はっきりと答えた。
「――それは、ないよ。――前に君に話した通り、今のあの子には、ちゃんと別の恋人が居る。――と、いうのと、これは話してなかったけどね。実は、二人は随分前から付き合っていたらしいんだ。――それに、別れ話をした後は、あちらからの連絡は一切来ていないし、俺からも、一切連絡を取ってない。――それに、俺は、あの子との復縁も望んでないから、希望があろうと、俺が何か行動を起こす事もないよ。もちろん、あの子からどれだけお願いされてもね。――悪いけど、俺はもう、君しか見えないから」
その言葉に、さらに俯いた桔流は、声を震わせながら言った。
「――花厳さんは……本当に……俺なんかでいいんですか……」
そんな桔流に、ゆっくりと近付くと、手を伸ばせば触れられるほどの距離で、花厳は言った。
「――“君でいい”じゃなくて、君じゃないと駄目なんだよ。桔流君。――桔流君は、俺の前の恋人の事も知ってるから、この言葉を信じてもらうには、時間がかかるかもしれない。――でも、俺は、君に告白したあの日よりも前から、ずっと君の事が好きだった。――君を好きになったその時から、俺は、君以外見えなくなった。――俺にはもう、君しか見えないんだ。――だから、俺には、君じゃないと駄目なんだ」
桔流は、それに、問う。
「……それ、本当に……信じて……いいですか?」
花厳は、明瞭に紡ぐ。
「もちろん」
桔流は、さらに問う。
「後悔……しないですか?」
花厳は、揺らぎない声で紡ぐ。
「しないよ」
桔流は、その花厳の言葉を噛みしめるようにすると、ひとつ、震えた息を吐いた。
そして、恐る恐る、紡ぐ。
「……じゃあ……俺も……言います」
花厳が、それに黙して応じると、一呼吸置き、桔流は続けた。
「――……俺も、――……俺も……花厳さんが………………好きです……」
花厳は、それに、ひとつ瞳を揺らがせると、目を細め、微かに眉根を寄せて微笑んだ。
花厳は、桔流からその言葉をもらえる日は未来永劫訪れないかもしれない、という覚悟もしていた。
だが、その覚悟は、たった今。
その役目を終えた。
桔流は、黙したままの花厳に、さらに紡ぎ、軽く頭を下げた。
「――あの日。――花厳さんの話を最後まで聞かずに……出ていったりして……本当に、ごめんなさい」
そんな桔流に、花厳は愛おしげに眉根を寄せて笑むと、その髪を、優しく撫でた。
「謝らなくていいんだよ。桔流君は何も悪くない。――あの日は、君に勘違いさせるような事をした、俺が悪かったんだ」
桔流はそれに首を振り、声なく、花厳に紡いだ。
その桔流の手元をふと見れば、そこには数滴の雫が落ちていた。
花厳は、その大きな手で桔流の手をそっと包むようにすると、桔流を優しく抱き寄せた。
「ごめんね。――また、泣かせちゃって」
今度こそ、涙する桔流をその腕に抱く事ができた花厳に、桔流は、未だ震える声で、しばし不満げに言う。
「――花厳さんのせいで……最近……俺の涙腺……めちゃくちゃ緩くなった気がします……。――花厳さんの事になると……すぐこうなる……」
腕の中で文句を紡ぐ桔流の髪を撫でると、花厳は、桔流の耳元で言う。
「それは――、喜んでいい話?」
すると、桔流は、その花厳の胸元にぐいと顔を埋め、声をくぐもらせては、むすりとこぼした。
「……どうでしょうね」
花厳は、それにおかしそうに笑うと、言った。
「――あぁ。そういえば、桔流君」
「なんですか?」
そんな花厳に、桔流は相変わらず顔を埋めて言う。
花厳は、その様子も愛らしく思いながら、続けた。
「桔流君はさ、あの日に俺が出した贈り物を、さっきまでは、“前にお店に忘れた物と同じ物”だと思ってたんだよね?」
「ですね……」
それに桔流が頷くと、花厳は本題を紡ぐ。
「――じゃあ、どうして家まで来てくれたの? ――あれを“同じ物”だと思ってたのなら、俺には相当幻滅してたと思うし、俺の家に来るのだって、本当は嫌だったんじゃない?」
それに、桔流は黙した。
「………………」
「……?」
その様子に、花厳が不思議そうにしていると、桔流はまた不満げな声で、言った。
「……どうせなら……最後に………………、――胃袋掴んでやろうと思っただけです……」
すると、その予想外の答えに、ひとつ眉を上げた花厳は、思わず笑みをこぼすなり、桔流をぎゅっと抱きしめると、酷く嬉しそうに言った。
「――桔流君。――その理由は、可愛すぎるよ」
それに対し、桔流は、花厳の腕の中で、
「……ふん」
とだけ言うと、照れ隠しなのか、そのまま花厳のコートの中に顔を埋めた。
花厳は、その様子をまた酷く愛しく感じ、桔流の髪に軽く口付けると、再びそっと抱き寄せた。
それから、しばらくの沈黙を挟んだ後。
桔流が、花厳の名を呼んだ。
「――……花厳さん」
花厳は、それに愛おしげに応じる。
「なんだい」
そんな花厳を抱き締め返すようにすると、桔流は続けた。
「俺を、選んでくれて――、俺を、好きになってくれて――、ありがとうございます……」
それに目を細めると、愛おしげに微笑み、花厳は言った。
「――こちらこそ」
そして、さらに紡いだ。
「――桔流君。――またここに来てくれて、ありがとう」
桔流は、それに、顔を上げると、
「……はい」
と、微笑んだ。
花厳は、その桔流の頬に手を添えると、そっと口付けた。
そして、恋しくすら感じていた、久方ぶりのその感触を確かめ合うようにして、幾度か口付け合った後。
二人は、再び互いに抱き締め合うと、その幸せで心を満たした。
互いの温もりを通じ、確かに“ここ”に居ると感じ合える――安心感。
互いとの触れ合いを通じ、その存在を肌で感じ合える――幸福感。
そんな、かけがえのない充足感を噛みしめるようにして、それからも二人は、しばらくの間、ただひたすらに抱き締め合った。
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