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#ライトノベル
こはる
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Nu²Ⅰ
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上野文
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#ご本人様には関係ありません
ふゅう@低浮上
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第243話 匠と白峰
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
白い壁の向こうで、雲賀匠の姿が揺れた。
補助層へ突き刺さった黒い針が、何本もの細い枝に分かれていく。
一本は匠の足元。
一本は白い壁。
残る針は、ユナの寝台の下で揺れている黒い影へ伸びようとしていた。
「父さん!」
ハレルが主鍵を握る。
胸元から白い光が走り、壁のひびへ重なった。
サキのスマホでもreが強く光る。
白い補助線が黒い針の前へ入り、医療棟側と匠のいる層を繋ぎ止めた。
匠は黒い針へ手を向けた。
「線を太くするな」
「ハレル、今は押し返そうとするな」
「でも、このままじゃ父さんのいる場所が――」
「押せば位置を読まれる」
匠は足元へ走る白い線を三つに分けた。
一本目は医療棟へ。
二本目は現実側の臨時医療受け入れ室へ。
三本目は、どちらにも繋がらず、暗い層の奥へ流れていく。
黒い針は三本目を追った。
だが、その線は途中で細かく分かれ、何もない場所へ消える。
ノノの声が通信から上がった。
『黒い針が外れた!』
『補助層の位置を別の線へ逃がしたんだ!』
匠は短く息を吐いた。
「昔から、この層はそういうために作った」
ハレルが聞き返す。
「昔から?」
匠は、黒い針が再び動き出す前に壁の光へ手を置いた。
「この補助層の原型を作ったのは、私一人じゃない」
ハレルは白い壁の向こうにいる父を見る。
胸の奥に、一つの名前が浮かんだ。
「白峰律か」
匠は頷いた。
「ああ」
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀匠の事務所・昼】
木崎は、古い箱の中から二冊目のノートを取り出した。
最初のノートよりも古い。
紙の端は黄ばみ、表紙には大学の研究室名が印刷されている。
その下に、二つの名前。
雲賀匠。
白峰律。
木崎は椅子へ座り、最初のページを開いた。
そこには、今まで見てきた境界図よりも単純な図が描かれていた。
大きな円。
その下に、もう一つの円。
二つの間に挟まれた、細長い空間。
横には、手書きの文字。
『現実と仮想の間に、第三の作業領域を置く。』
木崎は眉を寄せる。
「第三の作業領域……」
ページをめくる。
『既存のネットワークは、現実側の機械に依存している。』
『ならば、機械の中ではなく、情報そのものが存在できる層を作れないか。』
さらに別の文字。
筆跡が違う。
白峰律のものだろう。
『見る者がいなくても残る世界。』
『接続を切っても消えない場所。』
『現実とは別の法則を持つ、独立した世界。』
木崎はノートを閉じず、そのまま携帯端末で撮影した。
城ヶ峰へ送る。
『二人は学生時代から中間層を作っていた。』
『今の補助層の原型かもしれない。』
送信すると、すぐに既読がついた。
木崎は次のページへ進む。
そこには、若い匠の字で書かれていた。
『律は世界を作りたいと言う。』
『私は、隔離された実験環境を作りたい。』
『同じものを見ているようで、目指しているものは少し違うのかもしれない。』
木崎は小さく息を吐いた。
「学生の頃からか」
二人は、同じ研究をしていた。
だが、最初からまったく同じ考えだったわけではない。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
匠は、黒い針の動きを見ながら話し始めた。
「大学にいた頃、私と律は、今でいうネットワークの先を作ろうとしていた」
リオが聞く。
「ネットの先?」
「画面の中だけにある世界じゃない」
「接続を切れば消える仮想空間でもない」
匠の周囲に、古い図が浮かんだ。
現実。
情報。
その間にある細い層。
「現実とは違う法則を持ち、それでも情報が自分の形を保って存在できる場所」
「私たちは、そんな独自の世界を作ろうとしていた」
サキが呟く。
「二人だけで?」
「最初は研究室の仲間もいた」
匠は答えた。
「だが、途中から誰もついてこなくなった」
「危険だったからじゃない」
「何をしているのか、理解できなくなったからだ」
既存のプログラム言語では扱えない。
場所。
名前。
観測。
存在しているという状態そのもの。
二人はそれらを数値や文字として扱おうとした。
白峰は既存の言語を組み替え、独自のプログラム言語を作った。
匠は、情報が暴走した時に逃がすための空間を設計した。
「それが補助層の始まりだ」
ハレルは壁を見た。
父が今いる場所。
現実と異世界の間で、帰還の線を支えている層。
「じゃあ、父さんが今いる補助層は、大学時代に作ったものなのか」
「そのままではない」
匠は首を振った。
「最初に作ったのは、情報処理の負荷を逃がすだけの小さな空間だった」
「外部から切り離し、失敗したプログラムを一時的に置く」
「いわば、実験用の余白だ」
「でも、律がその余白を広げた」
セラが静かに言った。
匠はセラの声へ反応した。
「ああ」
「白峰律は、情報だけでなく、人の記憶や名前まで保存できる場所に変えようとした」
「その頃から危険だったの?」
サキが聞く。
匠は少し考えた。
「いや」
その答えは意外だった。
「少なくとも、学生だった頃の律は、人を傷つけようとは考えていなかった」
「ただ、誰も作ったことのない世界を作りたかった」
匠の表情が、わずかに昔を思い出すものへ変わる。
「ほとんど寝ずに研究した」
「大学の設備が閉まれば、私の部屋へ機材を運んだ」
「金がなければ、中古の部品を集めた」
「二人とも、先に進むことしか考えていなかった」
ハレルは黙って聞いていた。
今の父からは、想像しにくい。
だが、木崎が見つけた写真には、笑っている若い匠がいた。
白峰律と並んで。
「大学を卒業してから、私は研究室を離れた」
匠が続ける。
「どうして?」
「研究だけで食べていく道を選ばなかった」
匠は少しだけ苦く笑った。
「私はITやプログラムを専門に扱う記者になった」
「最初は技術雑誌の記事を書いた」
「だが、それだけでは生活できなかった」
企業の問題。
新しいサービス。
詐欺事件。
労働問題。
ネット犯罪。
政治や社会の中で起きる、技術に関係すること。
時には技術とはほとんど関係のない事件まで。
「なりふり構わず書いた」
「依頼があれば、何でも調べた」
「そうやって記事を書き、生活していた」
リオが少しだけ口元を動かす。
「木崎さんと知り合ったのも、その頃か」
「ああ」
匠は頷いた。
「一方、律は研究室に残った」
「研究の成果もあった」
「何より、あいつは私よりずっと頭がよかった」
独自の言語。
情報層。
現実と仮想の間にある領域。
白峰律は研究者として評価され、さらに深い研究へ進んだ。
それでも二人の関係は切れなかった。
時々会い、互いの研究や仕事について話した。
匠が取材で見つけた技術を白峰へ伝える。
白峰は新しい言語や層の研究を匠へ見せる。
「その頃までは、まだ友人だった」
ハレルは、その言い方に引っかかった。
「その後、何があった」
匠の目から、昔を懐かしむ色が消えた。
「律の恋人が死んだ」
治療室が静かになる。
ユナの呼吸音だけが、小さく聞こえている。
「事故だった」
匠は言った。
「突然だった」
「前の日まで普通に話し、次の約束もしていた」
「それが、一度の事故で全部終わった」
サキはスマホを握りしめた。
リオは眠るユナを見た。
少し違えば。
助けられなければ。
自分も、白峰律と同じ場所に立っていたかもしれない。
「律は、その死を受け入れなかった」
匠は続けた。
「最初は、誰だってそうだと思った」
「すぐに受け入れられるはずがない」
「私は、時間が必要なんだと思っていた」
だが、白峰は研究室へ閉じこもった。
恋人の写真。
声。
メッセージ。
行動記録。
位置情報。
ネット上に残った文章。
記憶を持つ人々の証言。
残されたすべてを集め始めた。
「律は言った」
匠の声が低くなる。
「人が死んでも、情報は残る」
「名前も、声も、記憶も残る」
「ならば、それらを一つの場所へ集めれば、その人を戻せるはずだと」
ハレルは眉を寄せる。
「それが、記憶を帰還先に使う研究に変わったのか」
「ああ」
「父さんは止めなかったのか」
「止めた」
匠は即座に答えた。
「何度も止めた」
「残った情報は、その人自身じゃない」
「どれだけ集めても、亡くなった恋人の選択までは戻せないと伝えた」
だが、白峰は聞かなかった。
むしろ、匠の言葉を別の意味に受け取った。
本人の選択が足りない。
ならば、選択を保存できる層を作ればいい。
身体がない。
ならば、別の器へ入れればいい。
現実では戻せない。
ならば、現実とは違う世界を探せばいい。
「律は、私たちが作った補助層の原型を、一人でさらに深く掘った」
匠の前に、暗い裂け目が浮かぶ。
白峰が作った独自言語。
現実側の情報。
その奥で触れた、別の法則。
「そこで、異世界を見つけた」
ハレルの主鍵が小さく熱を持つ。
「カシウスたちか」
「最初に誰と接触したのか、正確には分からない」
匠は答えた。
「だが、律はカシウスと繋がった」
「オルガとヴァルドも、その後に加わった」
リオが聞く。
「白峰とカシウスは、何で手を組んだ」
匠は、少しだけ沈黙した。
「同じだったからだ」
「何が」
「失ったものを、失ったままにできなかった」
カシウスにも、取り戻せない喪失があった。
白峰律にも、愛した恋人の死があった。
二人は、生まれた世界も、使う技術も違う。
だが、求めるものは同じだった。
死を終わりにしない。
名前と記憶と器を組み替え、失われた者を取り戻す。
そのためなら、今ある世界の形を変えても構わない。
「二人は、世界の方が間違っていると考えた」
匠が言う。
「人が死ぬこと」
「失ったものが戻らないこと」
「過去を変えられないこと」
「それを受け入れる人間の方が、おかしいと考えたのか」
ハレルが聞く。
「そうだ」
匠は黒い影を見る。
「律は、悲しみから立ち直れなかったわけじゃない」
「悲しみを、世界を書き換える理由に変えた」
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀匠の事務所・昼】
木崎は箱の底から、新聞記事の切り抜きを見つけた。
若い女性が亡くなった事故の記事。
名前の部分は、長い時間が経ったためか、インクが薄くなって読みにくい。
その横に、匠の字で短い記録が残っていた。
『律の恋人が事故で死亡。』
『葬儀後、律は研究室からほとんど出ていない。』
次の紙。
『残された記録から人を再構成すると言い始めた。』
『研究ではなく、喪失を否定するための作業になっている。』
さらに、その下。
『私が何を言っても、今の律には届かない。』
木崎はしばらく黙っていた。
白峰律。
クロスワールドゲートを作った男。
冷たい天才だと思っていた。
だが、始まりは一人の人間の死だった。
木崎は記事と匠の記録を撮影し、城ヶ峰へ送る。
『白峰が変わった原因が分かった。』
『恋人の事故死だ。』
数秒後、城ヶ峰から返信が来た。
『事故の詳細を調べる。』
『ただし、遺族や関係者への接触は慎重に進める。』
木崎は携帯端末を置いた。
「最初は人を戻したかった、か」
そして、机の上にある『C』と書かれたノートを見る。
「それが、何人消しても構わない門になった」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
白峰律は、医療棟で話す匠を見ていた。
ハレルたちへ、自分たちの過去を語る匠。
学生時代の研究。
補助層。
恋人の事故死。
カシウスとの接触。
ジャバは退屈そうに腕を組んでいる。
オルガは、匠の言葉を一つずつ記録していた。
ヴァルドは補助層へ触れ、黒い針がどこまで入れるかを測っている。
カシウスが言った。
「匠は、君が不幸で変わったと考えている」
白峰は穏やかな表情を崩さなかった。
「間違ってはいない」
「認めるのか」
「彼女の死がなければ、私はここまで来なかった」
白峰は医療棟に映るユナを見る。
弟の声に反応する女性。
現実へ戻ろうとしている者。
「だが、私は壊れたわけではない」
白峰の声が少しだけ低くなる。
「壊れているのは、死を取り消せない世界の方だ」
カシウスは何も言わなかった。
否定する理由がなかった。
白峰は、匠のいる補助層へ手を伸ばす。
「懐かしいな」
黒い針が一本、他の針とは違う動きをした。
補助層を壊すのではない。
古い構造をなぞる。
学生時代、匠と白峰が一緒に作った線を探している。
「この層は、私も作った」
白峰が言う。
「匠だけの隠れ場所ではない」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
匠の背後で、白い線が突然黒く変わった。
「父さん!」
ハレルが主鍵を強く握る。
匠はすぐに振り返った。
黒い針ではない。
もっと滑らかな線。
補助層の古い構造を知っている者が、正しい順序で扉を開こうとしている。
匠の表情が変わった。
「律……」
壁の向こうから、別の声が届いた。
穏やかで、落ち着いた男の声。
『久しぶりだ、匠』
サキが息を呑む。
リオはユナの寝台の前へ出た。
ハレルは白い壁を睨む。
「白峰律か」
返事の代わりに、黒い線が壁の中へ広がった。
『君はまだ、私を止めようとしているのか』
匠は一歩も退かなかった。
「止める」
『彼女を戻せなかった君が?』
匠の目が鋭くなる。
白峰は続けた。
『一ノ瀬ユナは戻そうとする』
『消えた一般人も戻そうとする』
『自分自身も戻ろうとしている』
黒い線が、補助層の白い光へ重なる。
『なのに、私が彼女を戻そうとしたことだけは否定するのか』
匠は静かに答えた。
「お前が戻そうとしているのは、彼女じゃない」
白峰の声が止まる。
「お前が受け入れられる形に組み直した、記憶の中の彼女だ」
黒い線が強く揺れた。
「本人の選択がない」
「だから、お前の門では誰も本当には戻れない」
短い沈黙。
やがて、白峰が小さく笑った。
『相変わらずだな、匠』
匠は白い壁へ手を押し当てる。
「お前も変わっていない」
『違う』
黒い線の奥で、白峰律の影が一瞬だけ浮かんだ。
『私は、ようやく完成に近づいた』
黒い線が、ユナの選択のそばにある影へ伸びる。
匠が叫ぶ。
「ハレル、線を固定しろ!」
「律が直接、選択へ入る!」
ハレルの主鍵が白く輝く。
リオはユナの前に立つ。
サキのスマホで、reが激しく光った。
二人の研究者が学生時代に作った古い層で、再び向かい合った。
今度は、同じ世界を作るためではない。
一人の人間を、どちらの門で戻すのか。
そのための戦いが始まろうとしていた。
コメント
1件
うわあ、ついに白峰律の過去が明らかになった……。学生時代の匠と律が一緒に補助層の原型を作っていたなんて、設定の奥行きが一気に出たな。特に「恋人の死を受け入れられず、世界が壊れていると考えた」という動機は、冷徹な天才のイメージとは違って、すごく人間らしくて胸に来た。二人の友情がどうして対立に変わったのか、その始まりが語られた回だった。匠が「お前が戻そうとしているのは彼女じゃない」って言ったところ、重い……。