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静かな夜の街角。……小さな路地裏の一角。
薄闇のなかを進む、ひとつの足音がある。
迷いのない歩みとは裏腹に、 その表情には焦りの色が見える。……彼女は急いでいる。
それはまるで、誰かに追われているかのような……。
やがてたどり着いたのは、古ぼけた教会の前。……街灯の下に佇み、空を仰ぐ女性がいる。
「……ようやく来たわね」
ゆっくりと振り向いたその顔は、 どこか疲れ果てていたように見えた。……ただ、静かに微笑んでいたけれど。
それは、彼女が望まぬ変化の始まりだった。
彼女は己の内へと閉じ籠もり、 現実を拒絶しはじめたのだ。
彼女は再びヒトであることを捨て去り、 自らの手で幻想を作りあげた……。
それこそが、彼の望むことなのだから。
天使の言葉…………鍵の覚醒を恐れながらも、 己の中の矛盾に苦しむ少女。
彼女が抱えている悩みが どれほど切実なものなのかを、 果たして理解していただろうか?……おそらくしてはいなかっただろう。
天使の言葉とはそういうものだ。
それは、己自身に対する問いかけであり、 答えのない問いでもあるからだ。……そう考えるならば、 天使の言葉を口にするのは、 自分以外の誰かに対してのみということになる。
天使の言葉が届かない相手。
天使の言葉の意味を知りながら、 その言葉を口にできない相手がいることを、 彼女はよく知っている。……天使の羽は白くないのだということを。
彼女が口にできるのは、祈りだけだ。
それは、祈りであって、祈りではない。
天啓のように聞こえても、その実、 天使の言葉を借りただけの戯れ言にすぎない。……天使などいないのだから。
それでも、人は信じるしかない。
奇跡という言葉を信じて。
信じなければ、生きていけない。
だから、彼女は祈る。
その言葉を嘘にしてしまわないように。
彼女の名は、アリア・リザイア……。
「えっと……それなら、こんなところに来ないで……」
「ああ」
男は答えた。
「そうだね。でも、君たちにとってはどうなのかな?」
男が指差す先には、小さな男の子がいる。
「あの子にとって、ここは安全な場所なんだろうか? あそこにいる人達のように、本当に幸せになれるんだろうか?」
男は続けた。
「いや、そうじゃない。君は知っているはずだよ。ここには誰もいないってことを。僕だってそうさ。ここに来る前はちゃんと生きていたんだから。だから分かるんだよ。ここがどんなところか。そんなところで安心して暮らせるわけがない。それは、君のお父さんやお母さんが証明しているんじゃないのか?」
私は男の顔を見た。その表情からは、何を考えているか読み取ることができない。
「それに、僕はあなたが好きですよ」
それは……告白のようなものだったのか。……それとも、別れの言葉なのか。
少女の心からの笑顔を見るたびに、 少年は自分の醜さを痛感していた。
だから、彼女はいつも笑っていたのだ。
己自身をあざけるために……。
少年の知らないところで……
少女もまた苦しんでいたのだろうか? 今となっては何もわからないけれど。
ふたりだけの静かな時間が過ぎていく……。
それでも……きっと、それでよかったのだ。
彼女が幸せであるならば、それだけで……。………………よかったのだ。
水面まであと少し……
冷たい水の感触を感じた瞬間……
突然、意識が反転して暗転した。……
闇の彼方に見える光……。
手を伸ばしても届くことのない場所。
誰かが呼んでいる気がしたが……やがてそれも、遠ざかっていく……。
暗闇の中へと溶け込んでいく……。
ふっと浮かぶ白い花のような幻視……
それは、いつか見た光景だろうか? それとも、今見ているものなのか? 水面まであと少しの距離を残して、 彼女はゆっくりと沈んでいく……。
遠い空へと向けられた視線。
光のない黒い眼差し……。
どこまでも続く海原と青い空……。
そこに見えるものは、何もない……。
深い海の青に浮かぶ月のように、 彼女は静かに沈んでいく……。
やがて、光り輝く泡となって消えた……。
それは、ほんの一幕の物語にすぎないが……。
遠い昔に失われたはずの物語が、今再び蘇ったのだ。
少女の姿をして現れた天使たちは、 人の世では忘れ去られていた伝承をもとに 彼女たちを生み出したのだという。
彼らは滅びゆく世界の救済者として 天より遣わされた使者なのだそうだ。
彼らの言葉を聞き届ければ、 すべての人は救われるという……。
そんな話を信じる者は誰もいない。
しかし、それならば、何故私はここにいるのか? 天使たちの言葉を聞こうとした者達の末路を知っているからだ。
天使たちが現れてからというもの、 誰もが皆狂っていった。
天使の言葉など聞こえない振りをして、 耳を塞ぎ目を閉じて生きてきた。
天使たちは何も言わずに去っていき、 残されたものは偶像だけだ。
沈黙……
それは、神の御名のもとに行われる 絶対的な粛清。
彼女が最後に見た光景は、 光り輝く天上の門ではなく、 血塗られた断罪の炎だった。
それは神の裁きなのか? それとも人間の業なのか? 今となっては、もはやわからない。
彼女の死によって、世界は救われたのだ。
彼女は殉教者となり、救済をもたらした。
それがたとえ偽りであったとしても。
その思い込みがもたらす、圧倒的な力。……人はそれを信じたがった。
その思いこそが、彼女を救っていたのだろうか?……
天使たちの囁きが聞こえる。
彼らの願いは叶えられた。
彼らは満足して去っていったようだ。
天使たちが去った後に残るのは、 哀れな生贄たち。
天使たちを失望させた彼らこそ、 真の咎人だったのかもしれない。
天使たちは再び舞い降りる。
そしてまた、繰り返される惨劇。
今度は誰が選ばれるのか?
天高く昇った流れ星が、 ゆっくりと落ちてゆく……
地上に向かって。
音のない世界……
風もない。
まるで時の流れを忘れてしまったかのような静けさが、 辺りを支配していた。
光を失いつつある空の下、 大地には生命の痕跡すらない。
草木はおろか、昆虫すら見あたらなかった。
それは、生物たちの活動が完全に停止してしまっていることを示していた。
生き物がいないということは、すなわち死を意味する。
その死の世界に……