テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
掃除が終わったあとも、遥は日下部の机の前に立っていた。ただそこに、ぽつんと。
帰る理由も、動く意味も、なかった。
「……でさ」
後ろから蓮司の声がした。
その声を聞いた瞬間、遥はまた喉の奥に鉄の味を感じた。
たぶん──怯えじゃない。
あれは、もっと別の、言い表せない何かだった。
「おまえ、ほんとさ……罪深いよな」
遥は振り返らなかった。
「壊されるのが好きなやつって、壊す側の気持ち、マジで考えないんだなって思う」
蓮司の声に笑いはなかった。
だが、そこに“怒り”のようなものがにじんでいると、遥は錯覚した。
「日下部、ちょっとズレてるけど、わりと真面目におまえに向き合おうとしてたよな」
「“赦される”ためじゃなくて、“何かを返す”ために。
でもおまえ──気づいてたよな? あいつがちょっとでも本気になると、途端に顔を歪めてただろ」
遥の指が震えた。
「怖いんだろ。
“優しさ”とか“まっすぐ”とか。
自分がそんなものに触れていいはずがないって。
“そんな自分が”期待しちゃうのが、いちばん許せないんだよな」
蓮司は前に回り込んだ。
遥の目の前に立つと、無言でその顔を覗き込む。
「でもさ──自分が“壊された”って顔してるときが、一番安心してんじゃん」
「安心しながら、誰かに“ああ、やっぱりおれは価値がないんだ”って、言ってもらいたいだけだろ」
「それが“正しさ”だって、自分に思わせたいだけだろ」
遥の唇が、かすかに開いた。
でも、声は出なかった。
「だからさ、あのとき──日下部が助けてくれたら、本気で守ってくれたら……おまえ、壊してたよ、きっと。
言葉で、行動で、無意識で。
“やめて”って言いながら、“裏切って”って祈るんだよな、そういうとき」
「おまえのそういうとこ、俺、ほんと……美しいと思うよ」
そう言った蓮司の目は、笑っていなかった。
ただ、深く、深く遥を覗き込んでいた。
その奥の、「自分でも知らなかったはずの場所」まで、届くように。
「だから──罪深いって言ってんだよ。
日下部のことなんか、最初から“信じる”気、なかったんだろ?」
遥の心臓が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。
蓮司は、ふっと目を伏せた。
そして、少し声の調子を変える。
「でも、安心しろよ。
“罪”ってのは、赦されるためにあるわけじゃねえ。
おまえみたいなやつが背負ってくれてるから、俺たち生きてられるんだよ」
「じゃあな、“いちばん壊れたいやつ”」
そのまま、蓮司は去っていった。
遥は、日下部の机に手をかけた。
ぐ、と力を込めたその指先が、白くなる。
目を閉じると、浮かぶのはあの日下部の声。
あの、どこまでも不器用で、まっすぐで、間の悪い声。
「……遥、おまえ、ほんと……バカだよな」
──あれは、いつの言葉だったろう。
今も、あの声が耳に残っている。
それだけが、どうしようもなく、痛かった。