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もちぷよ
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#山中柔太郎
65
~吉田視点~
どれくらいそうしていただろう。
激しい雨の音が、僕の耳元でずっと鳴り響いている。
泣き疲れ、力の入らなくなった僕の身体を、太智はそっと引き離すと、その手で僕の頬を包み込んだ。
その瞳は、雨水に濡れながらも驚くほど真っ直ぐで温かい。
「じんちゃん、……こんな土砂降りのなかにずっとおったら、二人して風邪ひいてまうわ。僕の家、すぐそこやから。……おいで?」
その拒絶させない強さと優しさに、僕はただ甘えた。
歩き出すと、太智は僕の肩をしっかりと抱き寄せ、もう片方の手で僕の冷え切った手をずっと強く握りしめていた。
駅へ向かう道で太智は僕を庇うように歩きながら、空いた手でスマホを取り出して会社へと電話を入れていた。
「あ、お疲れ様です、営業部の塩﨑です。すみません、今外勤終わったんですけど、急に激しい雨に降られて服がびしょ濡れになってしまって……。
はい、書類の提出は月曜の朝イチで必ずやりますので、このまま直帰させていただいてもよろしいでしょうか?
すみません、ありがとうございます」
仕事が残っているはずなのに、太智は全部を後回しにして、僕なんかのために…。
太智の家は僕の部屋よりも少しだけ手狭で、だけど安心感に満ちていた。
「ほら、さっさとシャワー入ってこい。風邪ひかれたら困るし」
いつもの意地悪な口調。
だけど太智は、自分の服を着替えるよりも先に僕を浴室へと押し込んでくれた。
温かいシャワーを頭から浴びて、ようやく凍りついていた身体の感覚が戻ってくる。
それでも胸の奥の冷たい空洞だけは、どれだけ熱いお湯を浴びてもちっとも温まらなかった。
シャワーを浴び終え、太智のスウェットを着てリビングに戻ると、僕の前にマグカップから湯気が立ち上るホットミルクが差し出された。
「じんちゃん、これ飲んで。ちゃんとお腹温めや」
太智は自分の髪をタオルで乱暴に拭きながら、僕の隣に、そっと腰掛けた。
マグカップを両手で包み込むと、じんわりとした温もりが手のひらに伝わってくる。
「……ありがと、太智。仕事、大丈夫だった?」
「ええんよ、あんなん。月曜にちょっと早出したら済む話や。
……それより、じんちゃん。はやちゃんの家で、何があったん?僕に話せる?」
太智の声は、いつになく優しくて静かだった。
僕はホットミルクを一口すする。
ミルクの甘さが、今の僕にはひどく苦く感じられた。
僕は膝の上でマグカップを握りしめたまま、ぽつり、ぽつりと、さっきあの扉の向こうで目撃した真実を口にし始めた。
「勇斗さ……会社、半年も休職したんだって。俺からの連絡も全部無視してさ…。
今日、どうしても居ても立ってもいられなくなって、あいつの家に行ったんだ。でも、勇斗は俺を頑なに家の中に入れようとしなかった。すごい冷たい態度でさ……。
でもその理由も、すぐに分かった」
思い出すだけで、心臓の奥が冷たいハサミで切り裂かれるような感覚が蘇る。
「奥からさ……聞こえてきたんだ。柔太朗の声が」
「……っ」
太智の息を呑む気配が、隣から伝わってきた。
「勇斗はあの人を自分の家に引き取って、二人で暮らしてる。全部、あの人をひとりにさせないためだったんだよ。
それなのに、何も知らずにさ……。心配してあいつの家まで押しかけた自分が本当に……滑稽で、惨めで、大嫌いっ。
あいつは、もう俺なんていらないみたい…っ」
マグカップを持つ手がガタガタと震え、中のミルクが白く波打つ。
涙が溢れてホットミルクの表面にぽつぽつと落ちて小さな波紋を作った。
そんな僕の震える両手を、太智の大きくて温かい手がマグカップごと包み込んだ。
「アホ…。ほんまにじんちゃんはアホやなぁ……」
太智は低く、掠れた声でそう呟いた。
「何が滑稽やねん。何が惨めやねん。好きなやつのこと心配して、傷つくの分かってて会いに行って、どこが滑稽なん?
……そんなん、誰よりも一途で、誰よりも一生懸命なだけやんか」
太智の手のひらから、真っ直ぐな熱が伝わってくる。
「はやちゃんがその道を選んだんは、あいつの人生や。でも、じんちゃんがはやちゃんをずっと想い続けてきたその気持ちは、何一つ間違ってへんし、誰にも汚されへん。
僕が、絶対にそんなこと言わせへんから」
太智は僕の両手を握ったまま、僕の濡れた瞳をじっと見つめてきた。
その手の温もりが、僕に向けられた確かな愛なのだと肌で分かってしまうからこそ、僕の胸の奥は、じわりと切ない罪悪感で満たされていく。
「……太智……っ、」
僕はマグカップをそっとテーブルに置くと、太智のスウェットの袖を強く握りしめた。
~佐野視点~
カチャリ、と鍵を閉める音が、やけに重く冷たく響いたあの日。
仁人に冷たい拒絶の目を向け、目の前でドアを閉めてから数日。
仁人を傷つけてしまった自覚はある。
連絡もずっと返さず、いきなり閉め出されたあいつが、今どんな気持ちなのか想像するだけで胸が苦しかった。
けれど柔太朗を守るため、俺は柔太朗を安心させるためだけに、あいつを軽い嘘で片付けた。
仁人に対する罪悪感で吐き気がしたけれど、今の俺は、目の前で怯えているこの人を守るためなら、どんな嘘だって、どんな薄情な男にだってなれる――そう思っていた。
そんなある日の午前中のこと。
再びインターホンが鳴った。
俺はまた仁人が来たのかと思って、小さく身構えながら玄関のドアを開けた。
だがそこに立っていたのは、鋭い眼差しを向けた太智だった。
「……太智? なんでお前が」
「勇斗、ちょっとツラ貸せ。そこらのカフェでもええし、なんならここで話してもええけど」
太智のただならぬ気迫に押され、俺はまだ眠っている柔太朗を寝室に残し、リビングに太智を招き入れた。
ソファに腰掛けた太智は、薄暗い部屋の閉ざされたカーテンを一瞥すると、低く冷めた声で本題を切り出した。
「なぁ、はやちゃん。お前、自分が何してるか分かってんのか?」
「何って……俺は、柔太朗を守ってるんだよ。あいつはまだ、外に出られる状態じゃなくて…、」
「守る?笑わせんといてや。これのどこが守ってるん? お前がやってんのは、ただの『監禁』やろ」
太智の容赦のない言葉が、俺の胸を真っ直ぐに突き刺す。
「お前、会社を半年も休職して、朝から晩まで付きっきりなんやってな。でも、いくらあいつが大切やからって、こんな狭い部屋に閉じ込めて、お前だけに依存させてどうするつもりなん?」
「は?閉じ込めてなんかっ……」
「……なぁ、その休職が終わってからのこと、ちゃんと考えてるんか?」
「っ、それは……」
「お前の休職が終わったら、またあいつはひとりになる。お前が仕事に行ってる間、あいつはどうやって息するん?
……お前が一生仕事もせんと、その部屋であいつを飼い殺しにするんやったら話は別やけどな」
太智は身を乗り出し、真っ直ぐに俺の目を射抜いた。
その綺麗な瞳に宿る圧倒的な圧力に、俺の身体が微かに強張る。
「柔太朗くんのこと本当に思ってるんやったら、外の世界に少しずつでも慣れさせなあかん。自立させなあかんやろ。
今のままやったら、あいつはお前がおらな生きていかれへん、ただの壊れた人形で終わるで」
「……っ、お前に何が分かるんだよ! あいつがあの夜、どれだけ恐ろしい目に遭ったか、どれだけ傷ついたか……!」
「分からんよ! 分からんから、僕は柔太朗くんの『これから』の心配をしてるんや!」
太智の声が、静まり返ったリビングに激しく響いた。
怒鳴られた俺は、反論する言葉をすべて失ってその場に立ち尽くす。
「……あとな、お前が仁人を傷つけたことも僕は絶対に許せへん。
でもな、勇斗。お前が自分で選んだ道なんやったら……せめて、あいつをちゃんと幸せにしたれや。頼むから。
……じゃあ行くわ。邪魔したな」
太智はそれだけを言い残すと、一度も振り返らずに部屋を出て行った。
バタン、と閉まった扉のあと、俺はしばらくその場から動けなかった。
to be continued……
コメント
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『強くなりたい』を読んだ流れで、大まかなストーリーは何となく把握していたのですが、想像以上に仁ちゃんが可哀想すぎます(泣) そして、太ちゃんが、カッコよすぎます!! 弱っている吉田さんを守るだけでなく、佐野さんにビシッと言うべきことは言うところが、もう男っぽくて素敵すぎる…。