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#独占欲
#溺愛
「───そんなに、俺から離れたいのか?」
屋敷の書斎。
久遠様の低く、地を這うような声が、ピリついた緊張感とともに室内に響き渡った。
夜会での「浄化の異能」の噂は、瞬く間に帝都を駆け巡った。
案の定、軍の上層部がこれほどの希少な力を放っておくはずもなかった。
今日、久遠様のもとに届いたのは
私を「異能調査員」として軍の施設へ提供せよという、高圧的な公文書だった。
「いえ、そういうわけでは……!ただ、私の力が本当にお役に立てるのなら、微力ながら協力したいと思っただけで……」
私が俯きながら答えると、久遠様はマホガニーの机を叩くような勢いで立ち上がり
一歩、また一歩と私に詰め寄ってきた。
窓から差し込む夕日が、彼の鋭い輪郭を縁取り、その影が私を飲み込むように伸びる。
「軍の連中が何を考えているか、お前は分かっていない。あいつらは、お前を国を護る英霊などとは見ていない」
「ただの便利な『道具』、あるいは『兵器』としてしか見ていないんだ。清らかなお前を、あんな薄汚い連中の目に晒すなど……この俺が断じて許さん」
その瞳には、かつてないほどの激しい独占欲と、どこか子供のような焦燥が混じり合っていた。
久遠様の手が私の肩を強く掴む。指先から伝わる力が、少し痛いくらいだった。
「……久遠様、い、痛いです…っ」
「っ、すまない……」
ハッとしたように力を緩める久遠様。
だが、その腕は私を離すどころか、そのまま逃がさないように強く、より深く抱きしめてきた。
彼の軍服から、冷たい硝煙と白檀の香りが混ざり合って漂う。
「千代……お前は、俺だけの女で居てくれるだろう?」
耳元で囁かれる、執着に満ちた掠れた声。
その微かな震えから、彼がどれほど私の喪失を
私という存在が自分以外の色に染まることを恐れているかが伝わってきた。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
「そ、それはもちろんそうですが…わ、わかりました!私、どこへも行きませんから、そんなに悲しい顔をしないでください…!」
精一杯の想いを込めた言葉に、久遠様は安堵したように深く
長く息を吐き、私のうなじに顔を埋めた。
そのまましばらく、彼は私という存在を確かめるように動かなかった。
「明日から、俺の執務室にもお前の席を作る。軍務の間も、一秒たりとも俺の視界から外れることは許さない。……いいな?」
「えっ、お仕事の場所まで……?」
「お前を守るためだ」
その翌日から
異例中の異例として、私は伯爵閣下の「秘書官」という名目で軍の司令部へ同行することになった。
黒い軍服に身を包んだ久遠様は、部下たちの前では氷のように冷徹な指揮官としての顔を見せている。
だが、デスクの下ではこっそりと私の手を握ってきたり、人目が切れた瞬間に
「疲れていないか?」と銀座の高級な甘菓子を差し出してきたりする。
周囲の将校たちが目のやり場に困り
あからさまに咳払いをするほどの過保護ぶりに、私は顔を真っ赤にする毎日だった。
けれど、そんな穏やかで
気恥ずかしい執務室に、一人の男が訪ねてきたことで空気は一変した。
軍の特務機関に所属する、冷ややかな輝きを放つ眼鏡をかけた男。
「久遠伯爵。例の『異能犯罪』の件ですが……どうやら、奥方の実家である五條家が関与している疑いが出てきました」
その言葉が落ちた瞬間、久遠様の握っていた万年筆が、みしりと不穏な音を立てて歪んだ。
私の過去を蝕み、私を「無能」と切り捨てた実家の影が
再び私たちの手に入れたばかりの幸せを壊そうと、暗く這い寄ってきていたのである。