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「ふ・・二人だけの時は・・・もう私を愛しているフリなんかしなくていいのよ?・・・」
洋平は何も答えなかった
彼は謎めいた表情で、じっとくるみを見つめていた、いったい彼が何を考えているのかさっぱりわからない
「・・・・そろそろ出ようか・・・・家まで送るよ・・・・帰ってから大事な話があるんだ・・・・」
洋平がさりげなく右手を上げると、支配人らしい格好の男性が風のようにサッと現れた
「勘定を頼む」
支配人が優雅なお辞儀をして言った
「かしこまりました、お食事はお気に召して頂けましたでしょうか?」
「ああ、なかなかのものだ、とても楽しい晩を過ごさせてもらったよ。シェフによろしくお伝えください」
そう言うと洋平は支配人が両手で差し出した、赤のベルベットのトレーの上にブラックカードを置いた
支配人はまるで上客に賛辞を寄せられたかのように、うれしそうな顔をした
「ありがとうございます。佐々木様にお料理を楽しんで頂けたと知らせたら、シェフも大喜びするでしょう、ぜひまたおいで下さいませ」
「ありがとう・・・また必ず来るよ」
支配人は身をひるがえして去り、くるみはそれがおかしくてクスクス笑った
「あの人、ご機嫌伺いの特別講習を受けたみたい」
「どういうこと?」
洋平は意味がわからない顔をした
「だってあんなに大袈裟に、まるで私達が特別なお客様みたいに扱っていたわよ」
洋平が奇妙な顔をする
「ああ・・・ここを勧めてくれた僕の友達が、上客だからかな?それに一流の店の支配人はどんな客にも、特別扱いされた感じを与えようとするものじゃない? 」
クスクス・・・
「普段は私達二百円のパンを食べてるのにね」
「あの韓国カフェのパンはもう少し値段を取ってもいいぐらい旨い!そうだよ、僕達は庶民さ・・・」
そしてじっと洋平はくるみを見た
「どうしたの?洋平君?」
「くるちゃん・・・実は・・・・」
その時スーツ姿の男性二人が洋平とくるみのテーブルの脇を通り過ぎようとした
その二人のうち、若い方の男性が洋平を目にして驚きの声をあげた
「佐々木さん!佐々木洋平さんじゃないですか!」
その男性は敬意をこめた低い声で叫んだ。するともう一人のダークスーツの男性も
「おおっ!」と洋平の顔を見て驚いて戻って来た
「私の故郷であなたにお目にかかれるとは!なんと!」
「光栄です!ジュニア!大阪から離れることがおありとは知りませんでしたよ」
洋平はピクリとも動かなかった
それからチラッとくるみの顔を見た。いつも人には愛想の良い彼がなぜ知り合いらしい二人に、そんな態度を取るのかくるみは不思議に思った
「お知り合い?役者仲間とか?」
くるみは首をかしげて微笑えんだ、自分のことは気にしないで、どうぞお相手してと目で合図を送った
それなのに彼はぎゅっと両目を閉じ不自然なほど静かだ
しかしついに彼は立ち上がり男性二人に挨拶した
ガタンッ
「いやあ、松田君!荒元君!僕はこの二日ほど友人の家で世話になってたんだ。初めて来たけど本当に美しい所だよね!」
「おおっ!そうでしたか!」
「それは!それは!よろしいですな」
松田君と荒元君とやらは、いかにも慎み深く振舞っているが、あからさまに目は二人に突き刺すような好奇心を示している
すかさず洋平がテーブルを回り、くるみのバッグを持って椅子を引いたので、くるみは思わず立ち上がった
「くるちゃん、松田君と荒元君を紹介したかな?したよね?二人とも、こちらは秋元くるみさん」
二人は興味津々という顔でくるみをジロジロ眺めた
ニッコリ・・・「初めまして、良いお店ですね―」
「さぁ!僕達はちょうど帰る所だったんだ、ゆっくりしていたいんだが、彼女のお父さんに遅くならない時間に戻ると約束したんでね。二人とも!来週また会おう!」
「ええ!ぜひ!楽しみにしていますよ、では!先週のお約束通りに。火曜日の午前中に事・務・所・にお伺いしてよろしいですか?」
年上の方の男性、荒元が洋平に食い下がった
まるで聞かれたらまずい事を言われたみたいに、洋平が片眉を上げてくるみを見た
キョトン・・・
「事務所って?・・・芸能事務所の事?」
「行こう!それじゃ!」
洋平がくるみの肩を抱いて、猛スピードでレストランを出るのを、男性二人は目を丸くして見送った
くるみは洋平の腕越しにチラリと後ろを向いて軽く会釈した
するとゼンマイ仕掛けのように彼ら二人もギクシャクと頭を下げた
・:.。.・:.。.
「ごめんね・・・急がせたみたいで」
車の中で二人になると洋平がバツが悪そうに言った
「わかってる、洋平君あの人達苦手なんでしょう?大変よね、職場に苦手な人がいるのって・・・波風立てずに上手くやっていくのって神経使うわよね、私は全然気にしてないわ。洋平君の気持ちとってもよくわかるもの」
くるみは明るく言った
「苦手?そ・・・そうだね」
「私も先週のお休みにね、ショッピングモールで秘書チームの後輩ちゃんを見かけたの、でもあきらかに背の高い男の子とデート中に見えたから、声をかけるのは控えたわ、だって職場で毎日顔を合わせているのに、休日もその人の顔を見るなんて嫌でしょう?つい仕事の事を考えちゃうわよね」
自分がされて嫌な事はやはり基本したくないのが、くるみの性格だ、慰めるように彼に優しく言う
「洋平君も役者同士チームワークを大切にしないと、良いお芝居が出来ないわよね。でも自分の目標を達成するためなら苦手な人ともお付き合いするのも大切よね、私はそういう経験も全て自分のものになると思っているの」
「そうなんだね・・・・くるちゃんはそう考えるんだね」
洋平は感心したように言った
「いつか母が言ってたけど、苦手な人を避けて通るのって、自分が嫌な思いをしたくないとかいう自己保身の思いからでしょう?でもそれってその場は回避できても、また人を変えて同じようなパターンが現れるんですって」
「なるほど」
「だから苦手な人を避けて通っていては、ずっと同じパターンのループに入り込むから、自分がその「苦手」を克服してしまう方が早いんですって!そうしたら「苦手な人」が「苦手」じゃなくなるから」
「お母さんの言う通りだ、なんて素晴らしい人なんだ」
「母は専業主婦だけど、人とのコミニュケーションのプロだから」
朗らかに笑う彼を見て、くるみはホッとした
さっきあの二人に出会ってから、ずっと彼はどこか考え込んだ顔をしていたから、なんとかくるみは洋平を元気づけたかった
だって明るくて軽口を叩いている彼は本当に素敵だから
それにさっきの二人が世界一魅力的な男性だったとしても、あの場に長居したいとは思わなかった。やっぱり自分が望んでいることは、彼と二人きりになることだった
あの二人が現れる前の自分達は、テーブルを挟んで何かが起きていた
彼の瞳を見ていると何か熱いものが自分の中に流れる
くるみはハッキリ自覚した、洋平に対する自分の感情が根本的な所で変わったのだ
車内では彼が車を運転する間、くるみは彼の横顔ばかり見ていた。見ずにはいられなかった
思わず頭を彼の肩にもたせ・・・・永久にそのままでいたいとも思った
いつもは呆れるほど彼は、人の気持ちを読み取るのが上手いのに、今の私の気持ちはちっとも読んでくれない・・・
かまって欲しいのに・・・・
優しくして欲しいのに・・・
もう少し一緒にいたいのに・・・
彼はスピードを出してさっさとくるみのマンションに向かっていて、時々車の流れとか、結婚式の客の話とか、夜空が曇っているとかどうでも良いことを話題にして
礼儀正しく二人が沈黙にならないように気を遣ってくれているが、どことなくよそよそしかった
彼とくるみの体格はあきらかに違う、きっと体重も彼の方が数十キロ多いだろう、思わず彼にベッドでのしかかられた時を空想してしまう
きっと自分の体はすっぽり彼に包まれてしまうに違いない
レクサスの高級な革のシートと、上等な芳香剤の匂いを大きく深呼吸して吸う
そろそろフェイクなフィアンセごっこも終わりを告げる頃だ
さしずめこれが映画だったら今はエンドロールが流れているのだろう