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ルキウスが息を呑む。
私は顔を上げられないまま、
「オペラの鑑賞に、同席してほしいと。顔は分からぬよう、仮面の着用を許可くださいました。ですから、その……」
喉が重い。
吐き出す言葉のひとつひとつが、意志を持って拒んでいるかのよう。
「ルキウス様に、ご迷惑をおかけすることはありませんわ」
「……ひとつだけ、確認なのだけれど。それはアベル様が強要しているのではなく、マリエッタが自分で決めたことなんだよね?」
「…………ええ」
沈黙。手の内の温度が、知らないほどに冷え切っている。
けれど私が。他の誰でもない、私が悪いのだもの。
白薔薇を受け取ったのは、紛れもない、この手。
「ルキウス様。お約束をしておりましたのに、ご相談もなく勝手なことを……。本当に、申し訳――」
「よかったね、マリエッタ」
「…………え?」
顔を上げる。
ルキウスは怒るでも悲しむでもなく、にこりと良く知った笑みを浮かべて、
「大好きなアベル様に、オペラに誘われたんでしょ? それも、聖女祭の。アベル様の心内は僕にもわからないけれど、今一番アベル様に近しい令嬢は、間違いなくマリエッタだよ。もっと喜んでもいいんじゃない?」
「……そう、ですわね」
(あ、あれ?)
ルキウスは悲しんでもいないし、怒ってもいない。どころか良かったねと、祝福さえしてくれている。
喜んでくださるのなら婚約破棄してくださいと、お願いすべき場面なのに。
どうしてこんなにもモヤモヤとして、いうべき一言が出てこないのだろう。
(アベル様のことだって、そうだわ。私、もっと浮かれてもいいはずなのに)
ルキウスのことばかり考えていて、お誘いを受けてからたったの一度も、晴れやかな気持ちになっていないような……。
「そうだ。教会の座席って、今年も二席お願いしていたんだよね? それってまだそのまま?」
「あ……はい。ロザリーにその話をする前に、こちらに来てしまったので」
「なら、そのまま二席でお願いしておいてくれる?」
「え……と、ルキウス様が、二席分ご入用ということでしょうか」
「うん。僕も今年のエストランテを知っておかないとだし、せっかくだから、僕が他の同伴者を連れて行くよ。そうすれば、席の調整を頼む手間も省けるだろうしね」
他の、同伴者。
(私ではない別のご令嬢と、ルキウスが)
聖女祭はもう間近だけれど、ルキウスに誘われたなら、きっとどんなご令嬢も快諾してくれるだろう。
ううん、むしろ。ルキウスから声をかけるまでもないのかも。
彼がフリーだと知ったなら、この好機を逃すまいとご令嬢方が押しかけてくるだろうから。
(ルキウスはどんな子が好みなのかしら。可愛らしい系? それとも、しっとりと落ち着いた大人な方?)
脳裏にルキウスと腕を組む、数々のご令嬢が浮かんでは消えていく。
胸がチクチクするのは、気のせいに違いない。
(私と婚約を破棄したなら、ルキウスだって、別の方と婚約をしなければならないのだもの)
遅かれ早かれ、訪れていた未来。
私はぐっと片手を握りしめ、なんとか笑顔を作る。
「そうしていただけますと、助かりますわ。ロザリーにこれ以上迷惑をかけずにすみますから」
「わかった。今年こそ、エストランテになってくれるといいね」
「ええ、本当に」
私は数秒の沈黙の後、「あ、あの」とルキウスを見上げる。
「お詫びに、お好きなだけクッキーを作りますわ。いいえ、他のものでも。ルキウス様がお好きなものを、お渡しさせてくださいませ。聖女祭までまだ日もありますし、何日でも、何度でもっ」
「ありがとう、マリエッタ。気持ちはとても嬉しいのだけれど、ちょっと、難しいかな」
「え……?」
苦笑を浮かべたルキウスは、視線を窓の外に投げる。
「近頃どうにも少し、淀みの発生が多くてね。聖女祭が近いこともあって、浄化石が戻り次第、また遠征に向かわなければいけないんだ」
「そんな……。お戻りは、いつに」
「たぶん、聖女祭の前日かな。一時的に戻ることはあったとしても、きっと、会いにける時間はないだろうから」
ルキウスは軽く肩を竦めると、
「今日が最後のチャンスだったんだ。だからどうしても会いに行きたかったのに、拘束されちゃって。とはいえ、たしかに大人気なかったよね。……会いに来てくれて、ありがとう」
聖女祭、楽しんでね。
そう告げるルキウスは、やっぱり穏やかで。彼の本心がうまく見えない。
懐かしいあの湖畔で、本当は寛容なんかではないと言っていた彼の姿を思い出す。
(今も胸の内は、嫉妬心が渦巻いているのかしら)
それとも、この穏やかさは。
とうとう私への想いが失せて、手放す決心をしたがゆえの”ありがとう”なのでは――。
(……わからない)
訊ねれば、答えてくれるのだろうけれど。
どうしてか訊きたくはなくて、私はただ小さく頷き、
「ルキウス様も。遠征、お気をつけていってらっしゃいませ」
可愛げのない、無難な言葉を絞りだすだけで、精一杯だった。