今夜のメインはポトフだ。
ポトフは色々な野菜をザクザクと大きく切って、ソーセージと一緒に煮込むだけの簡単な料理。例えたくさん作りすぎたとしてもシチューやカレー、具材だけを使ってサラダにも変身する。味だってシンプルなコンソメから、トマトやキムチ風味と様々な応用ができる最高に万能な料理だ。
今日の夕食は光太が食べに来ているからエスニック風にしてみようかとも考えたが、それだと辛いものが苦手な隼士が食べられなくなってしまう。そうなるとやはり基本のコンソメ味を作っておいて、後から別の鍋で辛味を足すのが妥当だろう。包丁を動かしながらそんなことを考えていると、隣からの溜息交じりの突っ込みが入った。
「オイ、朝陽。ポトフ用のニンジンが、桂剥き大会の参加材料になってんぞ」
それは隼士よりも一足先に仕事を終え、料理の準備の手伝いに来てくれた光太のものだった。しかも、「ぶっちぎりの優勝オメデトウゴザイマス」とオチまでつけられる。
しかし、朝陽は言われている言葉の意味が理解できなかった。一体光太は何を言っているのだろう。首を傾げながら手元を見れば――――。
「あ……」
ざく切りにするはずだったオレンジ色が、見事な薄皮の反物となってまな板の上に折り重なっていた。
「え、あれ、何で?」
完全に無意識だった。
「何で、は俺の台詞だボケ。料理教室の講師が食材で遊んでんじゃねぇよ」
「す、すんません……」
確かに職業柄、食材を無駄にするのはいただけないと朝陽は素直に謝る。と、光太は「その人参はサラダ行きな」と告げて、さっさと自分の仕事であるジャガイモの皮むきに戻った。
「で? その絶不調の原因は隼士か?」
「へ?」
「何があった?」
「い、いやっ? な、何もないっすよ?」
「声が裏返ってんぞ」
「う……」
鋭い指摘に、頭を垂らす。相手の隠しごとをすぐに見出してしまうとは、さすが多くの人間の心に寄り添い、弁護してきた敏腕弁護士の一人だ。隼士同様、光太に隠しごとはできない。
だが話を振ってきた割に、光太はそれ以上何も言ってくる様子がなく、ただただ皮むきに勤しんでいる。
恐らく、朝陽から話を切り出すのを待ってくれているのだろう。
「……恋人、見つかったんですよね……」
改めて用意したニンジンを切りながら、ポツリと漏らす。
「あー、静香のことか。でも確定じゃねぇんだろ?」
多分、隼士から聞かされたのだろう。光太も経緯を知っていた。
「けど……隼士が食べられるお菓子作れる人だから……」
あの時、隼士は「じっくり話し合いたい」と言っていた。けれども、朝陽は二人がそのまま付き合ってしまうものだと思っている。確かな根拠はないが、そんな予感がするのだ。
「それで? 隼士と静香が付き合うようになったら、どうすんだ?」
「どうするって……そりゃ祝福しますよ。親友の幸せを喜ばない人間はいないでしょ?」
「そんな絶望しきった顔して祝福? お前、本当バカだな」
漸く皮むきの手を止め、こちらを見た光太が眉間に皺を寄せながら暴言を吐く。
「バカって……光太さん酷いっすよ」
「バカにバカって言って何が悪い。ってかよ、んな誰かに取られるかもって想像で情緒不安定になったうえ、注意散漫だのミスだのするようになるぐらいなら、最初から嘘なんか吐くんじゃねぇよ」
「……え?」
「回りくどいの嫌いだから単刀直入にいうけど、隼士が探してる恋人って、お前だろ」
冗談なんて微塵もない顔で、真っ直ぐ見つめてくる。あまりにも唐突な斬り込みに、ヒュッと息を吸ったまま、呼吸が止まりそうになった。
「な、に言ってるんすか……」
「下手な芝居はいい。俺、全部知ってるから」
一歩一歩、気づかれないように逃げようとするも、即座に間合いを詰められてしまう。まるで獲物を締め殺さんとする大蛇のごとく威圧感に、朝陽は背筋を凍らせた。
「前にここで飯食った日あったろ。あの時、お前の部屋で隼士が持ってる指輪と同じもの見た」
それは以前、二人で鍋を食べた時のことだ。朝陽が隼士との電話で席を外している際に、朝陽の部屋に入り、そこで指輪を見つけたのだという。
「どうして、そんな…勝手に……」
「勝手に部屋に入ったことは悪かったと思ってる。お前が許せないっていうなら、それなりの罰だって受けてやるよ。でもあの時、あからさまに何か隠してますって素振りだったし、何よりもお前、隼士が記憶なくした直後からおかしかっただろ? だから絶対に何か抱えこんでるって、心配になったんだよ」
朝陽は前々から自分を抑える癖がある。会う約束をした時でも、相手に別件の予定が入ると必ず自分から身を引く。ふとした会話の中でも、過度な自己主張をせずに周りを立てる。それに気づいていた光太は、すぐに違和感を覚えたのだという。
「なぁ、何で恋人だったこと隠したんだ?」
「そ……れは……」
早く否定しなければと、焦りが心の中を占める。が、突然核心を暴かれ、酷く狼狽してしまった朝陽は何も言えない。
「お前のことだから、相応の理由あんだろ?」
悩んでるなら話してみろと、少しも疑いのない光太に真っ直ぐ見つめられ、完全に閉口してしまう。やがて目を合わせることすらも苦しくなってきた朝陽は、悪戯を見破られた子供のように瞳を左右に震わせ、そのまま視線を下げた。
そんな朝陽を横目に、光太が隼士さ、と言葉を続ける。
「アイツさ、仕事の休憩中とかずっと指輪見つめてるんだぜ。きっと忘れちまったことの罪悪感とか、早く見つけ出してやりたいとか色々考えてんだろうな」
それは、朝陽の知らない隼士の姿だった。
「それぐらい恋人を大切に思うアイツの気持ち、信じられないのか? お前にとって、アイツの愛はそんなに弱いもんだったんか?」
「っ……違うっ! 隼士の愛は弱くなんかありませんっ! 隼士は男の俺と一生生きてくれるって覚悟を決めて、プロポーズまでしてくれたんです!」
隼士を否定されそうになったことに我慢できず、衝動的に真実を漏らしてしまう。瞬間的にしまったと目を見開いたが、時既に遅かった。
「やっと吐いたか」
「あ……」
自分はまんまと光太の誘導に引っかかってしまった。気づいた朝陽は、萎れた花のようにみるみる小さくなり、息を詰めながら唇を噛んだ。
もう、ここまで言ってしまったのなら、隠すことは諦めるしかない。
「で、隠した理由は何だよ?」
「……隼士の未来を壊すのが……怖かったんです。だから記憶をなくしたことを利用して、関係をリセットした……」
「隼士の未来を? 何だ、お前が恋人だとアイツの未来は壊れんのか?」
問われ、朝陽は迷うことなく首を縦に振る。
「俺、隼士には幸せになって欲しいんです。裁判官になる夢を叶えて、それから綺麗な人と結婚して……子供を作って……誰からも認められる人生を送って貰いたい」
優秀で将来性のある隼士には絶対、絵に描いたような人生が似合っている。
「でも、俺じゃ……そんな未来を歩ませてあげられない。隼士を不幸にすることしかできないんです……」
隼士が名のある役に就けば、今の何倍という人間に囲まれることになる。仲間や仕事関係者は勿論、時には政治関係者にだって会って話すこともあるだろう。そういった時、場を繋ぐ会話の一つとして、家族の話題が持ち上がることが多い。
結婚相手はどんな人間か、子供は何人いるのか、どこの学校に通っているのか。もしも朝陽を相手に選んでしまえば、隼士はそんな場面で度々苦い思いをしなければいけなくなる。それが苦痛だと真実を話せば対応は楽になるものの、今度は誹謗中傷の的になる危険や、下手をしたら裁判官には不適切だと職を奪われる危険に晒されるかもしれない。
今はまだ若いから、愛を優先した行動を取っても笑って許される。が、十年後、二十年後となると必ず無理が出てくるはずだ。
「俺は、隼士の夢を奪う原因になりたくないんすよ……」
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