「じゃあ、行ってくるね。お店、頼みます」
「ああ、行っておいで。玲伊ちゃんによろしく」
翌週の火曜日。わたしは祖母に見送られながら、約束した午前11時きっかりに〈リインカネーション〉を訪れた。
実はあれから、気弱な気持ちが頭をもたげてきて、何度も断ろうと思った。
でも、その度に、あの時の玲伊さんの、熱っぽい眼差しが蘇ってきて、結局、断れないまま、今日を迎えてしまった。
今日は月に一度の全館定休日と聞いていたので、正面ではなく、なじみの従業員口に向かった。
警備員さんに名前を告げて、少し待っていると、玲伊さんが降りてきてくれた。
「いらっしゃい」
「よろしくお願いします」
いつもどおりに麗しい彼に連れられて、5階の会議室に向かった。
案内された部屋は、前よりもコンパクトでシンプルだった。
着席してすぐにドアがノックされ、笹岡さんと若い女性スタッフが連れ立って現れた。
わたしは慌てて立ちあがり、頭を下げた。
笹岡さんは口角を少し上げて、軽く礼をした。
「加藤さん、この度はお引き受けいただいて、本当に助かったわ。ありがとう」
「いえ」
彼女は長い前髪をかき上げながら、美しい所作で席についた。
笹岡さんは本当に素敵で、つい見とれてしまう。
アッシュブラウンのロングヘアを緩めに巻き、グレイのタイトなシルエットのスーツに黒シャツを合わせている。
前にお会いしたときも思ったけれど、仕事ができる大人の女性の見本のような人だ。
そして、もうひとりはわたしと同じくらいの年恰好で、前髪を眉の上で揃えた明るい茶髪のボブスタイルがよく似合っている女性だ。
人懐っこい笑顔が印象的な人だった。
彼女は名刺を差し出した。
「岩崎といいます。今後、わたしが加藤さんの連絡窓口になりますので、どうぞよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
全員が席についたところで、玲伊さんが口火をきった。
「じゃあまず、彼女に資料を渡してくれる」
「はい」
岩崎さんがA4サイズの茶封筒を差し出した。
中身は横とじの書類とケース入りのIDカード。
わたしが書類をめくると、岩崎さんが話しはじめた。
「企画の概要と現段階でわかっているスケジュールと各施設の連絡先などが記してあります。紀田さんからはできれば来週の月曜日から始めたいと聞いていますが」
そう問いかけられたのでわたしは「はい、いつでも大丈夫です」と答えた。
先日、玲伊さんからも聞いていたけれど、わたしがこれから受ける施術というのは〈リインカネーション〉で提供しているすべてのサービスだ。
基本は週1回のエステと、週2~3回のジム。
ヘアはトリートメントを中心とした施術を行うそうだ。
こちらは予約ではなく、玲伊さんの都合のよいときに連絡をくれるという。
フィニッシングスクールのマナー講座には、最後の週に3日間通してかよってほしいとのこと。
レンタルスタジオでドレスを借りて、9月の〈リインカネーション〉の一周年記念のイベントに出席するのがゴールだ。
「これを自腹でしたら、確実に破産しますね」
わたしは大きなため息をひとつ、ついた。
「その間、随時『KALEN』の専属カメラマンが写真を撮りにくるからね」
「はい」
「あ、それから雑誌的には優ちゃんは抽選で選ばれた?世にも幸運なシンデレラ?ということになってるから」
「期待して応募した人がかわいそう」
「だいたいそんなもんだよ。雑誌の抽選なんて」
そうだろうか。
そんなことはないと思うけど。
その後、岩崎さんが一覧になっているスケジュール表の見方を教えてくれた。
「KALENさんが希望する撮影日にアスタリスクがつけてあります。そのなかで都合の悪い日がおありでしたら、後でいいので教えてくださいますか。あと、体調不良などで来られない時は、前日、もしくは当日の朝、必ずわたしにご一報ください」
「はい、わかりました」
そこまで話し終えたところで、玲伊さんと笹岡さんは椅子から立ち上がった。
「じゃあ、これから岩崎が各階を案内するから。一緒に回りたいところなんだけど、今から一件、予約が入っているんだ」
「予約? お休みの日ですよね」
「ああ、VIPサロンだけは顧客の都合を優先するから。どうしても今日でなければ、という方がいらしてね」
玲伊さんは一緒じゃないのか。
ちょっとがっかりしたけれど、それからすぐに考えなおした。
休みの日にも予約が入るぐらい忙しいのだから、玲伊さんがわたしの世話ばかりしていられないのは当然のこと。
逆に、ここ数日、わたしのために時間を割いてくれていたのが特別なことだったんだ。
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