「嘘つき」
僕は独り言を呟いた。
それは自分に対してなのか、海に対して言っているのかは分からない。
波の音だけが聞こえる静かな夜。
僕は、思い出の場所を去ることにした。
「おはよう。綾くんもう大丈夫なの?」
職場につくなり、穂波が心配そうに声をかけてきた。
「おはよう、もちろん」
「そっか。でも無理はしないでね」
昨日は海のせいで、体調不良を理由に休みを取っていた。
スタッフルームでマフラーとコートを脱ぎ、エプロンを着る。
僕は電車で5分ほどの駅に近いカフェで働いていた。
「店長、おはようございます」
「おはよう。昨日は綾くんがいなかったからお客さんがショックを受けていたよ」
「あー…」
言われただけで少しぞっとする。女性のお客さんはなんというか、恐ろしい。
それから9時の開店と当時に、3組が来店した。
笑顔で接客をする。
「ああ…綾くん…綾くんだ…好き」
「ありがとうございます」
唐突な告白にも笑顔で流すくらいにはもう慣れている。
「…成仏できる…」
女性は頬を赤く染め、両手で顔を覆うとそう囁いた。 それはちょっと困る。
「お客さま、ご注文はお決まりでしょうか?」
横から穂波が注文を催促しに来た。目で、他を対応して、と言っているのが伝わり僕はすぐその場から退散した。
「綾くん!!会いたかった!」
突然抱きつこうとしてきたお客さまを避ける。
「綾くん、一緒に写真撮ってくれませんか?」
「ええと」
「お客様、当店では店員との写真のサービスは行っておりません 」
穂波がすかさずフォローする。
「綾くん、連絡先を」
「すみませんが諦めください 」
穂波が割って入る。
「あなた私の綾くんに色目使ってるでしょ」
「使っていません。お客様、綾くんは私のものです」
穂波とお客様が揉める。
「2人とも、落ち着いて。あと僕はものじゃない」
「綾くんは別の対応に当たっててよ」
僕について話ているのに、僕を除け者にするのは何故だろうか。
「穂波、お疲れ」
休憩時間になり、疲れた顔をした穂波にココアを手渡す。
「ありがとう… 」
受け取った穂波は笑顔でそう言ったが、表情に疲れが見える。
「今日も、なんというかいつも通りか」
「いいよ。綾くんは悪くないし。いや、悪いよ…でも大丈夫、綾くんがキラキラを隠せないのはもう知ってるから…」
「…あはは」
僕は基本的に人には愛想良く接しているつもりだ。それが良いのか悪いのかは分からないが。
以前、クールキャラに挑戦してみた事があったが、無表情を心がけてみると客の言葉に顔が緩んでしまったとき、客は発作を起こして倒れてしまった。
それ以降余計なことをするのはやめろと店長と穂波に言われたっけ。
ふと、つけっぱなしのテレビから聞き覚えのある曲が流れ、目を向ける。
「綾くんのお兄さん、だったよね」
穂波が気づいたらしくそう言った。
「うん。もう何年も会ってないけど」
兄はアイドルをしている。血の繋がった兄であったとしても、今となれば遠い存在のようだ。
父も母も有名な俳優で、共演したドラマで恋に落ちたらしい。両親共に仕事が忙しく、あまり家にいた記憶がない。家族として傍にいてくれた兄も、アイドルになってからは家にいることがほとんどなくなった。
広い家で1人過ごす時間は苦しく、誰もいない真っ暗なリビングで泣いていたら偶然帰ってきた父に見つかり祖母の元へ勧められた。
家を出るとき、兄だけは反対していた。
「兄ちゃんだって僕を見捨てたくせに」そう、言い捨てて家を出た。 そんなことは無いのは分かっている。両親は僕を愛してくれているし、休日は僕との時間をつくってくれた。兄だっていつも僕を優先して大事にしてくれた。でも、傍にいないのなら、何の意味もない。
それから兄には1度も会っていない。しかし、誕生日には決まってプレゼントとおめでとうの言葉を贈ってくれた。
テレビに映る兄の姿は少し眩しい。
「あ、あの人また来てる…」
穂波の言葉に客席を覗いてみると、帽子にメガネ、マスクを付けた怪しい男の姿があった。
いつも1人で訪れては、コーヒーを1杯だけ頼み、飲み終わるとすぐに帰っていく。女性客の多いこの店では少々異質な存在だ。
「僕が出るよ」
「もしかしたらあの人も綾くん狙いかもしれないから気をつけてね…」
「流石にそれはないよ」
笑って、そのまま客のもとへ向かう。何度か接客した事があるが、話してみれば普通の人だ。
「コーヒーを1つ」
男はそれだけ言って、まじまじと僕の顔を見つめてきた。人から顔を見つめられるのはいい加減慣れてしまっていて、もう気にならなくなっていた。
「…ほら、ただのコーヒー好きな人だよ」
「ほんとに?」
穂波はまだ疑っている様子だった。
僕は軽く笑いながら、コーヒーを淹れる。
「私が持って行く」
「…分かった」
観念し穂波に出来上がったコーヒーを渡した。
カウンターでぼんやりとコーヒーを運ぶ穂波を見ていると、
「綾」
「わっ…て、海!? 」
海が近くに立っていた。
「なんでここにいんの?」
「カフェに客が来ても普通だろ」
「いや、まあそうだけど。まて、何でここが分かった?」
驚きを隠せず、問い詰める。
「それより喉が乾いた」
海は答えるどころか、悪びれもせずそう言った。
「…家の掃除やった?」
「もちろん」
得意げな顔をした海の髪に、埃が付いていることに気が付く。本当に掃除はしたらしい。
僕は笑って、それを落としてあげた。
「…」
海は何故か黙って目線をずらした。
テーブル席に案内してあげると海はメニューを広げて考え込んだ。
「むむ…」
優柔不断だ。
「ココア?オレンジ?」
待ちかねて向かいに座り頬ずえを付く。
「…コーヒーくらい飲める」
「絶対嘘だ」
海は苦いものが苦手だ。ピーマンすら食べれない奴がコーヒーを飲めるはずない。
「…飲める。ミルクと砂糖があれば」
「はいはい。カフェオレね」
僕は勝手に決め、席を立った。
カウンターに戻ると、穂波が寄ってきた。
「あの人、友達?」
「まあそんなとこ」
僕がそう答えると、穂波は大きくため息をついた。
「どうしたの?」
「さっきの怪しいお客さんが、綾くんの事をしつこく聞いてきて…」
「え」
「断ったんだけど聞かなくて。そしたら綾くんがあのお客さんと話始めたから今度はあの人とどんな関係だとか言い始めて。だから綾くんに聞くと言って逃げてきた」
そんな人だったとは思わなかった。やっぱり人は見かけによるらしい。
「どうする?通報しちゃう?」
穂波ちゃんは珍しく動揺している様子だった。
「それはまだ早いんじゃないかな…」
「でも、あの人やばいよ… 」
バンッ
突然、テーブルを叩くような音が聞こえた。
音のした方向を見ると、先の怪しい人が海の胸ぐらを掴んでいた。が、海は笑っていた。
ほんとうにやばい人だった。
「…何してんの」
「綾、助けてくれ…ふっ」
海、助けを求めながら笑うな。
「あやくん、こいつから離れろ」
怪しい男が海を指さし言った。
「…誰だよ」
「俺だよ!」
「は?」
僕の知り合いにこんな挙動不審な人物はいなかった気がする。
「これ以上は警察を… 」
穂波が2人に割って入り、そう言った。
「まって!!俺だって!あやくん!!」
「だから……」
誰だ、という言葉が出ずに 絶句する。男はマスクとメガネを外した。
「えっ…」
穂波ちゃんの驚く声が聞こえた。
いやいやいや。
男を見る。
見覚えがありすぎる顔に、また固まる。
「綾に似てる」
海が男を見て言った。
2度見、3度見をして、僕は海の後ろに隠れた。
コメント
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そこで〜、〜〜g((殴 ん゙ん゙ン…楽しみに待ってますぞ〜