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「またまた。モブ子さんたちには塩だねぇ、君」
問答無用でめくったページにはキラキラ目をした、やたら睫毛の長い男性が着物をはだけて床に横たわっているイラストが描かれている。
その横には、これまた目がキラキラした肩幅の広い男性が。
肩幅の広い男は、睫毛が長い男の腰に手を回している。
肩幅の顔が睫毛の唇に今にもふれそうなシーンであった。
「先生、こんなの燃やしてしまいましょう」
「えっ、何で?」
まじまじと肩幅と睫毛を眺める蓮。
「たしかに、日本史BL検定からは少し離れた印象だけど。でも素敵な絵じゃないか。モブ子さんたちの情熱が迸ってるよ」
彼女たちがいつも自主的に提出するレポートを自宅に持ち帰って見ては感心し、すっかり寝不足なのだという。
先生の睡眠時間を奪うな──梗一郎がボソッと呟いた声は、幸いというべきか蓮の耳には届かなかったようだ。
「モブ子さんたちが求めるものとは少し違うのかもしれないけど。でも検定対策だけじゃなくて、ちゃんと面白い講義にしたいって思ってるんだ」
「先生……」
新米講師の情熱に素直に感動したらしい。
梗一郎の目元が和らぐ。
そんな彼の隣りで、蓮はモブ子の冊子をしげしげと眺めていた。
「モブ子さんたちがよくカベドンとかアゴクイとか言うじゃないか。日本史BL学では出てこない用語だからよく分からないんだけど。どんな丼なんだろう」
「……もしかして、カベ丼って思ってますか?」
天然が服を着て歩いている様に、梗一郎の頬がひくひくと引きつる。
呆れたのかと思いきや、口元を覆って小さな声で呟いた。
「先生、可愛いです……」
「えっ、何か言ったかい? カベ丼を定食屋さんで探すんだけど、見つけられなくてねぇ。お店の人に尋ねようと思ったんだけど、何となく躊躇してしまって。なぜだか、聞いちゃいけないって気がするんだ」
「その直観、正しいです」
童顔の男が定食屋で「カベ丼ひとつください」なんて注文している様子を想像したら、梗一郎でなくとも笑ってしまうだろう。
「その話、モブ子らに言ったら駄目ですよ」
悪ノリして学祭で壁丼
かべどん
カフェをやるなんて言いだしかねない。
彼女たちだけでやるなら一向に構わないのだが、ヤツらは周囲を巻き込む天才だ。
「先生、あまり気は進まないですけど僕が教えますから、モブ子らには……」
しかし、蓮は人の話など聞いてはいなかった。
隣りでプルプル震える講師に首を傾げる梗一郎。
商店街の中ほど。
彼のバイト先の食器店に辿り着いたのだ。
「ど、どこが荒物屋なんだ……」
西洋風の装飾が施された扉に、ホワイトとパステルパープルを基調とした壁。
いわゆるSNS映えする店構えといえよう。
「こ、これは君、荒物屋とはいわないよ。テーブルウェアショップというやつだよ」
「そうですか? 普通の食器屋ですよ」
──ギャン。変な目つきで蓮が梗一郎を見上げる。
「こ、怖い、18歳の価値観って。普通って一体何なんだ……」
店の前で足を止めたものだから、梗一郎は入口扉の取っ手を持った格好で振り返る。
「先生、やっぱり顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
立ちすくむ蓮の額は白く、視線は落ち着きなく左右に揺れていた。
「オシャレなお店に入るのは、どうにも気おくれしてしまって。お前になんか用はないって言われてるみたいで……」
「大袈裟ですよ。先生、手をつないであげましょうか。今日はデートなんだし」
「や、やだよ……」
ツンと唇をとがらせて、両手を背に隠してしまった。
デートというより介護といった物言いに、さしもの呑気講師もへそを曲げたのかもしれない。
ともあれ、入口でいつまでも立ち止まっているわけにもいかない。
梗一郎の手が、遠慮がちに蓮の腕をとった。
服の布地越しに熱い体温が伝わってくる。
「ほら、入口からもうキラキラしてる」
「大丈夫ですって。ほら、百円均一のコーナーに行きましょうか」
売れ筋の千円前後の白い食器が並ぶ通路を抜けながら、蓮は大きく息をついた。
「だって、チカチカしてる。目の前が白くなったり灰色になったり……あれ、おかしいな……」
「先生?」
ジャケットの袖越しに感じるぬくもり。
それがやけに熱いと、梗一郎が気付いたときにはもう遅かった。
蓮の足が力を失ったのだ。
ふらりとよろけるその身体を、梗一郎がとっさに抱きしめる。
「ご、ごめん、小野くん……」
こんなところで転んだら大惨事だよね──なんて呟きながら、蓮の瞼はぴくぴくと痙攣した。
「先生、大丈夫ですか。僕を見てください。先生?」
「あ、ああ、大丈夫だよ。コップ買わなきゃ……それから鳥獣腐戯画の展覧会に……」
「先生、もういいから。黙って」
驚くほど近くに寄せられた梗一郎の顔を、お人形さんみたいにキレイだなぁなんて思ったところまでは記憶にあるのだが。