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「これ以上の会話は、不要だ。話しても無駄という事がよく分かったよ」目の前のナイフが、ロイの感情に合わせて鋭く、巨大な鎌へと姿を変える。
キリンさんの腕に力が込められる。
それに合わせて、無数の蝶が私たちを取り囲む。
あまりの眩しさに目を瞑ると、一瞬の風が人の手のように頬を撫でる。
目を開けることを許されたようで、開けてみるとそこはいつもの書斎に戻っていた。
僕は二人が消えた虚空を見つめていた。
燃え盛った怒りが、手に巨大な鎌を握らせている。
この世界では痛みを感じることはない。
だから、この鎌も命をとることは出来ない。
ただの飾りであった、彼を除いては。
僕は、今にも息絶えてしまいそうなバラに声を書ける。
「まだ、生きているのかな?」
「えぇ……まぁね」
「相変わらず、どの世界でもしぶといよな、君は」
「私、あんたの事なんて、少しも知らないんだけど……?」
目の前のバラは、花弁という命が少ないくせに強がりを見せる。
その強気なところに、一人、脳内に浮かぶ少女が重なる。
その少女を追いかけるように、バラに背を向けて歩き出す。
僕の用事は、これで済んだのだから。
「私、認知されていなかったのね」
自分の生きている理由を否定されたような、深い悲しみの滲んだ声が、僕の背にぶつかる。
その言葉に、歩き出そうとした足が止まってしまう。
「あなたの言うユリアって人は知らないけど、彼は認知していなかったそうね。あの子以外なんて」
バラは淡々と呟く。
けれど、それは自分に言い聞かせるようなものだった。
僕からは、何も言い返せる言葉は見つからなかった。
その事実を知らせたのは、紛れもない僕自身だったから。
「まるで、それだけ伝えに来たみたいに去ろうとするのね」
その言葉は、今にもちぎれてしまいそうなバラのツタが、僕を縛り付けるようなものだった。
寂しさを埋めるように、存在理由を求めるように。
けれど僕は、そのツタを引きちぎる覚悟で足を一歩進める。
「最低よ、あなた」
僕を否定するように、バラの棘が背中を貫いた気がした。
僕の心は既に、血まみれで傷口の痛みを感じている暇などなかった。
彼女の恋心をへし折った僕は、彼女にとって極悪人に映るだろう。
けれど。それでも。
待っている少女の元へ行かねばならなかった。
足元に流れてきた赤い花弁を
一枚拾い上げる。
バラの心を奪っていく極悪人さながらに。
「ちょっと……待ちなさいよ」
そんなバラの声を背に受ける。
「どうして、私に、雨なんか降らせたのよ」
僕にとって必要だった行いを、改めて問いただされることに僕は驚いた。
それが僕の足を再び止めた。
「あんたが私に向かって、魔法を使うところは見てたのよ」
少し前の出来事が脳内で再生される。
少女と赤いバラが中庭で話をしているのを見かけた。
その内容が、彼についての話だった。
それを知った瞬間、僕は「止めないと」という使命感にかられた。
魔法を使い、己の手で酸性雨を振らせた記憶。
「なんで、私にそんなことをしたのか、理由を言いいなさいよ」
「では、こちらからも質問を」
「は?あんた、私の話聞いてた?」
「先にこちらを答えてくれれば、君の質問にも答えようじゃないか」
「はぁ?そんなの、先に言ったもん勝ちじゃない」
僕はそれでも、頑固とした姿勢をとった。
バラは、そんな僕を見て、諦めたように肩を下ろす。
「はぁ、なんでもいいわよ」
僕は君の質問には、答えるつもりは無いのだと心の中で呟くと、言葉を続けた。
「君があの蝶に対してだけ、花を咲かせたのはどうしてかな?」
分かりきった質問だった。
ただ、その答えを彼女から聞き出すことで僕は、罪悪感を消そうとした。
僕が君を傷付けたのは、彼のせいだってね。
けれど、赤いバラは答えの前に最後の花弁を散らす。
それが自発的なものだということは分かっていた。
命の刻限ではなく、答えないために自分を殺す。
お互い同じ選択をとるところは、似た者同士なのだろう。
「君ならそうするだろうと思っていたよ」
バラは、風もない花園で花弁を散らした。
けれど、僕を囲むように、足元には赤い花弁が散乱していた。
「失敗した……」
花弁と僕のつぶやきをさらってゆくような風。
今更になって息を吹き返す風。
僕からどこまでも見えない次の世界へと、赤いバラを誘うようだ。
「こんな形で目覚めさせるつもりじゃなかったのに」
僕は、空に浮かぶ白い月に向かって手持ちのナイフを掲げる。
怒りが悲しみに塗り替えられた途端、鎌は手の中に収まるナイフに戻っていた。
「幸せを見せてやれないなんて、兄失格だな」
月明かりで輝く刃先を、この世界の出来事を全て刈り取るように、自分の喉元に添わせる。
まるで狼のように遠吠えをした直後、この世界から意識を失った。
待っている少女に会いに行くために。
私は、ロイの言葉を反芻していた。
どうして、キリンさんが私を特別に扱うのか。
ロイから受けた傷をキリンさんに治療してもらいながら、考えていた。
手が触れ合う距離にいるのに、分からない事ばかりな現実が、不思議だった。
「キリンさんは、ローズの恋人だったの?」
「えっ?」
傷口にガーゼを当てる手が止まる。
「ローズさんとはあの……赤い薔薇の?」
「うん、ロイからユリアさんって呼ばれてた薔薇だよ!」
「ええと……そんなことを急に聞いてどうしたんですか?」
「どうもしないよ!ただ、気になったの」
なるべく平静を装って、視線を外す。
今、目を合わせたら、なんだかいつも通りに振る舞えない気がしたから。
「恋人ではなかったと思いますよ」
「じゃあ、私は恋人なの?」
ピンセットでつまみ直した手が再び止まる。
「どうして、そう思いますか?」
「ローズが言ってたの。私には冷たかったのに、あなただけは特別にされているんだって」
キリンさんは、せっかくつまみ上げたピンセットを下ろしてしまった。
顔にもシワが刻まれている。
悲しい顔ではないけど、表情は曇っていた。
そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。
「私はキリンさんが好きだよ?」
「えっ?」
キリンさんは、目を開いては私を見つめている。
「私は正直、ローズとロイから聞いた話はよく分からない。でも、キリンさんのことは今も変わらず、好きだって思うよ?」
ここに来るまで沢山のことを知った。
世界のこととか、日記のこととか。
それは、自分のためでもあったけど一番は、
キリンさんを知りたい気持ちが、私を動かしていたと思う。
「私も好きですよ。貴方のこと」
そう言っていつも通りの笑みをくれるキリンさん。
この日常を無くしたくはなかった。
以前、キリンさんの絵本が好きな理由を聞き出そうとした時の、あの悲しそうな顔。
今は知らなくていいのだという言葉。
でも、知らないことで、この笑顔を見ていられるのなら、今はそれでいい気がした。
「なんだか照れくさいですね」
目の前で柔らかくはにかむキリンさん。
僅かながら、頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。
「そうかな?キリンさんの笑顔が見られるなら、何回でも言うけどね!」
不思議と傷はしみなかった。
優しいキリンさんの全てが、包帯とともに包まれているような気がして、温かい気持ちに満たされるばかりだった。
治療が終わり、いつもの日常が訪れる。
キリンさんは、机で書き物。
私は本棚の整理をしていた。
整理中に気になる本を見つけてしまうと、いつもそっちに夢中になってしまう癖は今も顕在だった。
「夢日記……」
普通の日記とは違うようだ。
これまで触れてきた日記は、どれも分厚いものばかりだった。
けれど、この本は私の手の中にぴったりと収まる。
何かの縁があるのかもしれない。