準備を済ませてから金烏に運んでもらい、目的地に着いた頃には日が暮れてきていた。
「なっ、なんだココは……!!」
石畳で綺麗に舗装された通り。並ぶ店の外装はどれも派手で、目がチカチカするほどどぎつい。
店の出入口からはほんのりと、お香の匂いが漂っている。
「何って、柳巷花街に決まっているではありませんか」
エヘッ、と笑ってみせると颯懍はガックリと項垂れた。
柳巷花街とは女たちと遊ぶ場所。呑んで遊んで、店によっては春を売る。
「餅は餅屋。やはりその道の達人にお願いしてみるのが良いと思うんですよ」
「……俺はどこで弟子の教育を間違えたんだ?」
「私も一緒に行きますからご心配なく」
「それでその格好か」
髪の毛は頭頂部でお団子にして一つにまとめ、男物の服を着て、いかにも従者です! 感を出してみた。一方颯懍にはいつもの動きやすい褲スタイルではなく、裳を着てもらい、育ちの良さそうな青年に仕上がっている。
「私は女ですし3人でって訳にも行かないので、取り敢えず遊ぶところまで御一緒して、その後は師匠の好きにしてください」
「お前言ってる事が無茶苦茶だぞ! 俺は行くなんて一言も……っ!」
「さあさあ、つべこべ言ってないで行きますよ! 最悪、話しだけして帰っても構いませんから」
無理矢理颯懍の腕を引っ張って、目星をつけた建物の中へと突入して行く。
入るのは青漆の塗られた妓楼では無く、遊郭の方。青楼は基本、一見さんはお断りだし、何よりお値段がめちゃくちゃに高いと聞く。
颯懍と俗世で修行をしていた時にはほとんどお金を使う事もなく過ごしていたから、実際どの位のお金を持っているのか知らない。
まあ颯懍くらいになれば、仙術を使って金を作り出すことだって出来るのだけれど、そんな罰当たりな事をする訳が無い。間違いなく悪行として、善行から差っ引かれてしまう。
という訳で青楼は止めておいて、それなりに品格のありそうな中の上あたりの遊郭を選んだ。師匠をみずぼらしい店に通す訳にも行かないしね。
「いらっしゃいませ〜。御二人で御座いましょうか」
「はい。こう言った店は初めてですので、是非慣れた方をお願いしたいのですが」
「左様でございますか」
出てきたのは少々お年を召した、上品なおば様。このお店を取り仕切っているのだろう。品定めする様な下品な視線なんて感じなかったけれど、一瞬で評定し終えてしまったらしい。
さぁさぁどうぞ、と中へと通された。
案内された部屋へと入り座って待っていると、直ぐに酒とつまみを持った見習いの少女が入ってきて、卓の上へと並べてくれる。
チラリと颯懍の方を伺うと相当に緊張しているらしく、ソワソワと足を組みかえたり、トントンとテーブルを指で叩いて気を紛らわせていた。
「師匠、大丈夫ですよ。私が付いていますから」
「何が『大丈夫』なんだ。全然頼りにならぬわ! 大体な、こんな店に連れてきて……」
「失礼します」
颯懍がグチグチと文句を言い始めた所で、扉の向こう側から女性の声が掛かった。
スルスルとした足取りで入って来たのは、淡い黄褐色の髪の色が印象的な女性。
こちらを見た瞬間にその女性は、ややつり上がった目をパッチリと見開いた。
「え゛っ、颯懍?!」
「げっ、紅花」
んんんっ?!
颯懍は遊女の女性を紅花を呼び、座ったまま後ずさった。
「え? もしかして、お知り合いですか」
「かっ、帰る!!」
逃げるようにして扉へと向かった颯懍を、紅花は逃さなかった。手首をがっちりと掴んで部屋の奥へと押し戻し、押し倒す位の勢いで強引に座らせてしまった。
「こちらのお客は私一人で十分。お前たちは戻っていいよ」
「ですがお客様は2人いらっしゃいますよ」
「あたしが良いと言ったら良いんだよ。もう一人必要なようならまた呼ぶから」
「……分かりました。ごゆっくり」
他にいた遊女や見習い達を追い返して、外に誰も居なくなったことを確認すると、紅花はにゃあと紅を引いた口元を歪ませた。
「まさか颯懍様ともあろう御方が、こんな所へいらっしゃるとはねぇ。女が嫌いで仙女を抱かないのかと思っていたのに」
颯懍の事をよく知っているような口ぶりだ。これは師匠の名誉を守らねば! と私は慌てて口を開いた。
「師匠とどの様なご関係かは存じ上げませんが、誤解です。僕が遊郭へ来てみたいと頼んだのです」
「師匠? ふぅん、あんた颯懍の新しい弟子か」
「はい、道士で泰然と言います。紅花さんは師匠とどの様なご関係で?」
名前は弟のを借りてしまった。不信そうな顔で覗き込んでくる紅花。女ってバレてないよね?
「ねえ、あんた。あたしが何か気付いてないの?」
「? と言いますと??」
「颯懍聞いた? あたしももうすっかり人間の仲間入りだ」
「こやつが疎すぎるだけだ。調子に乗るな」
キャッキャっと喜んでいる紅花を、颯懍が窘めている。
分からない。
会話の内容に全然ついていけないと首を傾げていたら、颯懍にペちんとおでこを弾かれた。
「まだ分からぬか。こやつは狐の妖だ」
「うぇぇ? す、凄い! 本物の人間かと思った」
素直に驚くと、さらに紅花は喜んでいる。
「いいねぇ、あんた泰然って言ったっけ? 気に入ったよ。今夜はお姉さんがたっぷり可愛がってあげよう」
「妖なのに、紅花さんからは全く穢れを感じませんけど」
人間が仙骨を持つと仙人になるが、人以外でも仙骨を持って生まれてくる場合がある。人外の仙骨持ちを妖と言い、仙人同様、精気を操って神通力を使い、不老の身体を手に入れられる。
妖も概ね仙人と同じなのだが、大きく違うのは精気の取り込み方。
仙人であれば修行を重ね、自らが生み出す精気を高めたり、或いは自然の中から取り込んだりするのだけれど、ほとんどの妖は修行するなんてまどろっこしい事はしない。
肉体を食べる事によって、人がもともと持っている精気を取り込むのだ。だから妖は、普通の人間よりも遥かに多くの精気を体内に宿す、道士や仙人が大好物。精気ごと骨をバリバリ食べられては、いくら死ににくい体質の仙人と言えども命は無い。
仙人の天敵は妖と言える。
のに、紅花からは人を食べる事によって生じる穢れの気配を感じ取れない。どちらかと言うと、仙人の気配だ。
「まあそうだな。それだけ長い間、人間を喰わずにきたという事だろう。それは褒めてやる」
「人間を食べない……。紅花さんは仙妖を目指しているのですか?」
妖が仙籍に入れられると、仙妖と呼ばれるようになる。ただしこれは本当に極稀。
精気の扱いがどんなに上手くても善行を積むのが苦手どころか、人を喰い悪行を行う妖では、仙籍に載せられる事なんてほとんど無い。実際、妖には何度も会っていても仙妖に会ったことは一度もない。
「そう。足りない陽の気を補う為に、こうして遊郭で励んでるってわけよ。仙人は相手してくんないしね」
「あぁ、なるほど」
どんなに善行を積み人を食べることを戒めている妖でも、妖は妖。誰も相手をしてくれないのだろう。ただの人間と房中術をした所で得られる精気など雀の涙ほどだろうけど、やむを得ないと言ったところか。
「だーかーら! 颯懍があたしの相手をしてくれれば、こんなみみっちい事しなくったって済むのに。ねえ、今夜どう? なんなら3人でも大歓迎よ」
「阿呆ぬかすな。お主じゃ勃たん」
「んもうっ! 昔っからそう言って相手にしてくれないのよォ。酷くない?」
「あは、あははは……」
紅花『じゃ』じゃなくて、『でも』の間違いでは?
「でも泰然ちゃんはそのつもりでここへ来たんでしょう? 道士でもただの人間よりずっといいわ」
狐と分かっているのにこの色気はどこから来るのか。すーっと太腿を撫でられて鳥肌がたってしまった。
「あーー、あのですね。今日僕がここへ来たのは、ある悩みを解決したくてですね」
「あら、なに?」
「実は…………ごにょごにょごにょ…………という訳なんですよ」
紅花に小声で不能である事とその経緯を軽く説明すると、憐れそうな目で私の股間に視線を向けてきた。
「ええっ?! アソコが勃たない?! 貴方、女みたいに可愛い顔立ちしているかと思えば、下が不能とはねぇ」
「そうなんです。だからどうしたらいいものかと、その道の達人にお聞きしたくてですね」
「んじゃあ早速脱いでみてよ。遊郭で長年鍛え上げたあたしのテクニックで元気にしちゃうから」
「あーーっ! いやっ、そのっ、でも師匠の知り合いにして貰うのは流石に恥ずかしので、口頭でお願いします」
腰の帯を解いてくる手を慌てて掴んで止めた。もう手汗びちょびちょだよ。
「何よ口頭って。家に帰って自分でするの? 何なら他の子呼んであげようか?」
「あはは、そのー。今日はそう言う気分じゃなくなったのでもういいです……」
何やってんの私ー!
これじゃあ収穫ゼロだ。泣けてくる。
隣で事の顛末を見ていた颯懍が、小さくため息をついて立ち上がった。
「もういい。泰然、帰るぞ」
「はっ、はい!」
「えー、もう帰っちゃうの? 折角久しぶりに会ったのに」
「人を喰わないのは良いが、自分の体も大事にしろよ」
颯懍は滋養強壮に効く丸薬の入った袋を紅花に投げて渡すと、扉を開けて出ていった。
「ふんっ、精気を分けてくれないくせによく言うよ」
「それでは紅花さん、僕も失礼しま……っ?!」
去り際に、股ぐらをガッツリ握られた。
驚きながら紅花の顔を見ると、てへっと笑いを返された。
「やっぱりね。あたし狐だよ。性別くらい鼻で嗅ぎ分けられる」
「あ…………」
何も言い返せずに口をパクパクさせているだけの私に、紅花が更に耳元で話し続けた。
「さっきの理由でトラウマになっているのなら、自信を付ければいいのよ」
「じ、自信。ですか」
「そう。つまりは練習よ。何だって上達する為には練習が必要。自信を取り戻せば、トラウマも克服出来るかもね」
バチンっ、と片目をつむってみせた紅花。
性別がバレてしまったけれどどうしたらいいのかも分からないし、とりあえず先に行ってしまった颯懍を追いかける事にして紅花と別れた。
「それでは今度こそ、失礼します」
「うん、またねー」
手をひらひらと振って見送る紅花が「面白いことになりそーうっ!」と呟いていたのは、明明には聞こえなかった。