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結婚して三ヶ月───…
この贅沢すぎる公爵邸での暮らしにもようやく慣れてきたはずなのに、私の心は今日も晴れない。
朝日が差し込む広すぎる私室。
私は一人、豪奢な天蓋付きベッドに横たわっていた。
隣にあるはずの枕には、人の重みが加わった形跡がまったくない。
クラウド様は、デートのときなどは本当に紳士的で、私のことを誰よりも大切に扱ってくれる。
けれど、私たちがいわゆる「夫婦らしい」営みをしたことは、結婚してからただの一度もなかった。
嫌悪されているわけではない。
それはわかっている。
むしろ、壊れ物を扱うように、丁寧すぎるほど大切にされているのだ。
私を愛してくれているのも、彼の視線から伝わってくる。
なのに、キスすら……プロポーズの時に手の甲に賜ったのが最後だ。
甘い雰囲気になりそうになると、彼はいつも決まって、まるで見えない壁でも作るかのように
さりげなく私を拒んでいるような気がしてならない。
元は、社交界で彼に見初められて嫁いだ身。
幸せなはずなのに、せめて「妻」として、「女」として扱われたいな……
なんて、贅沢な不満を抱えてしまう。
(私、やっぱりどこか魅力が足りないのかな。それとも、何か失礼なことをしてしまったのかも……)
一度ネガティブな思考に陥ると、天井の細工さえ私を笑っているように見えてくる。
いけない、と考えを振り払うように起き上がった。
身支度を整えて食堂へと向かう。
食堂には、すでに身なりを整えたクラウド様が座っていた。
「おはよう、エリシア。よく眠れたかい?」
「おはようございます、クラウド様。はい、とても」
挨拶を交わし、彼の向かい側に腰を下ろす。
テーブルに並んでいるのは、湯気を立てる焼きたてのパンに、色鮮やかなサラダ
そして繊細な味付けのスープ。
これら、私の朝食や昼食、夜食、果てはおやつのお菓子に至るまで、そのすべてをクラウド様が自ら手作りしてくれている。
公爵という多忙な身でありながら、私の口に入るものすべてを管理したがる彼の献身は、少し不思議だけれど
とても美味しくて、私の密かな自慢でもあった。
けれど、今日の私はその味を十分に楽しむ余裕がない。
私はスプーンを置くと、意を決して顔を上げた。
「あの、クラウド様…」
「ん、なんだい?」
私の呼びかけに、彼は手を止めて、いつもの優しい笑顔で言葉を促してくれた。
その慈愛に満ちた瞳に見つめられると、胸が苦しくなる。
「その……少し、お聞きしたいことがあるんですけど……」
「ああ、何でも言ってごらん」
彼の包容力に甘えて、私は恐る恐る、心の奥に溜まっていた澱を口にした。
「その…クラウド様って……私のこと、本当にお好きなのかなって……」
一瞬、空気が凍ったような気がした。
クラウド様は微笑みを消さないまま、小首を傾げる。
「それは、どういう意味かな」
「……クラウド様、私にキスもしてくださらないし。いつも、そういう雰囲気になると避けられている気がして…本当は、嫌われているのかなと……」
声が震えてしまう。
視界がじわりと滲み、今にも泣き出しそうになるのを必死でこらえた。
すると、クラウド様がすっと席を立った。
彼は迷いのない足取りで私の隣までやってくると
震える私の頬を、大きな両手で包み込むように触れた。
少し屈んで、私の不安を覗き込むように目線を合わせる。
彼の瞳は、これまで見たこともないほど濃密な熱を帯びていた。
「不安にさせてごめんね、エリシア。僕がエリシアを好きなのは、嘘偽りない本当のことだよ」
低く心地よい声が鼓膜を震わせる。
彼は続ける。
「でも……エリシアのことが大切だから、そう簡単に手を出せないんだ。こう見えて、君の前では理性を保つのに必死で……だから、今日はこれだけで許して欲しいな」
そう言って、彼はゆっくりと顔を近づけると、私の右頬に柔らかなキスを落とした。
「っ……!」
唇が触れた場所が、熱い。
口元じゃなくても、ずっと待ち望んでいた彼からの愛の証。
嬉しさと恥ずかしさが一気に爆発して、私の顔は瞬く間に林檎のように真っ赤に染まった。
「はっ、はい……っ」
動揺のあまり、自分でも聞いたことがないような変な声が漏れてしまった。
そんな私を見て、クラウド様は楽しそうに、クスッと喉を鳴らして笑った。
「ふふ、エリシアはウブで可愛らしいね」
揶揄うような彼の言葉に、ますます顔が熱くなる。
その後、私たちは食事を再開した。
彼が作ってくれた料理は、いつもよりずっと甘い味がした気がする。
食事が終わると、彼は私の私室の入り口まで見送ってくれた。
部屋に入る直前、彼は私の肩を優しく叩いて言い残した。
「それじゃあ、今日は遠征に行かないといけなくて忙しいから、屋敷でいい子で待ってて。出かけたいときは、必ず護衛を連れて行ってね。僕との約束だよ」
「はい。お気をつけて、クラウド様」
彼は満足げに頷くと、颯爽と廊下を去っていった。
一人部屋に取り残された私は、火照った頬を両手で押さえながら、ベッドに身を投げ出した。
(なんだかんだ……愛されてるなら、安心…かな)
首筋のあたりがまだ熱い。
私は安堵して胸を撫で下ろし、今日一日の彼との思い出を反芻しながら、幸せな溜息をついた。