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千紘の悲しそうな表情の裏にうっすらと怒りのようなものも見えて、凪も軽く息を吐き出してから体を起こした。
「俺はまだ付き合うとか好きとかはよくわかんない。それは前にも言ったと思うけど、今も変わらない。だから、お前からしたら俺が振り回してるように思うのかもしれないけど」
凪は、この機会にちゃんと話をした方がよさそうだ、としっかりと千紘の目を見つめて言った。
「うん……。でも、会ってくれただけマシだって思わなきゃいけないのは理解してる」
「俺だってお前のこと嫌いだったらこうやって話もしない。キスだって当然しない」
「……うん」
「俺は、もうちょっと千紘といてみてもいいかなって思ったから一緒に住むことも考えた。だから、今すぐどうこう答えを出したいわけじゃなくてもうちょっとお互いのこと知ってからでもいいんじゃないかって思ってる」
凪がそう言えば、千紘はすっと眉を上げた。そう言われて初めて千紘は凪について知らないことが多いことに気付いた。
以前ホテルで凪の生い立ちや家庭環境についてを聞いた。仕事のことも、女性関係についても。
凪から聞いた話だけで凪を知った気になっていた。自分のことだって話してないことはたくさんあるのに、付き合ってから徐々にお互いを知っていけばいいと思っていた。
けれど、凪が言いたいのは付き合う、付き合わないは別としてまずはお互いをもっとよく知ってからその先に進んだらどうかというもの。
根本的に入口の考え方が違ったのだから、すれ違うのは当然だった。
「そうだよね……。ごめん、俺一緒にいれば自然とお互いのこと知れるから徐々にでいいと思ってて……」
「徐々にでいいよ。焦る必要なんかないだろ? それこそ、一緒にいる内に色々変わるかもしれないから」
「うん……。でも、ずっと一緒にいられたらそれでもいいけど、ある日突然凪がいなくなったらって思ったらそんなにゆっくり考えていられないって考えたんだ」
ポツリと寂しそうに呟いた千紘。今度は凪の方が眉を高く持ち上げた。
離れていこうとしたのは凪の方だ。今回のことだってようやく距離が縮まったところで千草に不安を抱いて、千紘に脅威を感じて距離をとった。
千紘にとっては予想もしていなかったことだ。そんなことがまたいつどんなタイミングで訪れるかわからない。
何としてでも凪を繋ぎ止めておきたいと考えるのも自然なことだった。
「まあ……関係を絶とうとしたのは事実だけど。千紘を試そうとか、不安にさせようと思ったわけじゃない」
「わかってる。むしろ、不安にさせたのは俺の方だし。だから余計に凪がまた離れてくのが怖い。気持ちも体も手に入らないのに、ずっと側にいたら全部欲しくなるよ。
我慢して一緒にいても、また急に出てくとか言われたら精神的にもキツい。でもそれが嫌だから凪と関わるのはやめるとは言えない」
寂しそうに、苦しそうに千紘は言った。こんな話を千草と会う前に千紘としたことがあったなと凪は思い出す。
千草と出会う前の2人にようやく戻ってきた気がした。あの時だって凪は、少しくらい千紘と一緒に住むことを視野に入れていたのだ。
振り出しに戻ってしまったが、あの時の続きを話し合えている。千紘の不安も凪には伝わった。
「もう急にはいなくならないよ。お前の兄ちゃんとのことも、千紘との先のことも色々考えて、仕事のことも区切りつけて今日来たんだから」
「……本当?」
「うん。それは、約束する。もし出ていくことになったら、その時はちゃんと先に話し合うようにする」
「でも凪は意思が固いから、こうだって決めたら話し合っても曲げないじゃん」
拗ねたように言った千紘に、凪は思わず「どっちがだよ」とツッコんで笑ってしまった。
「お前の方がよっぽど頑固じゃん。こんなに突き放しても追いかけてくんだから。どうせ、また離れようとしてもしつこく付き纏うんだろ?」
「それは……うん。もう一生凪がいい」
千紘にそう言われれば、凪も肩の力を抜くしかなかった。お互いに不安はある。方向が違うだけだ。
「だったら俺のいうこと聞いてよ。俺のペースに合わせてくれなきゃ一緒にいない」
凪はそんなふうにいいながらも、優しく千紘の体を抱きしめてやった。
突き放されたあとにやってきた温もりは、言葉では言い表せないほど心地良いものだった。キスしてくれたり、抱きしめてくれたり。なのに千紘から迫れば断られたり。
それでも待っていれば凪からこうして触れてくれるのであれば、それでもいい気がした。
それに、凪のペースに合わせてさえいれば一緒にいてくれるような言い方だ。千紘は不安を残しつつも、その体温に身を預けた。
「……わかった。凪がいいって言った時だけにする」
「いいって言うかはわかんないけどな」
「……拷問だ」
「それでもいいなら一緒にいる。拷問だと思うなら、最初から一緒にいない方がいい」
「やめる選択肢はないって言ったじゃん」
「じゃあ、我慢するんだな?」
「うん……。凪のペースに合わせる。一緒にいられるなら、お触りなしでも我慢する」
ちゃんと口にした千紘に、凪はようやく安堵の息をついた。しっかりとルールを決めておかないと、いつも千紘のペースにのまれてしまうことになる。
凪も自分の生活が脅かされるのは嫌なのだ。お互いプラスの生活ができると思って一緒にいることを選んだのに、どちらかが苦痛になっては意味がない。
他人同士が一緒に住むのだから、どこかは妥協すべきだと凪は思うのだった。
「俺が嫌だって言ったらすぐにやめること。ダメだって言ったことはしたらダメだ」
「う……はい。凪に従うよ」
そう言いながら、千紘は凪の胸にスリスリと頬を寄せた。どんな条件を突きつけられたって、この温もりを手放すよりはマシだと千紘も気付いた。
何かを決める時にはちゃんと話し合うと約束してくれただけでも進歩だと思えた。千紘はこれからの共同生活で、少しずつでも凪の信頼を得たいと意気込むのだった。