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Side.緑
「ただいまー。よいしょ」
北斗を先に家に入れ、ドアを閉める。
幼稚園から帰ると、「ただいま」の練習をしてみようと思うのだが……。
「北斗、ただいまは?」
無言。今日も失敗。いつになったら言えるかな、と思うがゆっくり待てばいいことだ。
たたっとリビングへ向かおうとするところを捕まえて、洗面所へ連れていく。
「手を洗います」
そこに置いてあるカードを見せると、自分で台に上る。そこまではいい調子。
水を出して、泡も北斗の手に乗せる。
「はい、ゴシゴシするんだよ」
自分も手を洗って見せる。真似てしっかり洗えたところで、帰りのミッションは終了。
リビングに入ると、北斗は片付けてあった画材を開きはじめた。
そう、彼の趣味は絵。同年代の子どものようなおもちゃ遊びやアニメではなく、絵を描くこと。
サヴァン症候群を持っていて、北斗の場合芸術の才能が突出しているらしい。
ほとんど話さないけど、絵で何かを伝えようとしているのが愛らしい。
たまに無言で見せてきて、ちょっと誇らしげな顔をして。
今だって、絵筆を持つ手を止めてこちらを見つめている。
「うん? どうしたの。描けた?」
訊くと、また画用紙に向かう。
のぞき込むと、そこには白地の紙に水色や白、オレンジなど明るい色で細かく描かれている。抽象画のようだ。
一体何を描いているのだろうか、想像もつかない。
ふとそばに目をやると、水入れの水が絵の具に染まっているのに気づいた。替えなくては。
「北斗ー、お水綺麗にしようか」
と水入れを取ると、腕を伸ばして阻んだ。
「でもこれ替えないと、汚いよ?」
嫌とも何とも言わないが、その顔には不満が書いてある。理由はわからないけれどそのままにしておくことにした。
北斗の様子が見えるところで、パソコンを開き仕事をしていると、すくっと立ち上がってこちらに歩いてきた。
ん、と差し出したのは絵の具のチューブ。机の上にコロンと置くと戻っていった。
「……?」
取り上げてみると、それは黒の絵の具だった。これがどうしたのだろうか。
「北斗、これなあに?」
訊いてみても、返答は返ってこない。
「…わかんね…」
思わずつぶやきが漏れた。自分の息子だというのに、わかってあげられないことばかりだ。
そのチューブを持って呆然としていると、少し軽いことに気づいた。硬い素材だからへこんではいないけれど、使い切ったのかもしれない。
試しに北斗が使っているパレットに出そうとしてみたが、空だった。
「なるほどね」
ごめんね、と北斗の頭をなでた。無くなったことを伝えに来てくれたのだ。
「今日使いたい?」
じっと表情を見つめるが、変わらない。黒は使う予定はないらしい。
「じゃあ明日にでも買いに行くか」
そう言うと、わずかに口角を上げた。
ふふ、と自分も嬉しい笑みが溢れた。
続く