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おぼろづき、空母エヴィータ、潜水艦ピョートル大帝号の三隻体制となった万能艦隊は、大西洋に出るため南へ進路を反転、北米大陸西海岸沿いに太平洋を南下しパナマ運河を目指した。
パナマ運河まで約十日、運河通過に一日、それから大西洋横断に約十日。今回はクラーケンを追跡しながらではないため、全速力での航海とは言え、各艦のクルー、特におぼろづきの乗員には久々にのんびりした時間が戻って来た。月は変わって三月に入り、まだ寒さは残るものの海上では穏やかな風に吹かれ、カリフォルニア沖を過ぎた辺りから、また急激に暖かくなり始め、やがて暑い気候に変わってきた。
密閉構造の潜水艦であるピョートル大帝号は別として、おぼろづきとエヴィータの乗員は耐寒服、冬服、合服、夏服へと目まぐるしく衣替えに追われた。さて自衛隊の制服だから女性隊員も開襟シャツにズボンという夏服だが、多少は肌の露出も多くなる。そして戦闘態勢ではない長期間の航海という事は、ペンドルトン提督がおぼろづきの「婚活用軍艦」としての本領を発揮させるべく暗躍する時間もたっぷりできたという事を意味した。
金曜の昼食は慣例通りカレーだったが、食堂で先に食事を終えた乗員がやたらに甘かったと不平を漏らして出て来るのを、すれ違いざまに耳にした雄平は怪訝な顔をした。食堂に入ってトレイを受け取り、一口食べて「うわ」と雄平も顔をしかめた。何か妙な甘さが確かにした。
我慢して食べていると、ペンドルトン提督が配膳カウンターにつかつかと近寄って炊事係の給養員に食ってかかった。
「ちょっと、私が指示した物をちゃんと入れましたか? 全然効果が表れないのですが?」
給養員たちは青い顔になって必死に答えた。
「は、はい。ご命令通り全量配合いたしましたが」
「オー、おかしいですね。どうして効果が出ないですか?」
たまたま通りかかった守山艦長と食事を終えてトレイを返しに来た玉置一尉が提督の後ろにそっと近づく。まず艦長が声をかける。
「提督。どうかなさいましたか?」
「オー、キャプテン・モリヤマ。日本で手に入れた食材を今日のカレーに使ってもらったのですが、全然効果が出ないのです」
「食材? 一体何を?」
「チョコレートです」
「ああ、それで今日のカレー、あんなに甘かったわけ?」
玉置一尉が横から首を突っ込む。
「そりゃカレーの隠し味にチョコを使うってのは聞いた事あるけど、提督、どんなチョコなんですか?」
提督は給養員から紙箱を受け取ってそれを二人に見せた。そのパッケージには「ガラナチョコレート」と大きく書いてあり、その下に「夜のお助け人」とかなんとか。それを見つめながら首をひねる艦長。玉置一尉が「ブッ!」と唇と尖らせた。
「ちょっと、提督。それ、ラブホテルとかに置いてあるアレじゃないですか」
ちょうど食事中だった食堂内の全員が同じく「ブッ!」という声を上げた。艦長は提督の方に向き直ってひきつった顔で言う。
「提督! いったい何を考えていらっしゃるんですか?」
「キャプテン。モリヤマ。本艦は婚活用軍艦でもある事を忘れましたか?」
「いや、そうは言っても風紀というものがですな!」
「まあ、いいじゃないですか、艦長。だいたいこんな物が本当に効くとでも思ってるんですか?」
玉置一尉がトレイを返却しながら呆れた顔と口調で言う。
「まったく、もう、これだから昭和生まれは……」
「昭和生まれが関係あるか!」
艦長は彼女に向けて苦々しげに言う。それから配膳カウンターに身を乗り出して給養員たちを怒鳴りつけた。
「おまえたちもおまえたちだ! なんという物を食事に混ぜとるんだ!」
給養員たちはこれもひきつった顔で弁明する。
「申し訳ありません。ただ、提督直々のご命令とあっては、ノーと言うわけにも……」
「提督!」
そう言って振り返った艦長の目には、いつの間にか足音を立てずに食堂のドアまで移動済みの提督の後ろ姿があった。
「提督! お待ち下さい。まだ話は終わっておりません。ちょっと、逃げないで下さい!」
二人が競うように食堂を出ていくのを見ながら雄平は必死でカレーの残りを無理やり流し込みながらつぶやいた。
「やれやれ、こりゃ別の意味でも苦労の多い航海になりそうだな」
おぼろづき艦内がペンドルトン提督に連日引っ掻き回されている頃、エルサレムの病院では常盤美奈とミューラー中佐がエルゼ、ラーニアの両親と今後の事を相談していた。エルゼとラーニアにクラーケンの出現位置を予言できる不思議な力がある事は既に世界中の知るところとなっていたが、二人の親にはどうしてもそれを現実として受け入れる事は難しいようだった。
ただでさえ通常では考えられない体の状態で生きながらえている娘が、さらにクラーケンの脅威にさらされているかもしれないとあっては、エルゼの両親は人目もはばからず泣き出してしまった。次に入って来たラーニアの両親は半狂乱と言っていい状態だった。
「娘は、これからどうなってしまうのですか?」
ヘブライ語も英語も話せないラーニアの母親は通訳を務める看護士を通じて、悲嘆にくれた。父親は椅子に座ってただ下を向き黙り込んでいた。ミューラー中佐が通訳の看護士を介して必死でなだめる。
「落ち着いて下さい。クラーケンがこの近くに来るとまだ決まったわけではありません。地中海への侵入を防ぐために、国連海軍の艦隊が急行中です。それに万一そうなった時は二人を一時的に内陸の国へ避難させる準備も既にできているのです」
理解できたのかどうか分からなかったが、ひとまず落ち着いた両親を帰らせた後、ミューラー中佐は疲れ果てたという表情で椅子にどっかり座り込み、美奈の方へ顔を向けた。
「気持ちは分かるが、これだけはどうにもならない」
「親としては当然の反応なのでしょうけど。エルゼとラーニアは普通の子供ではないですからね。いろんな意味で」
数日後、万能艦隊はパナマ運河の入口に到達した。パナマシティの港であらかじめ手配してあったミサイル、弾薬、燃料、食料などを補充。おぼろづきは最前列の八基のVLSセルのミサイルを艦対空ミサイルと交換した。シースパローというミサイルの改良型であるESSMという型式で、一発ずつキャニスターと呼ばれる容器に収納されていて、おぼろづきのセル一基に四本のキャニスターを挿入できる。これでおぼろづきは合計三十二発の艦対空ミサイルを装備した。
パナマ運河を通過するには閘門と呼ばれる狭い人口水路を三カ所通らなければならない。運河専属のタグボートに曳航されてまずおぼろづきが侵入。コンクリートの壁に挟まれた最初の閘門に入ると、艦橋の窓から外を見た乗員が不安そうな声を上げた。
「わあ、想像以上に狭いのね」
「おぼろづきはともかく、エヴィータはここ通れるのかな?」
一隻が閘門内に入ると前後がコンクリートの扉で閉鎖され、出口側の海面の高さに中の水位が調節される。それが終わるとやや広い水路に出る。次にエヴィータが閘門に入る。その様子を艦橋の外の見張り台から双眼鏡で見ていたおぼろづきの乗員は思わず悲鳴を上げそうになった。
「エヴィータの飛行甲板、陸の上にめちゃくちゃせり出しているじゃないか。ほんとに通過出来るのか?」
おぼろづきの艦橋では心配そうにエヴィータを見ている乗員に向けて、タグボートの船長が快活に笑いながら、守山艦長に訛りの強い英語でこう宣言していた。
「心配はない。パナマックスの拡張工事はとっくに終わっている」
「パナマックス?」
そう聞き返した雄平にいかにもラテン系といった感じのタグボートの船長は長い口髭をしきりに指で伸ばしながら説明した。
「パナマ運河を通行できる船の最大サイズは、以前は全長二百九十四メートル、全幅三十二メートル程度だった。だが拡張工事で全長三百六十六メートル、全幅四十九メートルまで大丈夫になった」
提督席からペンドルトン提督が言った。
「エヴィータの船体部分は、拡張されたパナマックスのサイズに合わせてあるのです」
それを聞いた守山艦長が、やっと合点がいったという口調で言った。
「なるほど! それで飛行甲板を折りたたみ式にするという複雑な構造を敢えて採用したのですね? そうでないとパナマ運河を通れない」
エヴィータが無事最初の閘門を通り抜けた瞬間、運河の両側の岸に数千人もの男たちが駆け上がって来て腕を天に突き上げた歓声を上げた。まるで轟音のような歓声のどよめきは、おぼろづきの乗員を仰天させた。
「あれは何事です?」
思わず守山艦長はタグボートの船長に尋ねる。船長は目を細めて自慢げに言った。
「中南米各地からの出稼ぎ労働者だよ。彼らががんばってくれたおかげで拡張工事がぎりぎり間に合ったんだ。そうか、あの馬鹿でかい空母が通れるようにするための工事だったんだね。いや、その間のあの連中の働きぶりを見せてやりたかったよ。ワーカホリックで名高い、あんたたち日本人にも負けない働きぶりだった」
その後、三隻とも無事に三つの閘門を通過。万能艦隊はパナマ地峡の向こう側、カリブ海に出て、プエルトリコの南側を通って北東に進路を転進、再び全速力で航行を開始した。目指すは地中海の入口、ジブラルタル海峡。
水上航行速度が遅い潜水艦であるピョートル大帝号が一緒であるため、全速と言っても約十日の行程。ペンドルトン提督が良からぬ事を考え、実行に移すには充分な時間が再び生じた。
三月の下旬に入っていたため、北大西洋の真ん中で軽い暴風雨に見舞われた。海上自衛隊では作業の分担に原則として男女の区別はない。その日は女性隊員のチームが甲板に出て、ミサイルを収納するVLSの蓋や艦首主砲の点検を行った。
一応雨天時用の作業服は来ていたが、作業が終わった時は下着までびしょ濡れになっていた。女性隊員たちは着替えて濡れた服をランドリー室で洗い、乾燥機のあるコーナーに入った。するとなぜか乾燥機の真ん前にペンドルトン提督がいた。それも乾燥機の前に立ちふさがるような格好で立っている。女性隊員たちは素早く敬礼して不審そうな顔で尋ねた。
「あの、提督、こちらで何を?」
「ああ、乾燥機が故障しているので、これを張りに来ました」
そう言って乾燥機の正面に「故障中、使用禁止」と書かれた紙を張り付ける。「え、え~」と困った声を一斉に上げた女性隊員たちに提督は、手招きしながら言った。
「これはもう、艦内に干すしかないです。はーい、みなさん、こっちへ。大丈夫、許可は取ってありま~す」
艦内の廊下で大騒ぎが勃発するのに、さして時間はかからなかった。天井から壁に張ったロープのから、ブラジャーと女物のパンツは数十枚、万国旗のごとくずらりと並んで釣り下がっている様子は、ある意味壮観ではあった。
自衛隊員とは言え、そこはうら若い女性の集団。赤、青、ピンク、黒、縞、フリル付き、様々なタイプのそれがはためく下を男性乗員が気まずそうに行き過ぎていく。ある者は顔を床に向けて必死に見ないように、またある者は下を向きつつも目玉だけを上下に動かして。
そこへ女性隊員を引き連れた守山艦長が仁王のごとき形相で駆け付けた。偶然玉置一尉と数人の女性隊員が新しく下着を吊るそうとしているところだった。
「こら! 玉置一尉まで何だ! 君たち、さっさと仕舞わんか!」
玉置一尉が口を尖らせて反論した。
「だって許可は取ってあるって、提督が言ってましたけど」
「そんな許可を出すなら私しかいないだろう。私は許可を出した覚えはない。だいいち、仮に誰かが許可したとしてもだな、こんな所に干すか? 普通? いかに自衛官とは言え、女性としての恥じらいというものをだな」
「ああ、はいはい。分かりましたよ。ほら、みんな片づけな。まったくいまどき女の下着ぐらいで。これだから昭和生まれは」
「昭和生まれは関係ないだろう! そういう問題じゃない!」
そんなドタバタを演じつつも、万能艦隊は大西洋を横断。ヨーロッパ最南端とアフリカ大陸最北端が接するジブラルタル海峡が見えて来た頃、アイスランド軍からの緊急通信が入った。
北極海からクラーケンらしき物体が海中を南下、グリーンランドとアイスランドの間を抜けて南南東方向に移動中との知らせだった。ペンドルトン提督は、イベリア半島最南端の町、タリファの沖に艦隊を集結させ、おぼろづきの艦橋から大型スクリーンに映るエヴィータとピョートル大帝号の艦長に指示を発令した。
「ピョートル大帝号は前方十キロの位置まで潜航して前進。魚竜を警戒せよ」
スクリーンの中のソラリス艦長は敬礼して「イエス、マム!」と叫んだ。
「空母エヴィータはタリファの南五キロの位置で待機。F-22は偵察に発進。B-3爆撃機は空爆の用意を」
「了解!」
フィツジェラルド艦長も敬礼して叫んだ。エヴィータは飛行甲板を展開、二機のF-22のうち一機がただちに発艦して艦隊の北西の空に飛び去った。おぼろづきはエヴィータの二キロ前方に待機。F-22は交代で哨戒飛行を継続。そのまま一夜を明かし、あたりが白々とした光に包まれ始めた早朝、F-22から通信が入った。
「海上にクラーケンを確認。くり返す、クラーケンを確認」
F-22から送られてくる位置情報をエヴィータのデータリンクという情報共有システムを通じておぼろづきも受信。守山艦長はMCH101ヘリを発進させ、ピョートル大帝号が待機している地点の海上に対潜水艦通信用ブイを投下させた。海上に浮かんだブイは超長波電波で海中のピョートル大帝号に状況を知らせる信号を送った。そして一時間後、F-22のパイロットから金切り声の通信が届いた。
「クラーケンから飛行物体が分離。あれは何だ! 数、二十、いや三十、いやそれ以上! 単独では対処不能!」
F-22から送られたレーダーと光学カメラのデータをおぼろづきの艦橋で分析させたペンドルトン提督は思わず自分の席のコンソールを両掌でバンと叩いた。
「やっぱり! あれは以前各国の軍用機を襲った飛行物体です」
艦橋の大型スクリーンにその飛行物体が映し出された。どす黒い深緑の物体は三角の翼が両側に伸び、前方の飛行機なら機首にあたる部分の上に後方に長く突き出た構造を持っていた。
「まるで翼竜……プテラノドンだ」
艦橋の中の誰かの声が響いた。哨戒長は冷静にレーダーの画面を見つめ、守山艦長に顔を向けて静かに報告した。
「飛行物体の全長は約八メートル、翼だとしたら差し渡しは約十メートル。速度時速三百キロメートル。軍用プロペラ機並みです」
「提督、CICへ!」
守山艦長は椅子から立ち上がりながら言った。提督も自分のノートパソコンを抱えて席を飛び出す。
「私は提督とCICへ行く。操艦は副長へ」
雄平は自分の席から振り返って叫んだ。
「了解! 操艦、艦長から副長へ。総員第一級戦闘配備、対艦、対空戦用意。くり返す、対艦、対空戦用意!」
一団の飛行物体はそのまま一直線にジブラルタル海峡に向けて飛来しようとしていた。エヴィータはF-22をもう一機出撃させたが、用心のため遠方から監視させるにとどめた。本来空戦用ではないB-3爆撃機ではどこまで相手に対抗できるか予想不能なため、エヴィータのフィツジェラルド艦長は当面待機を命じた。
翼竜の最初の一群との間の距離が五十キロを切った時、おぼろづきのVLSの鉄製の蓋が一個開き、細長い艦ESSM対空ミサイルが次々と発射された。ミサイルは一旦垂直におぼろづきの上空に飛び上がり、それから水平飛行に移って翼竜めがけてマッハ3の速度で轟音を上げて飛び去った。
F-22からのデータ通信と連動させて翼竜の位置を探り、ミサイルは一発ずつ翼竜に命中した。だがすぐに後続の翼竜が迫る。おぼろづきのCICでは砲雷長がいらだたしげにレーダーの表示画面をにらんでいた。
「くそ! やはりセミアクティブ・レーダー・ホーミングでは一度に四目標が限度か。艦長、このままでは阻止できなくなります」
ESSMは目標に到達するまで発射した艦、この場合おぼろづきの戦闘用レーダーからの信号を受けて飛行する。おぼろづきのミサイル制御システムは改良されて同時にコントロールできる艦対空ミサイルの数が増えてはいたが、それでも四基が限度で四基ずつ時間を置いてしか発射できない。このままでは翼竜の一部が艦隊に到達してしまう危険があった。
なんとかESSMミサイルを連続発射して翼竜を全て撃墜したと思った瞬間、F-22から再び緊急通信。新たな翼竜が十体、接近中との連絡。
「艦長!」
おぼろづきのCICで砲雷長が真っ青になって叫んだ。
「対空ミサイルはもうありません。撃ち尽くしました!」
ペンドルトン提督がすかさず命じた。
「フィツジェラルド艦長! F-22に帰還命令。おぼろづきは近接対空戦闘に移行。引き付けて近距離で迎撃します」
十体の翼竜は数十分後、おぼろづきの前方の低空に双眼鏡ではっきり確認できる距離まで接近した。それはまさに翼竜プテラノドンそっくりの形をしていた。胴体後方から青白い炎を吐いて飛んでいる。その動力源は不明。
おぼろづきの艦首のMk45という口径127ミリの速射砲が火を噴いた。その弾丸は翼竜のいる方向に飛んでいき、その手前の空中で破裂。弾頭の中からパチンコ玉ぐらいの大きさの劣化ウランでコーティングした子弾頭が数百個、打ち上げ花火のように四方八方に高速で飛び散る。
先頭の翼竜一体が直撃を受けて空中で失速、そのまま錐もみ状態で海上に落下。だが残り九体は左右に散り、おぼろづきの艦砲一門ではカバーしきれなくなった。うち一体があざ笑うかのようにおぼろづきの真上を通過、エヴィータのいる方向へ向かう。
その時、水平線の向こうから突然別の飛行物体が数十、いっせいに姿を現した。海面すれすれに飛んで来たため、戦闘中のおぼろづきには探知できなかったようだ。艦隊の誰もが新しい敵かと思って身構えた瞬間、おぼろづきの艦橋の無線に突然音声が割り込んできた。やや訛りのある英語で、声の主はこう告げた。
「正義の騎士団参上。日本の駆逐艦、あとは任せろ」
そして上昇してきたのはヘリコプターの一群だった。機体の両側に翼のように突き出た安定板がありその下に機銃ポッドやミサイルらしき物が吊り下げられている。戦闘ヘリ、いわゆるガンシップというタイプらしい。
おぼろづきを通り越した翼竜に二機のヘリが猛然と襲い掛かり、両翼の機銃の掃射で海に叩き落とす。十機を超すヘリがおぼろづきの上空を通過する。それを艦橋の窓から双眼鏡で見ていた乗員が驚愕の声を上げた。
「何だ、あれは!」
何事か、と雄平が近づくとその乗員は双眼鏡を手渡しながら言った。
「副長、見て下さい。あのヘリ、テイルローターがない!」
「なんだって?」
双眼鏡をのぞいた雄平の目に映ったそのヘリは、何か違和感のある形状をしていた。確かに、普通のヘリコプターには機体から尻尾のように後ろに伸びた構造があり、その先に縦に小さなローターがついている。
メインローターしかついていないと、その回転に機体が振り回されてしまいまともに飛べない。尻尾の先のテイルローターという小さな回転翼がそれを防ぎ、ヘリの機体をまっすぐの姿勢に安定させる。
だが今見ている戦闘ヘリには確かにテイルローターが無かった。機体後部は左右から短く細い棒状の構造が日本後ろに伸び、その先を板状の水平版が繋ぎ板の端には垂直な小さな安定板が左右にある。
「カモフか?」
雄平は防衛大学校で習った知識を必死に思い出しながらヘリを見つめ続ける。
「いや、違うな。ロシアの機体じゃない。見た事もない型式だ」
おぼろづきの前方に出たヘリの一団は次々に短距離対空ミサイルを発射。残った翼竜は次第に追い詰められ、一体また一体と撃墜されていく。最後の一体を仕留めた時、クラーケンはもうジブラルタル海峡まで百キロの位置まで迫っていた。ペンドルトン提督は空母エヴィータに空爆開始を指示した。
二機のF-22に先導され次々に飛び立ったB-3爆撃機の猛攻を受け、クラーケンは西に進路を変え逃走を始めたようだった。浮上したピョートル大帝号から提督に緊急通信が入った。スクリーンに映るソラリス艦長は提案した。
「クラーケンの追跡を許可願います。ここでまた見失っては後々面倒です」
ペンドルトン提督は一瞬考え込んで命令を下した。
「分かりました。ピョートル大帝号に追跡を命じます。ただし、単独での交戦は絶対避ける事! あくまでクラーケンの位置を充分離れた場所から監視するのが貴艦の任務です」
「心得ました。では、後日合流するまで」
その交信が終わった途端、雄平が得物に飛びかかる猛獣のような勢いで提督席に詰め寄り、顔を真っ赤にして叫んだ。
「なぜですか? 提督! 今回はベーリング海の時とは違う。我々も追跡するべきです!」
雄平の、それまで見たこともない強引な口調に戸惑った顔で、ペンドルトン提督は椅子に座ったまま答えた。
「このおぼろづきは対空ミサイルを撃ち尽くしています。武器弾薬の補給の必要がありますし、艦隊のこれからの任務は……」
提督が言い終わらないうちに雄平はさらに畳みかけた。
「万能艦隊の任務はクラーケンの殲滅でしょう? みすみす見逃すなんて」
「やめんか!」
艦橋の窓がビリビリ震えるかと思った程の怒号が響き、守山艦長が雄平の襟首を後ろからつかんでそのまま部屋の隅に放り投げた。
「日野副長にヒトハチマルマル時まで自室での謹慎を命じる。ぐずぐずするな、行け!」
雄平はまだ何か言いたげに眉をしかめていたが、立ち上がって敬礼し、そのまま艦橋を出て行った。艦長は提督の前に行き深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありません、提督」
「いえ、私は別にかまいませんが。ミスター・ヒノはどうしたのです? あの超の付く真面目な彼には珍しいですね」
「はい。クラーケンが襲来したあの日、やつが初めて正式な乗員として乗った艦も犠牲になったのです」
「横須賀ですか?」
「はい。艦のクルーの同期はやつ一人を除いて全滅でした」
「そうですか。気持は分かります」
「いえ。国連海軍の任務は個人的なかたき討ちではありません。私情を交えては」
「いいじゃありませんか、キャプテン・モリヤマ。若い兵士はあれぐらいでないと張り合いがありませ~ん。私もルーキーの頃は上官をぶん殴って営倉に放り込まれた事は数えきれません」
「は、そう言っていただけると」
艦のレーダーを通常モードに切り替えた哨戒長が遠慮がちに艦長の背後から声をかけた。
「あの、艦長、提督よろしいですか?」
艦長が振り返ってうなずくと哨戒長はレーダー画面に目を戻して言った。
「本艦隊の後方から大型艦が接近中。あの戦闘ヘリの一団はその艦艇の方へ飛行しているようです」
「敵味方識別信号は?」
「グリーン。味方です。あ、お待ちください、向こうから通信してきました。スクリーンに出します」
艦橋の大型スクリーンにやや浅黒い肌の白人の軍服姿の男が映った。彼は小さく敬礼しフランス語訛りの英語で言った。
「こちら万能艦隊三番艦、艦長のジャン・フィリップ・ポルナレフ中佐であります。ペンドルトン提督の本艦の視察を要請します」
提督が自分の席の通信機から答える。
「了解しました。おぼろづきのヘリで向かいたいと思いますが、そちらにヘリポートはありますか?」
するとポルナレフ艦長は何がおかしいのか、含み笑いをしながら答えた。
「もちろん、有り余っております」
ほどなく、おぼろづきからペンドルトン提督、守山艦長、玉置一尉、空母エヴィータからフィツジェラルド艦長がそれぞれのヘリで指定された海上の地点に向かった。おぼろづきのMCH101ヘリの荷台部の窓からビデオカメラで様子を撮影していた玉置一尉は、遠くに見え始めたその艦艇を見て眉をしかめた。
「何あれ? 貨物船? それとも液化天然ガスのタンカー?」
その船は全長二百八十メートルほどの、船首以外は上から見ると四角い形をしていた。甲板全体が淡い青色で塗装した角の丸い四角いドームに覆われていて、甲板の一番後ろの真ん中に艦橋らしき部分がちょこんと突き出している。
例によって艦首の側面にカメラを向けると、左舷に「UNN-03」という白い文字。そして右舷には「JEANNE D’ARC」の文字。
「ジャンヌ・ダルク……という事は」
そう玉置一尉がつぶやいた時、甲板を覆う四角いドームが真ん中から二つに割れゆっくりと左右に倒れ始めた。垂直に立っていた壁が真横になりL字型の壁が両側に開いた格好になった。甲板後方の艦橋は根元まで露呈し、甲板からの高さは結構ある構造物だった事が分かった。
そして露わになった甲板上には、あの時海上で見た戦闘ヘリがずらりと並んでいた。その数四十機。甲板上の誘導員の合図でMCH101とエヴィータの連絡用小型ヘリは艦橋の根元近くのスポットに着陸。
艦橋入口で、三か国の海軍将校の制服を着た白人男性が一行を出迎えた。一人はさっきおぼろづきのスクリーンで見たポルナレフ艦長。そしてドイツ軍の制服のやや若い将校とイギリス軍人らしい立派な口ひげの将校。
ポルナレフ艦長が進み出て提督とフィツジェラルド艦長に握手を求めた。手を握り返しながら提督が尋ねる。
「これはヘリ空母ですか?」
「その通りです」
フランス人の艦長は自慢げに答える。
「ヘリ空母としてこの名を持つフランスの軍艦としては三代目になります」
「ところで、このヘリは? 見たこともないタイプですね」
「それは私からご説明しましょう」
そう言ってドイツ人将校が前に出る。
「本艦の飛行隊指揮官、ドイツ海軍のフランツ・ホフマイヤー少佐であります」
「よろしく少佐。それでこのヘリは?」
「ヨーロッパ各国の技術協力を得てドイツが開発した新型戦闘用ヘリコプター、ワルキューレ型であります。ご覧の通り、テイルローターが無いのが特徴です」
「どうやってそんな事が可能に?」
「メインローターの方をご覧下さい。二つのローターが上下二段に重なっているでしょう?」
「あ、確かに」
「テイルローターは機体本体がローターの回転に振り回されるのを防ぐために必要不可欠でしたが、同時に推進力を上げるためにメインローターを大きくすると万が一にも接触しないように、テイルローター部分を長くする必要があります。すると全長が長くなり、重量も増し、推進力が落ちる、そういうジレンマがありました。このワルキューレ型は、二重のメインローターがそれぞれ逆向きに回転することで反動を相殺し、テイルローター無しで安定的に飛行できるのです」
「なるほど」
提督は感心して相槌を打った。
「そういうヘリが研究されていたのは聞いた事があります。それでは、さっきまで甲板全体を覆っていたドームは何です? 今は横から取り囲む壁のようになっていますが」
またポルナレフ艦長が前に進み出た。
「ワルキューレ型ヘリは速度、武器搭載重量、機動性全てにおいて最強の戦闘ヘリですが、こういう二重反転式ヘリは機体が従来のヘリよりかなり高くなります。これは母艦には厄介な問題でしてね。全高が大きいヘリを甲板の下のハンガーベイに収容するには船体の高さも相当な物にしなければなりませんが、それでは艦のバランスも悪くなるし、速度や燃料効率も低くなる。では甲板を上からすっぽり覆ってやればいいではないか。そういう発想で設計されたのがこのヘリ空母ジャンヌ・ダルクなのです」
「それで動力は?」
「ガスタービンエンジン四基の通常動力空母であります。クラーケンのえさにされないよう原子力は使用しておりません」
「艦隊の近接航空防御のためのヘリ空母というわけですね?」
「その通りであります」
そう言ってポルナレフ艦長は提督の正面で直立不動の姿勢を取り、素早く右手を敬礼の形に挙げて大声で言った。
「国連海軍、EUブロック代表、フランス海軍所属、ヘリ空母ジャンヌ・ダルク。万能艦隊への合流を許可願います!」
提督も素早く敬礼を返しながら言った。
「許可します!」
それから提督は急にくだけた表情になってポルナレフ艦長に小声で尋ねた。
「ところで、聖処女ジャンヌ・ダルクというのは十五世紀の英仏戦争のフランス側の英雄ですよね」
提督はそう言ってちらりと英国軍将校の方に目をやった。
「よくイギリスがその艦名を承知しましたね」
ポルナレフ艦長もにやにや顔になって答えた。
「はあ、もうひとつの名前の候補とどちらがいいか、と言ったらジャンヌ・ダルクでいいと言ってくれました」
「もうひとつの候補?」
「マリー・アントワネットという案もありましてね」
そこで英国軍将校がゴホンと咳払いをした。
「この艦の主計官、ロイヤル・ネイビーのジョージ・ハミルトン中佐であります」
そしてまだにやにや笑っているポルナレフ艦長の方にギロリと視線を向けて不機嫌そうに言葉を続けた。
「この艦の建造費の半分以上はわが大英帝国が拠出しておるのです。そんなコストパフォーマンスの悪そうな名前をつけられてはたまりませんので」
そう言って口を「へ」の字に曲げて見せたが、その目は明らかに笑っていた。
それから例によって提督の要望で、艦の昼食を食べさせてもらう事になった。一行は艦橋部二階にある士官食堂に通された。十人は座れる広い部屋で、おぼろづきとエヴィータからの来客四人が奥の席に座り、ジャンヌ・ダルク側の三人がドア側の席に着いた。
ほどなく若い水兵三人がトレイを運んできた。数種類の小さなパンと野菜サラダ、そしてトレイの大きなくぼみには大きくカットした人参、西洋カブ、ドイツ風ソーセージなどがたっぷり汁を吸った煮込みの状態で盛りつけてあり、脇にたっぷりとマスタードが添えてあった。料理を勧めながらポルナレフ艦長が説明した。
「ご存じかもしれませんが、ポトフというフランスの家庭料理です。みなさんの艦も同じでしょうが、軍艦内部の事故で一番怖いのは火事です。キッチンでも直火の使用は厳禁。過熱はIHヒーターのような電磁調理器具か電子レンジだけですので、どうしてもこういう煮込み料理が多くなります。ご覧の通り、様々な肉と野菜を煮込んだだけの物ですが、兵士の通常の食事をという提督のご要望でしたので」
「いえいえ、これは大変いけます」
守山艦長は野菜にマスタードを塗りながら言った。
「もちろん味付けや材料は違いますが、日本にも似たような料理があります」
そう言って隣の玉置一尉に小声で日本語でささやいた。
「コンソメ味のおでんと言ったところだな、これは」
食事が終わり、今後の艦隊の行動の話になった。ペンドルトン提督は海図をテーブルに広げてある一点を指さしながらその場の全員に告げる。
「これより艦隊は地中海イスラエル沖に一旦停泊します」
フィツジェラルド艦長が言った。
「では、あの少女たちの移送計画が実行されるのですか?」
提督はゆっくりうなずき続ける。
「クラーケンの地中海侵入は阻止できましたが、私たちが翼竜と呼ぶあの飛行物体の存在が確認された以上、用心のため万能艦隊はイスラエル沖に展開します。その後スエズ運河を通って紅海からインド洋へ出ます。もしクラーケンがあの二人の少女たちを追って来るならアフリカ大陸を一周してインド洋に来る可能性が高い。そこで迎え撃ちます。クラーケンの動向は追尾しているピョートル大帝号から何か連絡があるでしょう」
そして数時間後、護衛艦おぼろづき、空母エヴィータ、ヘリ空母ジャンヌ・ダルクの三隻は艦隊を組んで地中海の東方奥、イスラエル沖に向けて出航した。時は三月から四月へと暦が移り変わる春の青い空の下。