テラーノベル
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万能艦隊はジブラルタル海峡から地中海に入り、北アフリカ沖を東に進んでイスラエル沖を目指した。途中マルタのバレッタ港で物資、弾薬の補給を受け、クレタ島の南を抜けてテルアビブ港に向かうコースを取った。
クラーケンを追跡している潜水艦ピョートル大帝号は、定期的に潜望鏡深度まで浮上して通信用アンテナを海上に出し万能艦隊への状況報告を送信した。アフリカ諸国の軍隊の通信施設はその信号をリレーして中継し、おぼろづき他艦隊各艦に伝えられた。
地中海への侵入に失敗したクラーケンはその後南西方向に進路を変え、アフリカ大陸西岸に沿って南下を続けていた。アフリカ大陸を一周してインド洋へ出るつもりなら、次に遭遇するまでに相当の時間がかかる。そう判断したペンドルトン提督は艦体本体の警戒態勢を解除。各艦の乗員に休養を取らせる事にした。
四月とは言え地中海の南部は摂氏二十度を超える日もある暖かさで、晴れた日の昼間は甲板上にいると汗ばむ程だった。地中海の青い水の上、暖かい日差し、そして束の間の休養とくればペンドルトン提督が企む事は当然一つ。
おぼろづきの後部甲板、ヘリポートのある場所は毎夕交代で乗員のバーベキューパーティーが開かれた。もちろん参加者は全員水着着用、女性隊員はビキニ限定。ペンドルトン提督も自らきわどいラインのビキニを着用して毎回参加した。
守山艦長は最初は例によって異を唱えたが、結局提督の意向には逆らえず、しぶしぶ許可した。雄平が姿を見せない事に気づいた提督は、たまたまパーティー会場にいた玉置一尉と数人の女性隊員に理由を尋ねてみた。肉の串を頬張りながら玉置一尉が答える。
「ああ、副長にはもう彼女いますからね。ほら、今イスラエルで予言の少女たちに付き添っている医官の常盤美奈一尉ですよ」
「オー、それで女性の水着姿には興味がないですか~」
ペンドルトン提督は腕組みをして考え込んだ。
「しかし、日本では浮気は男の甲斐性と言うはずです。これだけの若い女性がすぐそばにいるのに、目もくれないというのでは、少しカタブツ過ぎま~す!」
「言われてみれば、なんか面白くないわね」
玉置一尉も提督に同調した。
「あたしたち、女として見られてないって事にならない?」
そう水を向けられた他の女性隊員たちも段々そんな気になっていた。
「ま、確かに彼女一途なのはいい事だけどね」
「それは確かに少しムカつきますよね」
「フフフフ……では、皆さん、耳を貸して下さい」
不気味な微笑を浮かべた提督と女性隊員たちは、ひそひそ話を始めた。
提督が例によっておぼろづき艦内をひっかき回している頃、エルサレムではエルゼとラーニアを病院から移送する作業に大わらわだった。二人の血液などをつないで循環させている医療装置一式も同時に運ばなければならないため、航空機による移送はリスクが高過ぎると判断され内陸部を車両で移動する事になった。
大型のキャンピングトレーラーが二人の病室兼住居として改造され、美奈とミューラー中佐が同行、そのためのキャンピングカー二台に物資運搬用トラックが1台、護衛用の軍用ジープ一台で車両コンボイを組む。アジア大陸を東に横断する形で進み、各国の軍隊が護衛と道案内を務める手筈になっていた。
エルゼとラーニアの両親と親族は出発当日病院に集まり、美奈とミューラー中佐にすがりつかんばかりに娘たちの世話を懇願した。当のエルゼとラーニアは親たちの心配などどこ吹く風、生まれて初めて外国へ行けるというので、むしろ楽しみにしてはしゃいでいた。
エルゼとラーニアの病室からの移送の準備が進められている間、病院の周りは野次馬が集まって車の通行にさえ支障をきたすほどの人だかりになっていた。万一に備えイスラエル兵が病院の出入りを一時制限し、特に急を要する患者以外の立ち入りを禁止した。もともと施された医療措置のせいで何かと話題になる事が多くなっていた二人の少女だが、クラーケンの動向を予言できるという噂が広まってしまい、人類の希望の星だとか、あるいは単なる好奇心で、病院に入り込む者が増えていた。その二人が国外へ旅立つというのだから、なおさら多くの野次馬を惹きつけてしまったらしい。
美奈はトレーラーの中の医療設備をチェックするため一足先に駐車場へ行き、そこで思わず立ち止まった。駐車場の中に見覚えのある若い男が立っていた。いつかエルゼとラーニアの病室の近くで迷っていたと言っていた、あの青年だった。
白っぽいスーツを着込んでいるその姿は、男にも女にもたいていの人間には忘れられない。肩近くまでさらりと伸びた美しい金髪、白人にしても白い女のようなきめ細やかな肌、吸い込まれそうな程澄んだ青い瞳。
美奈はしかし、すぐに彼の側に駆け寄った。今キャンピングトレーラーには誰も近づけないよう厳重な警備がされているはずだ。なぜこの青年はこんな場所まで入り込めたのだろう?美奈が詰問調で英語でそこにいる理由を問いただすと、青年はわずかに愛想のいい微笑を浮かべながら、今回も流暢な日本語で返事をした。
「あの二人の乙女たちの、旅立ちを見送って差し上げたいと思いまして」
発音は流暢だが、やはり外国人の日本語だ、古臭いな、と内心思いながら美奈はきつい口調で、自分も日本語で、青年に言った。
「それはどうも。でも今ここは関係者以外は立ち入り禁止です。あなたは関係者ですか?」
青年はその長い金髪をゆるやかに揺らしながら、首をゆっくり横に振る。美奈はきっぱりと駐車場の出口のドアを指差して青年に命令口調で言った。
「だったら今すぐ出ていきなさい。気持ちはありがたいけど、無断立ち入りは迷惑です」
青年は黙ってうなずき、ドアを開けて中庭の方へ出る。確認のため美奈も後に続いたが、ドアを一歩外に出た所で青年の姿は掻き消えた様に見えなくなっていた。美奈はあわてて周囲を見回したが、青年の後ろ姿は視界のどこにもない。
近くで警備についていたイスラエル兵に彼を見なかったが尋ねると、彼らは怪訝そうな表情で、誰も通ったはずはない、と言い張った。念のため美奈が指揮を取ってイスラエル兵に付近を捜索させたが、病院の敷地内に青年の姿は見当たらず、かと言って怪しい事も何も起きていなかった。
エルゼとラーニアは病院の病室からキャンピングトレーラーに移り、コンボイは病院を出発してパレスチナ西岸地区を通りヨルダンとの国境に向かった。国境まではイスラエル軍の部隊が護衛し国境のチェックポイントでヨルダン側の部隊に任務を引き継ぐ。
そこでコンボイを待っていたのは、ヨルダン国軍、パレスチナ自治政府から派遣された民兵、そしてレバノンから駆けつけたヒズボラというアラブ人武装組織の民兵、その混成部隊だった。
長年イスラエルを不倶戴天の敵として武装闘争を行ってきた勢力だが、今は国際連合の要請により宿敵と力を合わせる事にしたようだ。イスラエル兵がコンボイの車両のキーなどを手渡すと、ヒズボラ民兵部隊のリーダーが左手でそれを受け取り、すかさず右手を差し出して握手を求めた。
イスラエル軍の隊長は一瞬ためらったが、無言で軽く相手の手を握り、しかし結局一言も言葉を交わさず、そのまま去って行った。コンボイがヨルダンとイラクの国境へ向けて悪路を走り始めた頃、スエズ運河に入っていたおぼろづきにピョートル大帝号からの緊急通信が飛び込んできた。
浮上する時間も惜しんだらしく、それは海面に射出された通信用ブイから自動的に送信されているデータ信号だった。おぼろづきの艦橋に駆け付けたペンドルトン提督、守山艦長、雄平たちがデータを解析するとナイジェリア沖でクラーケンから分離した十五体ほどの飛行物体の存在が確認された。
「翼竜でしょうか?」
守山艦長が提督に言った。
「しかし、あんな位置からなぜ?」
その時データの解析を続けていた乗員が声を高めて報告した。
「艦長、この前の翼竜とは違うようです。送られたデータが正確なら、今度のやつの飛行速度は音速を超えています」
「何!」
守山艦長の声が上ずった。
「ジェット戦闘機並みか。新型の翼竜か?」
提督は冷静な口調を崩さず乗員に確認する。
「飛行物体の進行方向は?」
「北東です。つまりこちらに向かっています」
提督は無言で守山艦長に視線を向け、大きくうなずいた。艦長はすぐさまおぼろづきの第一級警戒態勢を命令。提督は艦隊の他の艦にも警戒態勢への移行を無線で指示した。
その一群の飛行物体はアフリカ大陸北部を斜めに横切る形で移動、ナイジェリア軍のレーダー基地が映像撮影に成功し、そのデータを衛星回線で万能艦隊に送った。おぼろづきの艦橋の大型スクリーンに映し出されたそれは、ペリカンの頭部をコウモリの胴体につなぎ合わせたような形状だった。
「ケツァルコアトルスだな、まるで」
データを解析したおぼろづき艦橋の乗員がつぶやいた。
「全長、翼開長ともに約二十メートル。史上最大の翼竜と言われているケツァルコアトルスそっくりです」
それを聞いた提督が落ち着いた口調で言う。
「これを翼竜、ケツァル級と呼称します。キャプテン・モリヤマ、対空ミサイルの準備は?」
「完了しています。しかし、スエズ運河を通過しながらの対空戦でどこまで出来るか?」
スエズ運河は地中海側と紅海側の海面水位に差がないため、パナマ運河のような閘門はなく船はそのまま水平に移動できる。しかし全長が百九十三キロもある運河の中で未知の翼竜と交戦するのは万能艦隊には荷が重い任務となった。
おぼろづきの対空レーダーが直接翼竜の群れを探知するまで三時間とかからなかった。おぼろづきは第一級戦闘態勢に移行。ヘリ空母ジャンヌ・ダルクも飛行甲板ドームを全開にし、ワルキューレ攻撃ヘリ二十機が艦隊護衛のため上空に待機を始めた。
提督は空母エヴィータにF-22の哨戒飛行を依頼したが、フィツジェラルド艦長からは予想外の返事が返ってきた。
「不可能です、提督! 本艦はスエズ運河内を航行中。現在の水路を抜けきらないと飛行甲板を展開できません」
「くっ!」
冷静だったペンドルトン提督が初めて焦りの色を見せた。
「人類史上最大の空母にも、そんな弱点がありましたか!」
リビア、スーダン、エジプトの各空軍は残存していた戦闘機を発進させ翼竜の迎撃を試みたが、旧式の機体しかないためいずれも失敗。翼竜は体から細長い棒状の物をミサイルのように飛び出させリビア空軍機二機が撃墜されたという報告まで入った。
紅海側への出口にもう少しという場所にあるグレートビター湖という広い水面に出たところでおぼろづきは艦首を南西方向に反転、対空ミサイルを四発発射した。最初に翼竜一体に命中、だがその翼竜は一撃では破壊されず残りのミサイルに自分から向かって行き、計三発のミサイルをひきつけた格好でやっと地上に落下、爆発した。
残り一発のミサイルは超音速で飛び回る翼竜を追いかけきれず、燃料が切れてエジプトの砂漠地帯に落下した。残存し万能艦隊に迫っているケツァル級翼竜の正確な数は十六体と判明。
だが長距離での対空ミサイルでの迎撃が通用するかどうか不安になった状況で守山艦長は対空ミサイルの温存を決断。艦首主砲の装填弾を近距離対空用に換装させ、中距離での防空はジャンヌ・ダルクの攻撃ヘリ部隊に一任した。
ワルキューレ攻撃ヘリが翼竜と最初に接触した時にはもう太陽は沈みかけていた。強烈な西日の方向から飛来する翼竜群に対しヘリ部隊は一斉に赤外線誘導型空対空ミサイルを発射したが、ミサイルのかなりの数が夕日から出る赤外線に反応してしまい、見当はずれの方角へ飛び去ってしまった。
「まさか、これも計算してのタイミングなのか? あの化物にそんな知能が?」
おぼろづきのCIC で守山艦長が驚愕の声を上げる。そしてついにケツァル級翼竜の群れはおぼろづきの艦橋から肉眼で見える距離まで迫った。ジャンヌ・ダルクは残りのワルキューレ型ヘリ二十機全てを出撃させて、ミサイルの弾頭部自身がレーダー波で目標を捕捉し追尾するアクティブ・ホーミング式空対空ミサイルを使用して迎撃した。
ワルキューレ型攻撃ヘリは初期のジェット戦闘機並みの機動性を持つ機体だが、超音速で移動する翼竜の動きにはさすがについて行けず機関砲はむなしく空を切った。おぼろづきに一番近い位置で応戦していたワルキューレ型ヘリが発射したミサイルは翼竜一体を追尾、その翼竜はおぼろづきの真上を超低空で横切った。
すると対空ミサイルは翼竜を見失い、おぼろづきに向かって前進し始めてしまった。おぼろづきは甲板上のファランクス対空機銃を二基フル稼働。毎秒七十五発の連射で弾丸を宙に向けてばらまき間一髪のタイミングで迷走したミサイルを空中で爆発させて事なきを得た。
ペンドルトン提督はおぼろづきのCICからジャンヌ・ダルクに緊急通信した。
「艦隊至近での対空ミサイルの使用は控えさせて下さい。同士討ちになります!」
無線機からポルナレフ艦長の恐縮しきった声が返って来た。
「申し訳ありません! ですが提督、敵は最新型ジェット戦闘機並みの速度と機動性です。本艦の搭載ヘリでは対処しきれません!」
同じころ、おぼろづきの艦橋で操艦についていた雄平は哨戒長の言葉に戸惑いを露わにしていた。
「戦闘開始時に周辺諸国には警告が出ているはずでしょう? なぜそんな空域にジェット機が? 哨戒長、無線での警告をもう一度」
「いや、それが副長」
雄平より少し年上の哨戒長は額の汗を手でぬぐいながら答えた。
「さっきから呼びかけているが応答がないんだ。まさか無人航空機だろうか?」
「そうだとしたらでかい」
隣でレーダーを見張っている哨戒班員が言う。
「それにジェット機だ。そうか、グローバルホークじゃないですか?」
やがてその航空機はおぼろづきのレーダーで形状まで把握できる位置まで近付いて来た。機種が丸くふくらんだずんぐりした胴体、二枚の垂直尾翼とその真ん前に大きな空気吸入口。米軍が開発した無人のジェット偵察機、グローバルホークに違いなかった。雄平は苛立ってつい声に出した。
「一体どこの国だ。こんな時に偵察機で高みの見物か?」
「対空レーダーに感あり!」
哨戒長が突然叫ぶ。
「本艦から五時の方向より飛来中。数二十。速度、推定マッハ2。本艦との距離三十キロ」
「三十キロ?」
雄平は思わず大声で怒鳴った。
「なぜそんな近くまでレーダーが捉えなかったんですか? 哨戒長、この辺に空軍基地は?」
「サウジアラビア空軍か? 副長、本艦の真上を通過!」
おぼろづきの艦橋の窓からその戦闘機の一団は肉眼で見えた。水平尾翼がなく三角形の主翼が操縦席の後ろから尾部まで伸びている。垂直尾翼は一本、操縦席の左右下にこれも三角形の小さな翼が突き出している。雄平には見覚えがあった。
「デルタ主翼にカナード翼の戦闘機……ユーロファイターか! 一体どこから?」
ユーロファイター二十機は万能艦隊上空に展開し、戦闘機としては驚くべき機動性を活かした動きで前後左右自由自在に飛び回り、格機がケツァル級翼竜と対峙した。機体からの電波誘導と弾頭自体が持つ追尾機能を組み合わせたセミアクティブホーミング誘導の短距離空対空ミサイルを次々に発射。
超音速ジェット戦闘機ならではの動きで翼竜を追跡、近距離からのミサイル攻撃は翼竜を一つまた一つと撃ち落していく。ミサイルだけでは仕留めきれなかった翼竜は至近距離まで接近して正面左側だけにある機関砲の連射を雨のように浴びせ、海面あるいは運河両側の砂漠地帯に叩き落とした。
全翼竜の撃墜が確認され、雄平は上空のユーロファイターに向けて無線で呼びかけた。
「救援に感謝する。そちらの所属を教えてもらいたい」
編隊の隊長らしきパイロットから、アラビア語訛りの強い英語で返答があった。
「スエズ運河を出た所で母艦が待っている。そこで改めてお会いしよう」
「母艦?」
雄平は無線機のマイクを置いて首をかしげた。
「ユーロファイターに空母搭載型なんてあったか?」
夜明けになり万能艦隊の全艦が運河を抜けスエズ湾に出ると、南の方向に空母らしき艦影が見えて来た。ペンドルトン提督の視察を要請する無線がおぼろづきに入り、提督、守山艦長、玉置一尉、エヴィータのフィツジェラルド艦長、ジャンヌ・ダルクのポルナレフ艦長がそれぞれの搭載ヘリでその空母に向かった。
おぼろづきのMCH101で飛び立ったペンドルトン提督、守山艦長、玉置一尉は空母に近づくにつれ、その形に違和感を禁じ得なくなった。大きさと大まかな形状は米海軍のニミッツ級空母に似ていた。
だが甲板上にはアイランドと呼ばれる艦橋部分が見当たらず、完全に平たい。また着艦専用のアングルド・デッキと呼ばれる、艦の中央線から9度外側に傾いた角度の飛行甲板部分が左右両方にある。
むしろその左右のアングルド・デッキの方が中央の滑走路部分より前に突き出ている。飛行甲板の上空十メートルほどの所に妙な形のプロペラ機が二基飛んでいた。いや、正確にはホバーリングして上空に静止している。長い主翼を持つ飛行機だがプロペラが主翼の付け根近くに付いていて、しかも上を向いて回っている。
「ティルトローター機か? うん? コクピットはどこにある?」
ヘリの窓ガラスに顔をくっつけんばかりにして守山艦長が疑問を口にする。ヘリのパイロットが空母から最後の戦闘機を収容するので上空で待機するよう指示があったと艦長に報告した。
「IAIパンサーですね、あのティルトローター機は」
ペンドルトン提督が双眼鏡をのぞきながら言った。
「イスラエルが開発した無人航空機ですね」
やがてあの時のユーロファイターが一機、空母の後方から降下してきて着艦態勢に入った。エヴィータから飛んで来たヘリの中でフィツジェラルド艦長が妙な顔をしていた。
「ちょっと待て、何だ、あの方向は? あれでは中央のデッキに降りてしまうぞ」
だがそのユーロファイターは左右に突き出たアングルド・デッキではなく、艦体の中央線に沿った真ん中の飛行甲板に着艦した。機体の後ろ下から降りたL字型の金属棒のフックが飛行甲板の上に張り出された直径数十センチもの太さのワイヤーロープに引っかかり機体を強制的に止める。
同時にユーロファイターの三角形の主翼の後ろ半分が前に折れ曲がった。直角に立った状態の主翼の半分がエアブレーキの役割を果たしているのだ。ユーロファイターにこんな型式の物は万能艦隊の艦長たちの誰も聞いた事もなかった。
ユーロファイターの収容作業が終わると、空母から各ヘリにアプローチの許可が出た。まず提督の乗るおぼろづきのMCH1010が接近する。玉置一尉が望遠レンズ付きのビデオカメラを肩に構えた。
その液晶モニターに映し出された艦首の左舷には「UNN-04」の白文字。そして右舷には「CLEOPATRA」。紀元前30年にローマ帝国に滅ぼされた古代エジプト王国の最後の女王の名。
そして提督と艦長たちはもう一度目を丸くさせられた。飛行甲板の後方の一角が二か所、横にスライドして開き、艦橋構造物が二つせり上がって来た。それは操艦用、航空管制用の艦橋部らしく、完全に甲板上に姿を現すと上空のIAIパンサーがそれぞれの艦橋のてっぺんに着艦した。
どうやら戦闘中は艦橋部を艦体の中に収納する構造のようだ。その間IAIパンサーが上空にホバーリングしてデータを艦橋に送る仕掛けになっているようだ。MCH101がその空母の甲板に近づく。守山艦長は甲板に居並ぶ航空機の中にグローバルホークを見つけた。
「そうか、あれはユーロファイターの水先案内か」
MCH101、続いてエヴィータ、ジャンヌ・ダルクの連絡用ヘリがその空母の甲板に着艦し、提督たちは操艦用の艦橋の方へ案内された。甲板上の水平たちは明らかにアラブ系の顔立ちだった。
艦橋への入口の所で士官を引き連れた、背の高い浅黒い肌に豊かな顎鬚をたくわえた、いかにもアラブ系の風貌の男が提督たちを出迎えた。
「エジプト海軍中佐、アフメド・アル・マフムード艦長であります」
彼はややアラブ訛りの英語で大声で名乗り、敬礼した。提督と各艦の艦長たちは素早く敬礼を返す。艦橋の操艦ブリッジに案内され、そこで空母の説明を受けた。もっともこの艦の特徴はあらかたヘリの中から見ていたのだが、それでもフィツジェラルド艦長は聞きたい事があり過ぎてうずうずしている様子だった。
マフムード艦長の説明によれば、サウジアラビアが建造資金とユーロファイターの改造プランを提供。それに基づいてエジプトが艦体の建造を行い、イスラエルが無人航空機を提供。アフリカ、アラブ諸国が改造型ユーロファイターの製造を分担し、ガスタービンエンジン八基によって動く大型空母を建造した。
戦闘機を発艦させる際に、飛行甲板下に高圧蒸気で機体を加速させるための装置、いわゆるカタパルトの技術は米海軍が提供した。米海軍は蒸気式カタパルトの技術を限られた同盟国にしか提供してこなかったが、超電導電磁誘導カタパルトという新技術を開発した今、蒸気式の技術は気前よくエジプトに提供したということだった。
「何か質問はありますかな?」
マフムード艦長のその言葉を待ちかねていたかのようにフィツジェラルド艦長が質問した。
「この空母の飛行甲板はどういう構成になっているのですか? さっきユーロファイターがアングルド・デッキではなく真ん中のデッキに着艦しましたが?」
「ははは、アメリカの方にはもっともな疑問でしょうな」
マフムード艦長は髭を撫でながら笑って答えた。
「アメリカのスーパーキャリア型の大型空母を持つのはわが国には初めての経験です。特に戦闘機のパイロットを、動いている空母の飛行甲板に着艦できるよう訓練するには時間がかかります。斜めに傾いたアングルド・デッキの部分に確実に着艦するのは難しい」
「分かります」
フィツジェラルド艦長が興奮気味に相槌を打つ。
「移動しているアングルド・デッキに着艦するには相当の熟練度が必要だ。あれに慣れるのは一苦労だ」
「おや、まるで経験があるような言い方ですな」
「もちろん経験はあります。私も元戦闘機乗りですから」
「なんと! アメリカでは、戦闘機パイロットから艦長にまで出世できるのですか? よほど優秀なのですね、あなたは」
「いえ、当然です。米海軍では空母の艦長は戦闘機パイロットの経験者でなければならないという規則があります」
「ほう! そうなのですか?」
「はい、空母の艦長の最大の任務はパイロットの安全を確保する事です。それには艦長自身がパイロットの経験を持っている事が必要不可欠ですから」
「なるほど、さすがアメリカは合理的ですな。わが国の海軍の今後にも参考になる」
「それで、さきほどの質問は?」
「ああ、そうでしたね。アングルド・デッキへの着艦が難しいのなら、逆にアングルド・デッキを発艦専用にして、中央のデッキを着艦専用にすればいい。そう考えたわけです。ただその場合、着艦時にトラブルが起きた時に艦橋部に戦闘機が衝突するリスクも高くなる。そこで艦載機が発艦、着艦をくり返す戦闘時にアイランド部分を収納して甲板上を完全に平らにしてしまえば、熟練度の高くないパイロットでも安心して着艦できる。ついでに主翼を前に持ち上げてエアブレーキに使う。空母搭載用に改造したユーロファイターⅡ、通称テンペスト。これを五十六機運用するのがこの艦です」
言い終えるとマフムード艦長はペンドルトン提督の前に進み出て最敬礼の姿勢を取り、轟くような野太い声で言った。
「国連海軍、中東アフリカ・ブロック代表、エジプト海軍所属、攻撃型空母クレオパトラ。万能艦隊への合流を許可願います!」
「許可します!」
ペンドルトン提督は間髪を入れず敬礼を返し、きりりとした口調で返答した。そして右手を差し出しマフムード艦長に握手を求めた。男女があまり握手などをしないお国柄からか、ややぎこちない動作でマフムード艦長はそれに応じた。
「あの新型翼竜は今後大きな脅威になるでしょう。本格的な空戦能力を持つ味方の合流は心強いです」
そう言う提督にマフムード艦長は、胸をどんと叩いて言う。
「お任せ下さい。あの化物にアラブ魂を見せつけてやります」
それから例によって艦の食堂に向かい、少し早目の昼食会となった。一同が廊下を進む間、玉置一尉はかねがね疑問に思っていた事を、日本語でそっと提督に訊いてみた。
「提督はどうして最初に必ず、その艦のご飯を食べるんですか? それも一般の兵士用の食事を?」
「それは私がいろんな国の料理を食べたいから、というのもありま~す」
提督は冗談めかしてそう答え、それからこう続けた。
「真面目な話、軍艦の戦闘行動の成否は最後の最後には、乗組員の士気の高い低いで決まります。一番下の階級の乗員にどんな物を食べさせているか、これは重要な艦の士気の判断材料なのですよ」
大型空母だけあって士官用の食堂はわりと広かった。主賓隻に提督が座り、その左右に艦長たちが席を取る。玉置一尉は一番ドアに近い席に守山艦長と隣り合わせて座った。若い水兵たちがプラスチックのトレイに乗った料理を運んできた。モロヘイヤスープが入ったカップ、小さな方のくぼみには羊肉の焼いた物、中央の大きなくぼみには米、細くて短いスパゲティ、太いマカロニ、レンズマメ、ヒヨコマメが全部一緒に煮込まれた者が入っていた。
「これはコシャリと言います。アラブの国、特にエジプトでは庶民の定番の家庭料理です」
マフムード艦長はそう言って自ら食べ方を見せた。スプーンで混ぜて二種類のタレのような液体を上にかけた。守山艦長はまず何もかけずに一口食べてみて言った。
「うん、特に味はついていないのか」
タレが入った容器が回されてきた。最初のはニンニク風味の酸味の強い物だった。赤道に近い海域の暑さにそろそろ体がばて始めていた玉置一尉は、これを盛大にコシャリにぶっかけた。
「なるほど、ビネガー味ね。暑い時は酢に限るわ」
次に回されてきた容器には赤いとろりとしたタレ。守山艦長は横目で玉置一尉の食べ方を見ながら、その赤いタレをたっぷりとかけた。スプーンで一口入れた瞬間、水のグラスに飛びついた。
「そちらは激辛ですので……ああ、申しわけない、言うのが遅かったようですな」
マフムード艦長は守山艦長の様子を見て給仕の水兵に水をもっと持って来るように命じた。守山艦長は額からだらだら流れてきた汗をぬぐいながら言った。
「チリソース……だったのか……うは」
横から玉置一尉が冷やかにツッコミを入れる。
「がっつくからですよ。もう、これだから昭和生まれは」
「ケチャップだと思ったからだ。昭和生まれは関係ないだろう!」
最後に真っ赤なルビー色の飲み物が氷の入ったグラスでふるまわれた。かなり酸味が強い、しかしすっきりした味の飲み物だった。マフムード艦長がまた説明する。
「これはカルカデと言って、ハイビスカスの花を煮出したハーブティです。かの女王クレオパトラが愛飲したというエジプトの自慢のお茶です」
食事が終わり、ペンドルトン提督はテーブルに海図を広げて今後の進路を説明し始めた。ピュートル大帝号からの定時連絡によればクラーケンはアフリカ大陸西岸に沿うようにして南下を続けているという。
もし大陸の南端、南アフリカ共和国沖で進路を反転するなら、クラーケンはエルゼとラーニアの動きを追っている可能性が高くなる。その場合、万能艦隊がピョートル大帝号と合流、そしてクラーケンと再邂逅するのはアフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカル島付近になる可能性が高かった。
万能艦隊は途中サウジアラビアのジェッダという都市の港で物資、弾薬の補給を受け、四月も終わり近い初夏の、とは言っても中東の暑い日差しの下、インド洋へ出るため紅海を南下した。
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