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駐車場奥にある入り口前に織田課長が立つと、ピッと微かな音がして自動ドアが開いた。
鍵を取り出した気配も、暗証番号を入力した様子も、指紋認証などをなさった感じもなくて。
これだけ大きなタワーマンションだもの。
まさか誰でも彼でも建物内に入るのにフリーパスということはないと思う。
私が前を歩いていたら、ドアは恐らく開かなかったはずだもの。
だとしたら……。
キョロキョロと辺りを見回したら、やっぱりあった!
天井付近にカメラらしきもの!
とこれはもしや顔認証というやつですかっ?と、慣れないシステムにやたらめったらドキドキする。
あのセンサーはきっと、私のことも見てますよね!?とか考えたら、喉の奥がカラカラに渇いてくるようで。
「何をキョロキョロしているんですか?」
クスッと吐息まじりに笑われて、私は素直に感想を口にした。
「い、今のっ。もしかして、顔認証ですかっ!?」
「――? ええ、そうですが。それが何か?」
当然の顔をして――。いや、何なら何か問題でも?みたいな表情でサラリと返されて、私は言葉に詰まる。
私の住んでいるアパートは、各部屋の扉前までフリーで誰でも来られちゃう上に、肝心なドア扉の鍵だって、昔ながらの差し込んで回すタイプ。
ドア自体も木製で、よくよく考えてみたら斧か何かを持ってきて思いっきりぶん殴ったら簡単に破壊できちゃう気がして。
4年以上住み続けてきて、幸いにも1度も怖い目には遭わなかったけれど、ビル内に入るなりすでに先程の自動ドアと合わせて2つの顔認証キーで守られた出入り口を潜った今は、それがとても心許なく思えてしまう。
しかも――。
「お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました」
私たちがロビーに入るなり、こちらに声をかけてきたのは、ホテルのフロントみたいな場所にいらっしゃる2名の美しい女性で。
身だしなみがきちんと整えられているのはもちろん、ロビーの雰囲気を損なわない落ち着いた雰囲気の、濃紺の制服に身を包んだ人達。
ひとりは清楚なお嬢様然とした、ハーフアップがよく似合う人で、もうひとりはショートボブが愛らしい、可愛い系の女性。
織田課長が小声で「ここはコンシェルジュ付きマンションなんです」とおっしゃった。
コンシェ……?
え?
と思ったけれど、おそらく管理人さん的な人たちのおしゃれな呼び方か何かなんだと思う。
織田課長は2名のうちの左側――清楚系――の女性に
「あの、急なんですが、来客用の駐車場をひとつ使わせて頂きたいのですが」
と仰った。
「お車はもう?」
駐車区画の描かれた平面図をタブレットで見せられて、織田課長が「勝手ながらここに停めさせていただいてます」と左端のひとつを指さした。
「もしどなたかと重なっているようでしたらご指定のスペースへ移動させますが」
そう続ける織田課長に、「そこでしたら向こう数日間は空いておりますので大丈夫です」とにこやかに女性が応じる。
来客用駐車スペースは全部で10台分確保されているみたいで、幸いそこには予約が入っていないみたい。
そういうのも全部この方達が管理なさっているんだなと思ったらますます凄い!って思ってしまって。
「どのくらいのお時間ご利用になられますか?」
聞かれて、織田課長が「とりあえず明日いっぱいまで」と仰って、私は仰天する。
お話をするにしても数十分もあれば済みますし、考えてみれば独身男性の1人暮らしのお住まいに上がり込むとか、結婚前の娘がすることではない気がしてきましたっ!
「あ、あのっ」
慌てて声を出した時には「さぁ行きましょう」って言われて。
どうやら私がぐるぐるしている間に駐車場の件については話がついてしまったらしい。
「車を停めた時にも言いましたけど、駐車料金の件なら気にしなくていいですよ?」
私の呼びかけをそれだと勘違いなさったらしい織田課長が、歩きながらこちらを振り返っていらして。
――いや、違うんですっ、そうではなくっ!
言いたい言葉はてんこ盛りなのに、どう話したらいいのか分からなくて時間だけが過ぎてしまう。
「乗って?」
いつの間にか目の前のエレベーター扉が口を開けていて、織田課長に箱の中へ誘導される。
どうやらエレベーターも顔認証で作動するみたいで、利用階の指定などなしでも、住人が何階に住んでいるのかなど把握しているみたい。
扉が閉まると同時。操作パネルをいじらなくても勝手に上昇を開始したエレベーターに、私は落ち着かずソワソワして。
何階まで上がるんだろう?
緊張のあまり箱内で、織田課長から目一杯距離を取って隅っこで固まって階数表示に目を凝らしていたら、「何もそんなに警戒しなくても」とクスッと笑われる。
いや、しますよっ。
だって駐車時間っ!
そんなに長く私を部屋に留めて、一体何を目論んでいらっしゃるのですかっ。
ふとそんな抗議の言葉が脳裏をよぎったけれど、それを言ったら、逆に〝何かあることを期待している〟みたいに受け取られ兼ねないと口を閉ざす。
「貴女が考えていることは大体想像がつきますよ?」
なのにじっとこちらを見つめられてそう言われた私は、本当に心の内を見透かされたみたいな気がしてドキッとしてしまう。
そもそも、そんなかっこいいお顔で意味深な笑みを浮かべるのは卑怯です。
私、織田課長のこと、丸っと全部好きなのかも知れない、とか錯覚してしまいそうになるじゃないですかっ。
あくまでも私が好きなのは織田課長の見た目とお声だけ。
中身とは到底折り合えそうにないのです!
「着きましたよ」
ポン、と音がして、織田課長にそう告げられた私は、見るとはなしに階数表示を見て「に、23階っ」と思わず声に出してしまった。
私の年齢と同じだけれど、マンションでこの階数って結構上の方なんじゃないかしら。
「残念ながら、最上階ではありませんよ?」
このタワーマンションの1番上は32階らしい。
「そ、それでも半分よりは上じゃないですかっ」
と言ったら「またわけの分からないことを」と笑われてしまった。
エレベーターが開くと、そこは誰某様邸の玄関でした、みたいなのをテレビで見たことがあるけれど、さすがにそこまでではないみたい。
「行きますよ」
エレベーターを降りたら普通に通路で、ちょっとだけホッとする。
とはいえ、私が見慣れているような外廊下タイプ――手すりの向こうにすぐ外が見えるもの――ではなく、いわゆるホテルなんかによくある中廊下タイプ。
外界に対して開け放たれていない分、共用廊下までしっかり空調が効いている上に、大理石のような高級感漂うシックな床が続いていることに少なからず驚いた。
この床、ツルツルして滑りやすいかと思いきや、何かでコーティングされているのかな?
足裏をしっかりとホールドされるようなキュッ!という粘りを感じて、下手すると逆につまずいてしまいそう。
――気を付けなきゃ。この人の前で転ぶとか恥ずかしすぎるっ!
落ち着いた照明が等間隔で廊下を照らしているため、暗さは感じないけれど、貧乏人の性かしら。ちょっぴりお日様が恋しいぞ、とか思ってしまった。
うちのアパートなんて外廊下タイプで、床はコンクリートの打ちっぱなし、電気なんて各戸の前に取り付けられた蛍光灯入りの門灯だけなのにっ!って思ったら、これはこれでやっぱり落ち着かなくて。
「キョロキョロしていてはぐれないでくださいね?」
そう念押しされてしまったのも無理はない。
だって私、こんな高層のマンションに入ったことないんですもの。
「子供じゃないので迷子にはなりません!」
織田課長から6〜7歩分は遅れを取っていたので、思いっきり見栄を張ってそう言いながらも慌てて早歩きをして距離を詰める。
ここに至るまでのあちこちで、織田課長の顔認証システムのお世話になってきたことを思い出したからだ。