ルナ攫われる
「フシギ・・・」
ルナが反魂丹の包みを手に持って眺めながら呟いた。
「何が?」
「セマイトコロ、カタナヌク、ムリ・・・」
「ああ、あれ・・・」
「シマ、ドウオモウ?」
「う〜ん、あの髭侍が本当の名人か、或いは風呂桶の下に穴が掘ってあったか・・・」
「ドッチ?」
「分からないわ、桶の中は除けたけどそこまでは分からなかった。柳の枝を斬った腕はそこそこの達人だと思うけど」
「メイジン、タツジン、チガウ?」
「そうね、達人は達者な人、名人は極めた人って云うところかな?」
「ニホンゴ、ムツカシイ・・・」
「そうね・・・」
それから二人は、軽業、曲独楽、生き人形の見せ物小屋などを次々と見て回った。
ルナはそのどれにも興味を持って目を輝かせていたが、とりわけ放屁芸の見せ物が気に入ったようだった。
放屁芸は曲屁きょくひとも言い、おならを使って様々な物真似音真似を、お囃子方の台詞に合わせて披露する芸の事である。
この小屋の絵看板を見た時、まず志麻が難色を示した。絵には男の尻の後ろの吹出しに動物や道具といった色とりどりの絵が描かれており、年頃の志麻にとっては正視に耐えないものであったからだ。
だが、ルナは絶対に見たいと言った。他のものならば似たようなものが自分の国にもあるが、これは絶対に無いと言うのだ。単にベアトとローラが、イギリスにはそんな下品なものは無い、と娘に思わせる為に見せなかっただけかも知れないが・・・
そこまで言われれば志麻も拒む理由が無い。ルナを楽しませてあげたいと言ったのは自分なのだ。
「分かったわ、行きましょう!」意を決して木戸銭を払った。
木戸を潜ると上に紅白の水引が掛けられていて、なんだかおめでたい雰囲気を醸し出している。
客席は立ち見だったが、一段高い所に舞台が設けられていたのでルナにも何とか見えそうだ。
やがて舞台に囃子方と共に一人の男が現れた。水色の裃かみしもを身に纏った福助のような男だ。
「今から行います芸は、タネも仕掛けもございません、全部実演の本物。お疑いの方はどうぞ舞台の袖まで近寄って、ようくご覧くださいまし。ただし、臭い匂いは御免ください。なにせ屁の事、匂いがなくばすかしっ屁、なんのお役にも立ちゃしません。なに?それならそこで良いと仰る?それは残念・・・では、まずは三番叟屁から!」
途端に囃子方が楽器を掻き鳴らし始めた。
トッパ、ヒョロヒョロ、ピッピッピ!
男は顔の横で人差し指を立てながら、尻を突き出し、拍子に合わせて屁で合いの手を入れる。
「お次は鶏でござ〜い!」
ブブ、ブッブ〜!
ひとしきり動物の鳴き真似を屁で演じ分けると、今度は舞台狭しと側転を始めた。
ブ〜ブ〜ブ〜ブ〜!
水車の軋む音が聞こえる。
「さぁて、最後はお立ち合い!あの、遠く離れた蝋燭の火を、屁で消してご覧に入れる!」
囃子方の一人が、燭台を持って舞台の袖に立つ。
福助のような男は徐に袴を捲り上げ、尻で狙いを定める。
ブォッ!
一際大きな放屁の音がして見事に火が消えると一瞬で小屋の中が真っ暗になった。
客がワッ!と沸いた。
「はい!入れ替えでございま〜す、見終わったお客様は速やかに外に出てくださ〜い!」
人波に押されるようにして外に出た。
「ルナ、面白かった?」
傍に居る筈のルナを目で探した。
「ルナ・・・?」
どこにもルナの姿が無かった。キョロキョロと辺りを見回すと、小屋の裏手から凄い勢いで大八車が飛び出すのが見えた。荷台には麻袋が無造作に積んであり、モゾモゾと動いている。引き手と押し手の人足の他に、二人の遊び人風の男が従っている。
「ルナ!」
反射的に志麻はその後を追った。
大八車は浅草寺北の御成門を出て左折し、真っ直ぐに材木町の方に向かっている。
志麻は着物の裾が乱れるのも構わず足を早めた。
「どこに行く気なの?」
時々遊び人風の男が振り返るので思うように追い付けない。今気付かれれば二人に足止めを喰っている間に大八車を見失ってしまう恐れがあり、目的地に着くまで追跡するしかないのである。
それほど時を掛けず、大八車は材木町の倉庫街へと入って行った。浅草寺の喧騒とは裏腹に、人っ子一人居ない寂しい場所だ。
一棟の倉庫の前で大八車が止まった。遊び人風の男が辺りを見回しながら倉庫の扉を開ける。
志麻は立てかけてあった材木の影に身を隠して様子を窺った。プンと杉の香りが鼻を突く。
「おい、ここでいい、お前ぇらは戻って親分に報告してきな」
大八を引いていた人足に銭を渡すのが見えた。人足はペコペコと頭を下げると大八を引いて、来た道を戻って行く。
麻袋を運び入れると、遊び人風の男が扉を閉め始めた。鍵でも掛けられれば入る術は無い。
志麻は材木の影を飛び出し真っ直ぐに扉に向かって駆け出した。男が気が付いて志麻を見る。
「誰じゃワレ!」
扉に手を掛けたまま男が喚いた。
「その麻袋の中身は何?」男の前に立って言った。
「ワレの知った事か!」
「怪しい物でなければ見せてくれても良いでしょう!」
「どうした、兄弟ぇ・・・」
倉庫から男が顔を出した。
「誰だそいつぁ?」
「どうやら居合の旦那が言っていたガキの連れや、気が付いて追ってきたらし」
「仕方ねぇ、そいつも捕まえて女郎屋に叩き売れば一石二鳥やのぅ」
「そやな・・・へへへ」
男はいやらしい笑いを浮かべて志麻に近寄って来る。
志麻は嫌悪感を露わにすると、持っていた杖の先で男の鳩尾を思い切り突いた。
男は声も無くその場に頽くずおれ、胃液を撒き散らした。
「兄弟ぇ!」もう一人の男の顔色が変わった。
「オノレ、ぶっ殺したる!」懐から匕首あいくちを引き抜いて身構える。
「どうやらあの居合い抜きの髭侍もグルだったようね。あんた達、松金屋さんを狙っている一味でしょう?」上方弁に違和感を覚えながらも訊いてみた。
「松金屋、そんなもん知るかい?」
「嘘おっしゃい!」
「なんで俺が嘘言わなあかんのじゃ!」
「じゃあ、なんでその子を攫ったのよ?」
「知らん!おおかた見世物にぃでもする気とちゃうんかい!」
「見世物?」
「おうよ、俺らは大坂の香具師やしよ、近頃大坂の見世物も頭打ちでな、碧い眼のガキ言うたらいい呼び物にならぁ!」
「あんた達この子を見世物にするつもりだったのね、絶対に許せない!」
「許せんかったら、どないする言うんじゃ!」
志麻は杖を腰に引きつけると、抜き打ちに男の懐に飛び込んだ。
「こうするのよ!」
掬い斬りに斬りあげると、匕首を持ったまま男の手首から先が宙に舞い上がった。
男は手首の無くなった自分の腕を暫く不思議そうに眺めていたが、現実を理解すると同時に狂ったように喚き声を上げた。
それには目もくれず、志麻が麻袋に駆け寄った。
「ルナ!」
麻袋を縛る紐を仕込みの刃で断ち斬ると、猿轡さるぐつわを噛まされ後ろ手に縛り上げられたルナが袋の中で横たわっていた。
志麻は急いで縄を斬り猿轡を外してやった。
「シマ!コワカッタ!」
ヒシと志麻の躰にしがみついて来る。
「ごめんねルナ、私が目を離したばっかりに・・・」
志麻が抱きしめるとルナは小刻みに震えている。怒りが躰の中に突き上げてきた。
「馬鹿め、あれほど油断するなと言ったのに・・・」
男の声が聞こえて振り返ると、髭侍が志麻の倒した男達を罵っていた。
「あなたがこの子を攫わせたのね!」
仕込み杖を構え、ルナを背に庇って立ち上がる。
「某それがしは忠告した筈だ、ここには妙な奴らが集まってくるから気を付けて行けと・・・」
「えげつないな先生、わいらの事を妙な奴らて・・・」
髭侍の後ろにでっぷりと太った男が立っていた。目に狡猾そうな光が宿っている。
「子供を攫って見せ物にしようと言うのだ、そう言われても仕方がなかろう」
「せっかく江戸まで出て来たんや、手ぶらじゃ帰れねぇ」
「某が教えてやらねば、そうなっていた筈だ」
「違ぇねぇ」
「ルナの事をそいつに教えたのね!」
「悪く思うな、某は今、斑目まだらめの親分の所に世話になっている身だ、恩義は形にして返さねばならぬ」
「許せない・・・」
「お女中、あんたがただもので無い事は動きを見て分かっていた。だから手の込んだ趣向を凝らしたのに、表の馬鹿どもが慌てて飛び出して気付かれてしまった。あんたが後を追ったと聞いてこうして出張ってきたと言うわけだ」
「私たちをどうしようって言うの?」
「あんたには可哀想だが死んでもらう、その子は予定通りに大坂に連れて帰るがな」
「そうはさせない!」
「そんな細身の仕込み一本でどうしようって言うんだ?某の居合の腕は先刻ご承知の筈だが?」
「それでも、この子は私の命に変えても守る!」
「先生、早いとこケリつけたってや、人が来たらマズイ」
「ああ、分かっておる」髭侍が刀に手を掛けた。見世物用の五尺の大太刀ではなく定寸の打刀だ。「某の名は高柳源五郎、冥土の土産に覚えておくが良い」
「誰があんたの名前なんか覚えてやるもんですか!」
「ふっ、それは残念、あんたの素性も聞けぬと言う事か?」
「当然!」
「これ以上問答は無用と言う事だな・・・しからば、参る」
ギギギ・・・と扉の閉まる音がした。
「逃げられないように閉めておくぜ」斑目が言った。
倉庫には壁の高い所に明かり取りの窓が数ヶ所開いているだけだ。高柳の姿も見えにくくなった。
志麻はルナを庇ったまま横に移動して、鋸で薄く挽いた板が立て掛けてある壁際に寄った。
「ルナ、その板の後ろに隠れてて」
「デモ・・・」
「大丈夫、奴らあなたを傷つけたりはしないわ」
「ハイ・・・」
ルナは素直に板の後ろに身を隠した。
高柳が間合いを詰めて来た。志麻はルナが隠れた所から離れるように移動して切先を高柳に向ける。
「その構えで某の抜刀が躱せるかな?」
高柳が間合に入った、薄暗い中でもなんとかその姿を捉える事が出来る。
「やってみなくちゃ分からない」
「ならばやってみるが良い」
高柳は左手を持ち上げて鍔を鳩尾の位置で止めた。その間に鯉口を切り刀身の一割ほどを抜き出している。
志麻は慈心から聞いた事を思い出した。居合の達人は同じ構えから全ての太刀筋を繰り出す事が出来る、と。逆に言えば切先が鞘の鯉口を離れるまで何処を斬って来るかわからないと言う事だ。
高柳がゆっくりと鞘を送り始めた、すでに三割ほど刀身が露呈している。
このまま等速度で鞘を送り、切先が鯉口を離れた瞬間超高速の斬撃が志麻を襲うのだろう。
せめて、どこを斬ってくるか分かりさえすれば・・・志麻の願いも虚しく剣は容赦なく姿を現して行く。
五割・・七割・・九割・・あと少し
高柳の左手が僅かに手前に引き付けられた瞬間を、志麻は見逃さなかった。
真っ向斬りだ!
刹那、志麻は躰を斜めに捌いて前に踏み込み、細身の剣を担ぐ様に背に沿わせた。
高柳の剣が志麻の剣を叩き、流れ滑って落ちて行く。高柳が剣の軌道を変える前に決めねばならない。
志麻は瞬時に膝を抜き躰を入れ替えると、その動作に合わせて剣を振り下ろした。
丁度下から見上げるように高柳の首がその下にあった。
斬!
「ど、どうして・・・」
「高柳、あんたは居合の達人だが、名人では無かったと言う事ね。きっと風呂桶の下には穴が掘ってあったのでしょう?」
「ふふ、名を覚えてくれたようだな・・・」
ドサリと高柳が倒れた、もう息はしていないだろう。
「アワワワワワワ・・・・」
斑目が後退って、逃げようと向きを変えた。
「待て!」
素早く追いついた志麻の剣が、斑目の首に冷たく触れた。
「貴方も香具師の親分なら、この始末をちゃんとつけて行きなさい。お互い叩けば埃が出る身でしょう?」
「ヒ、ヒィ〜!わわわ、分かりましたたたたた・・・」
斑目は腰を抜かして尻餅をつき・・・失禁した。
「情けない親分ね」
志麻は仕込みの刃を鞘に納めると、ルナに声を掛けた。
「ルナ、もう大丈夫よ出ておいで」
ルナは恐る恐る出て来た。志麻は高柳の骸むくろが見えぬように、ルナの前に立って目隠しをして扉に向かった。
「シマ、チョットマッテ」ルナが急に足を止めた。
「どうしたの?」
ルナは踵を返して高柳に駆け寄った。
「ちょっと、ルナ!」
ルナは骸の前にしゃがみ込むと、着物の懐から反魂丹を取り出し骸の上に置いた。
「コレ、カエス・・・」
そう言うと、さっと立ち上がって志麻が開けた扉から飛び出して行った。
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