「そっか、杏ちゃん銀行員かぁ。うーん、でも合ってるかも…。」
もう三杯目になるホットココアに口をつけているユウ。彼女の着物は今日が成人式というのもあって駅前では目立たなかったが、今いる喫茶店は落ち着いたジャズの曲が流れるレトロなお店だった。私のスーツはともかく、彼女の真っ赤な着物はお店の雰囲気に似合わないだろう。しかし、ユウは気にする様子もなく、また一口ココアを喉に流した。
彼女は県外の大学に通っているらしい。医者を目指していて、医学部のある大学に進学しようと思ったら必然とそうなった、と彼女は言っていた(聞いてもいないのに勝手に話し出した)。
中学生の頃からユウの夢は医者だった。ユウは変わらず自分の夢を追いかけている。私とは違う、輝いている人生。素直に凄いと思った。夢をあっさり捨ててしまった私とは違う。やっぱり大人になっても私たちは正反対だった。「杏ちゃん!」
ぼーっとしていたのがバレたのか、ユウは真剣な瞳を向けた。
「なんで、今日スーツなの?」
「……。」
それはそんなに真剣に聞くこと?くだらないんだけど…。
「あ、今面倒くさいって思ったでしょ。」
「だいたい正解かな。」
私がそう言うと、ユウはひどいなーと楽しそうに笑った。静かな店内に気を使っているのか小さな声だった。こういう気遣いができるのも中学生の頃のまま。
「杏ちゃんは帰らなくていいの?」
「は?」
何を言っているんだろう、この子は。
「もう16時になるよ?お姉さん心配しない?」「いや、帰れなかったのはユウのせいだよ。」
そう、ユウが一人で話を続けていたから私は帰ることができなかったのだ。
「私のせい?どうして?」
あの頃にはないキョトンと首を傾げる可愛い仕草。だけどこういう天然なところは変わってなくて、中学生の時もそんなユウに私は振り回されてばかりだった。
「じゃあ、私は帰るよ。」
私が立ち上がるとユウは焦って
「もう帰るの!?」
帰るように促したのはユウなのに驚いたように目を見開く彼女に私は少し呆れてしまった。「ユウは結局どっちがいいの?私は帰っていいの?」
少し責めるような言い方になってしまったのは仕方ない。
「杏ちゃんの家は変わってないの?」
「…場所は変わってないよ。」
「じゃあ一緒に帰ろ。私、今日は実家に帰るの。」
そう言うとユウは椅子から立ち上がった。私とユウの家は近かった。ユウは中学生の頃からおしゃべりだったから私の家の前に着くと、そこから1時間くらい立ち話をしていた。近所の人から心配されるほど長い時間話していた時もあった。
「今日は家の前でお話しないからね。」
「さすがにもうやらないよ〜。」
ニヤニヤ笑っているユウに一つも説得力なんてなかった。
〇
外は赤い夕日が輝いていて眩しかった。もう日が沈むというのに、駅前を歩く人たちは帰る様子を見せない。そこら中から笑い声が聞こえてきて、今日はおめでたい日なんだなぁ、と再認識した。
ユウに会わなかったら、私は今頃パソコンを弄っていたんだけどなぁ。そういうタラレバを考えてしまう私はユウに会ったこと少し後悔しているのだろうか。
「杏ちゃん、119番通報。あと110番もお願い。」
急に言われて一瞬理解ができなかったけれど、私の脇を通り抜けて行ったユウを見て我に返った。少しだけ見えたユウの真面目な表情。何が起こったかわからないけど、それだけでユウを信じようと思い、鞄からスマホを取り出そうとしたときだった。
「キャーーー!!!」
女の人の甲高い悲鳴のようなものが聞こえた。それと同時に大勢の人がユウの走って行った方向とは逆に走り出した。どの人も血相を変え、必死に何かから逃げるようだった。
何があったんだろう。私は必死に走る人たちを押し退け、ユウがいるであろう方向に急いだ。
ユウがいた場所、そこは大きな噴水がある広場だった。いつもはたくさんの人が集まり、笑い声が響く場所なのに、今では噴水の傍に二人ーユウとユウの隣に仰向けに倒れている見覚えのない女性ーしかいなかった。
私は二人に近付くと、ユウの手が真っ赤に染まっているのが見えた。その隣では二十代後半くらいの女性が苦しそうに息を短く吸ったり吐いたりしている。その女性の腹には何かが刺さっていた。それはナイフだった。銀色の刃が少しだけ見えて、完全には刺さってないようだった。しかし、地面の血溜りはだんだん範囲を広げていく。
私の思考は停止した。誰だってそうなるだろう。私の目の前にはたくさんの血を流す女性と血を纏う友達がいるのだから。この状況を理解しようと頭を動かしてもオーバーヒートするだけでより冷静さを失う。
「杏ちゃん!」
その声に視界が急に開けたような気がした。「救急車だよ。119番。」
動かなかった体が彼女の声に反応し、震えながらも電話をかけた。
「あの、女性が1人倒れていて…。駅前のバスターミナルの隣の噴水のところ…はい、よろしくお願いします。」
電話を切ったとき、ユウが「お疲れ様。」と笑顔を向けてくれて、私はなぜだかすごく安心した。
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