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「出血が酷く、危険な状態でしたが、手術は無事に成功し、今は安定しています。あなたたちのおかげです。ありがとうございました。」
手術用の緑色の白衣を着た男の人が丁寧に頭を下げた。
あれから、私とユウは広場に到着した救急車に付き添い人として乗って総合病院に来ていた。
女性の手術が無事に終わったようでほっと胸を撫で下ろす。
「いいえ。たまたまその場に居ただけですから。」
少し照れながらユウは言った。私も「そうですよ。」とユウに同調する。
「ですが、医学部とは言え、あなたの応急処置は適切でしたよ。まだ大学一年生とは思えません。」
「私、色々な医学の本を読んでいたので…。その本にこういうケースがあったので覚えていただけです。」
ユウの言葉を聞くと、その男性は一層感心した。
「医者になったらぜひこの病院に来てください。あなたのような人と働きたい。」
「考えておきますね。では、私たちはこれで失礼します。」
彼女のお辞儀に合わせて私も一礼した。「本当に助かりました。ありがとう。」
男性も深々と頭を下げる。
彼女は嬉しそうに笑った。
〇
病院を出ると外は真っ暗だった。
すっかり日は落ちてしまって、冬の独特の寒さだけを残している。
「杏ちゃん、寒くない?」
不意にユウが聞いてきた。赤い着物にはさっきまで目立たなかった血が変色して赤黒い染みがいくつかできていた。
「ユウの方こそ寒いんじゃない?着物でしょ?」
「私は大丈夫だよ。今日はすぐに帰ろうね。寒いから。」
「いつも引き留めていたのはユウだよ。」
私がそう言うとユウはあははっと高い声で笑った。そして「そうだったかなぁ。」と懐かしそうに目を細めた。
女の人を刺したのは二十代前半くらいの男。近くにいた人も男がフードを深く被っていたせいで顔までは見えなかったらしい。通り魔じゃないか、と警察の人は言っていた。
その事件があったからなのか、車通りは少なく、賑やかな駅前も静まり返っていた。そんな寂しい道にユウの下駄と私のハイヒールの歩く音だけが響く。おしゃべりな彼女もなぜか何も話そうとしなかった。
不意に彼女が立ち止まった。中学生の頃の私はこういう行動を彼女がする度無視して先に行っていたのだが、今日の私は立ち止まってしまった。
「今日はごめんね。」
彼女に月明かりが差した。笑顔なのに、瞳には悲しみが混ざっているように見えた。そんな彼女を見るのは初めてのことだった。
「もう私は子どもじゃない。私のわがままは杏ちゃんを困らせるだけなのに。ごめんね。久しぶりに杏ちゃんに会えて舞い上がってた。色々巻き込んでごめんなさい…。」
消え入りそうな声で彼女は言う。いつもとは違う、弱々しく、今にも消えてしまいそうな彼女。
「本当に迷惑だったら遊びに行ってないでしょ。」
別に彼女を慰めたいわけじゃない。ただ、そんな顔は彼女に似合わなかったから、ほんの少しだけ気を使った。
それでも彼女は悲しそうに微笑んだままだった。
「杏ちゃんはやっぱり優しいね。」
「優しくなんかない。」
「ちゃんと謙遜できる人は優しいんだよ。」「じゃあ、そう言える根拠は?」
「杏ちゃんがそうでしょ?」
一点の曇りもない、真っ直ぐな瞳で見つめられて何も言い返せなくなった。説得力なんて少しもないのに、その眼だけで彼女の言葉は正しいことのように思えてしまう。
ユウは私を困らせたくないんだよね?私、もう既に困ってるよ。きっとユウは今の私の気持ちなんか知る由もないんだろうけどさ。
「杏ちゃん。私ね、杏ちゃんにすごく感謝しているの。」
彼女は流れるように簪を抜いた。まとめられていた髪はしなやかに落ちて風に揺らされる。短かった黒髪は彼女の胸の辺りまで伸びていた。
「杏ちゃんが私と友達になってくれて嬉しかった。杏ちゃんと話していると私だけでは見えない新しい世界が見えた。私では考えつかないような答えをスラスラ話す杏ちゃんの傍に居ると色々なことを知れた。毎日が新鮮で楽しかった。」
ふわり、と効果音が似合いそうな微笑みを浮かべる彼女を心の底から綺麗だと思った。
「杏ちゃんはいつも周りをよく見ていて、細かいところにも配慮できる人だよね。私はずっと杏ちゃんを尊敬してる。だって、目立つところで活躍できる人は沢山いるけど、誰も見ていないところで活躍できる人はあまりいないから。」
「そんなに褒めても何もでないよ。」
褒められているのが少し照れ臭くて少し無愛想な言い方になってしまった。
そんな私をわかっているかのようにユウは小さく笑った。
「何か欲しいから杏ちゃんを褒めているわけじゃないよ。ただ、中学生の時に言えなかったことを言ってるだけだもん。」
「…あっそ。」
「あはっ。そういう冷たい所も好きだよ。でも私が本気で悩んでいると真剣に話を聞いてくれる優しい所も好き。杏ちゃんは本当にいい人だよね。」
胸がくすぐったくなった。私はきっとユウにそんな風に思ってもらえて嬉しいのだろう。
私は人なんか信じたくなかった。どうせ信じても裏切られるだけだから。過去のトラウマのせいで私は誰かを信じることが恐ろしい。でも、彼女なら、ユウのことなら信じられる。ユウは私を慕ってくれて、こちらが怯んでしまうほど純粋でいつも真っ直ぐで。だから、ユウと本当の友達になりたい、信じたいって思った。「ユウ、私はユウと本当の友達になりたい。私はユウを信じたい。いつもありがとう。これからも友達でいてくれないかな…?」
最後の方は恥ずかしくて声が小さくなり、ユウに聞こえていたかわからない。
こんなことを言ってしまうなんて今日の私はどうかしている。こんなの私の柄じゃない。もう二度と人を信じないって決めたのに、ユウと純粋に友達になりたいって思ってしまったのは、きっとユウのせいだ。ユウが綺麗すぎるから、ユウに憧れたから私は傍に居たいと思ってしまったのだ。
「ほら、杏ちゃんは優しくていい人。こんな私を本当の友達にしようとしてくれるんだから。」
ユウは背の後ろに回していた右手を私に向けた。その手には、包丁が握られていた。灰色の刃は月光を反射して余計に鋭く見えた。
「ごめんね…死んで。」