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瑠璃るり色の忘れ物が、桔流きりゅう達のバーに身を置き始めて一週間。

それだけの日々が過ぎ去っても、店にあの男からの連絡が入る事はなかった。

瑠璃色の忘れ物が店に滞在する事になった当時。

流石に翌日には連絡がくるだろうと思っていた桔流は、それから一週間も連絡がない事にしばし動揺した。

しかし、それから更に数日が経過したある日。

あのクロヒョウ族の男は、何の前触れもなく、再び桔流達のバーを訪れた。



― Drop.002『 Recipe choice〈Ⅱ〉』―



休憩を終え、一度フロアに出た桔流は、早々にスタッフエリアへ引き返すと、その足で事務所に向かった。

ドアのノックすると、事務所内からは法雨みのりの声が返ってくる。

桔流は、それに応じて足早に入室するなり法雨に言う。

「――あの、法雨さん」

「アラ。どうしたの?」

その様子から急用と判じた法雨は、穏やかながらも手早く応じた。

桔流は、そんな法雨に声量を抑えつつ要件を告げる。

「実は、この前の――“指輪を忘れたお客様”がいらっしゃってて」

あの瑠璃色の忘れ物の中身が本当に指輪なのか――。

それは、未だはっきりしていなかった。

しかし、バーのスタッフ全員が認識しやすいよう、その瑠璃色は、あの日から“指輪”という通称を与えられ、今日まで大切に保管されてきた。

そんな“指輪”の忘れ主が、今しがた、ようやっと現れたのである。

その事実を知らされた法雨は、

「まぁ」

と言って眉を上げると、すっと腰を上げた。

そして、忘れ物専用の保管棚から例の瑠璃色を丁寧に取り出すと、それを桔流に手渡しながら言った。

「はい。じゃあこれ。――まずは、こちらが本当にお客様のお忘れになったお品かどうか――から、確認してらっしゃい。――それで、もし間違いないなら、そのままお返しして差し上げて」

手渡された瑠璃色は、保管中に汚れたりせぬよう、紙袋全体がすっぽりと入るほどのビニール袋に収められていた。

桔流は、そんな瑠璃色を優しく受け取ると、

「はい」

と、静かに頷き、足早にフロアへと向かった。


フロアに出た桔流は、念のため、カウンター内から今一度あの男の顔と容姿を確認した。

端正な顔立ち、金色こんじきの瞳に、漆黒の毛並み。

襟足をやや長めに整えた艶のある黒髪と、左目を覆うように片側だけ前髪を伸ばした印象的な髪型。

高身長でがっしりとした体つきの――、クロヒョウ族の男。

(間違いない。――あの人だ)

男の容姿を一通り確認し、確かにあの男であると確信した桔流は、意を決して男のテーブルへと向かった。

そして、男に丁寧に一礼し、桔流は言う。

「――あの、お客様。大変失礼いたします。少しよろしいでしょうか」

すると、男はきょとんとした様子で、

「――はい」

と言うと、次いで愛想よく微笑み、

「なんでしょう」

と、首を傾げた。

桔流は、そんな男に再び軽く一礼し、続ける。

「恐れ入ります。――実は、こちらのお品についてなのですが……。――私の記憶違いでなければ、こちらは先日、お客様がお忘れになられたお品ではございませんでしょうか」

すると、男はそれに、

「え……?」

と、不思議そうにした。

しかし、次いで桔流の手元に視線を落とし、その瑠璃色の紙袋をはっきりと認識すると、途端に表情を消し、

「あぁ……」

と、無感情に言った。

そして、何かを考えているのか、それから男は黙してしまった。

そんな男の様子に困惑し、桔流は遠慮がちに尋ねる。

「あの、申し訳ございません。――もしかしますと、私の記憶違いでしたでしょうか」

すると、男はハッとした様子で取り繕うような笑顔を被った。

「あぁ、いえ。すみません。記憶違いではないですよ。――確かに、それは自分が忘れた物です」

桔流は、その男の言葉に安堵し、

「左様でございますか」

と、笑んだ。

男はそれに苦笑し、申し訳なさそうに言う。

「ご迷惑をおかけして、すみません」

桔流は、それにも笑顔で応じる。

「いえ。とんでもございません。お渡しできて安心いたしました」

そして、男の忘れた品を保護用のビニール袋から取り出すため、桔流が、

「――少々お待ちください。今、お取り出ししますので」

と続け、綺麗に拭き上げられた近場の椅子に袋を置いた、その時。

そんな桔流に、男が言った。

「――あの」

「はい?」

しばし男に背を向けていた桔流は、その声に応じて振り返る。

男は、それを見計らうようにして、遠慮がちに言った。

「それ。――もし、良かったら、お店の売り上げの足しにして頂けませんか」

「……え?」

予想だにしない男の言葉に、桔流は困惑した。

「ええ……と……。――も、申し訳ございません。お客様。――それは一体どういった……」

桔流の反応を受け、困惑するのも無理はない、といった様子で苦笑すると、男は言う。

「何と言えば良いか……。実は、それ。もう、今の自分には必要のない物なんです。――だから、自分で持って帰るよりも、お金にでも換えて頂ければと思って。――もう、どこにも行く当てがなくなってしまった物だから、せめて、どなたかの役に立つ形で手放したくて。――無理は承知なのですが……、どうか、お願いできませんか」

できるわけがない。

それが、桔流の素直な回答だった。

しかし、桔流は、苦い笑顔の奥に物悲しさを潜ませたその男に対し、これ以上業務的な対応を貫くことはできなかった。

桔流は、密かに息を吐き、開いたビニール袋の口をそっと閉じると、男に向き直る。

そして、心臓がやんわりと締め付けられるような感覚の中、桔流は言った。

「――……かしこまりました。――では、大変畏れながら、お金に――という点はお約束できませんが、改めてこちらでお預かりだけさせて頂く――という形でもよろしいでしょうか」

すると、男は安堵した様子で微笑み、礼を言った。

「――えぇ。大丈夫です。――ありがとう」

肩の荷が下りた――。

そんな心境を物語るような笑顔を見せられては、無理やりに品を返すなど、尚の事できない。

例えそれが、バーのスタッフとしてあるまじき判断だったとしても、桔流は、この男の心を想わずにはいられなかった。

何せ男は、自分では手に負えず、助けが必要だからこそ、桔流に対し、このような無理を言ったに違いないのだから。

これは、男の運命が、こうなるよう仕向けた事なのだ。

――否が応でもそういう流れになる。

法雨の言っていた、手を差し伸べるべき時が、今まさにやってきたのだ。

今の状況をそう判じた桔流は、何となく寂しげに見える瑠璃色を慰めるようにして、そっと抱き上げた。


男とのやりとりを丁寧に終えた後。

桔流は、持ち主のもとに帰れなかった瑠璃色と共に事務所へ戻り、事の次第を法雨に伝えた。

――強引にでも返してらっしゃい……!

事務所に戻るまでの間。

そんなお叱りが飛んでくる事も、桔流は覚悟していた。

しかし、その桔流の覚悟をよそに、実際の法雨は涼しい顔で言った。

「――そう。――じゃあ、このコは、またしばらくお預かりしておきましょ」

そんな法雨に、桔流はやや動揺する。

「い、いいんですかね」

法雨はそれに、穏やかに微笑む。

「大丈夫よ」

そして、不安そうにする桔流から瑠璃色を受け取りながら続ける。

「お客様がそう仰ったのなら、こちらはご希望通り保管しておけばいいの。――それに、必要になったら意地でも返して貰いに来るわ。――だから、心配しないで大丈夫」

「はい……」

桔流は、そんな法雨の言葉に、できれば心から頷きたかった。

だが、できなかった。

もちろん、今回においては、男の気持ちを優先する事はできた。

しかし、今回の件を経た事で、桔流はより一層“あの日”の事を悔やまずにはいられなくなったのだ。

(やっぱり、あの日に俺がもっと早く気付いて、あの日のうちに返す事ができてたら、こんな事にならなかったんじゃ……)

そんな桔流の心境を察したらしい法雨は、思い悩むようにする桔流を前に、静かに苦笑した。

だが、すぐに何かを思い出したかのようにすると、

「あぁ、そうだ。それと、桔流君。――今は納得がいかなくても、これだけは約束してちょうだい」

と言うなり、桔流に向かって人差し指を立てた。

桔流はそれに首を傾げ、

「? なんでしょう?」

と、言った。

法雨は、続ける。

「今後は、お客様自身が話題に出さない限り、忘れ物の話題は出しちゃだめよ」

そんな法雨の言葉を受け、桔流はふと、先ほど自身に向けられた――あの、物悲しさを秘めた男の笑顔を思い出した。

加えて、その後に見せられた、痛みから解放されたかのような笑顔も――。

桔流は、そんな男の心を想い、法雨の言葉を改めて反芻すると、ひとつ思う。

(時間が……いるのかもな……)

そして、その一旦の着地点に辿り着いた桔流は、今度はしっかりと法雨に目線を合わせて言った。

「分かりました。――今後は、こっちからは何も言わないようにします」

すると、法雨は微笑みながら頷いた。

そんな法雨は、次いで自身のデスクを見やる。

そこでは、瑠璃色の贈り物が上品に佇んでいる。

その瑠璃色を、桔流もふと見る。

法雨は、静かに言った。

「往々にしてあるものなのよ。自分の手だけでは、どうにもできない事がね」

桔流は、そんな法雨のこぼした言葉を静かに聞いた。

そして、再び保管棚に優しくしまわれてゆく瑠璃色を見送りながら思う。

(あんなに綺麗にしてもらってここまで来たのに、用無しなんて、可哀想にな……)

法雨の言葉は理解しているつもりだし、納得もしたつもりだ。

無論、自分では、あの瑠璃色を救ってやれない事も、重々承知しているつもりだ。

(分かってる。――分かってるけど、でも……)

そうであっても桔流は、瑠璃色に包まれた、あの――“誰かを幸せにできるはずだったモノ”の無念を、想わずにはいられなかった。






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