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ユカリたちが地上に降り立つ頃には戦いも趨勢を決していた。モルド城に戻って来ていた克服者たちは救済機構の僧兵や大王国の戦士たちから逃げ帰っていたのだ。
どの勢力も多くの負傷者を出している。多くの怪我人と屍の間を救護者たちと屍使いたちが行き来していた。絶望の籠る呻き声と希望に縋って呼びかける声、血生臭い空気が重く立ち込めているが、人々の雰囲気は様々だ。
救済機構の面々はかなり落ち込んで、重苦しい表情で立ち働き、祈りを捧げている。ライゼン大王国の戦士たちは荘重で勇ましい歌をがなり、戦死した戦士たちを称えていた。そして屍使いはというと損傷した屍を修繕したり、新たな屍を得られないか交渉したりしている。どう考えても場違いな行為にユカリは呆れるばかりだが、少なくとも手を組んでいる大王国は目を瞑っているらしい。そして機構に交渉している者はいない。
克服者と化していたヘルヌスを食い止めてくれた不滅公ことラーガ王子も地上に戻ってきて、立派な鎧を身に着けた戦士やフシュネアルテ、イシュロッテ姉妹のような屍使いの中でも上流階級らしい者たちと言葉を交わしているが、ユカリの見た限りヘルヌスの姿はどこにもなかった。
レモニカとソラマリアは代表してラーガ王子に謝意を伝えに行く。グリュエーはジニとエイカの間に隠れている。チェスタもこの場で争うつもりはないようで、救済機構の集まりへと戻った。
「暫くは休戦なのかな」ユカリはモルド城を見上げながら独り呟く。
「ハーミュラーからすればクヴラフワを救う邪魔さえしなければ戦う理由はないだろうしね」とベルニージュが返事をする。「ワタシたちの方には戦う理由があるけど」
「ハーミュラーさんも変身していたもんね」ユカリは改めて半神ハーミュラーの変身した姿を思い返す。「それってつまりハーミュラーさんと信仰心を奪い合う必要があるってことだよね? 勝ち目がないように思うんだけど」
「勝ち目、ね。正直なところ、ワタシたちは何か大きく勘違いしているんじゃないかと思ってる。つまり勝ち目を判断する前提条件すら間違っているんじゃないかって」とベルニージュが珍しく弱気な発言をする。
「それも毎度の事な気がするけどね」とユカリは諦め半分で励ます。「魔導書って共通の法則もあるけど、肝心の手に入れる手段に違いがあるから。ここの魔導書だって最初は呪いを解けば手に入るのだと思った。でも違って、祟り神と化した土地神を調伏すれば手に入るのだと思った、けどそれも間違い。実際は信仰を手に入れることだった。……え? もしかして」
ベルニージュは首を横に振る。
「確信はないよ。でもそれだってまだ否定される可能性はある。レモニカたちの向かったシュカー領、ワタシたちの向かったキールズ領では魔導書が手に入らなかった。一応信仰を得る工夫はしたんだけど……。それに魔導書に共通の法則も一つ破れたでしょ? 合掌茸も、装身具の魔導書も、それで変身した衣も破損する。食べられる魔導書なんて考えたこともなかったけど」
「一応衣の方は勝手に修繕されるけどね」ユカリは恐る恐る尋ねる。「もしかして、そもそも魔導書じゃなかったりする?」
「ううん。ユカリの感じる気配を信じるならね」揶揄うような言葉だが、声色はそうでもない。
「そうだった! もちろん魔導書だよ! 間違いなく茸にも装身具にも衣にも魔導書の気配はあるんだから」
レモニカとソラマリアが再び合流すると、一旦モルド城跡から離れることに決める。行く所といえば一つしかないのだが。
ベルニージュとの会話は続く。
「それに、旧クヴラフワの人間が線引きしたに過ぎない各領地に魔導書が配されていることも気になる」
「それはクヴラフワ衝突の呪いが原因でしょ? それが特に強い呪いと結びついて……ん?」
ユカリの頭がもつれる。各地で個別に得た知識が上手く結びつかない。
「そうなんだよ。それだと呪いそのものか、もしくは呪いを放った者が信仰されてきたってことになる。この魔導書が、力を貸し与える魔導書なのは間違いないからね。でも信仰されてきたのは衝突後も土地神で、だけど土地神は呪いの被害を受けた方。それともう一つ気になるのは」と言ってベルニージュはちらとグリュエーに視線をやる。グリュエーはジニとエイカとおそらくカーサと楽しげにお喋りしている。「ハーミュラーの姿、見たでしょ? 半分の人間の体の方はワタシたちと同じく変てこな衣装を着て、蜘蛛の体の方は祟り神と同じく合掌茸に覆われていた。半神だから、半祟り神ってことになるのかな」
「えっと、つまり?」とユカリは先を促す。
「ハーミュラー自身が呪われているってこと、そしてそれが祟り神としての特性を持っているなら呪いと交じり合い、呪いを撒き散らす存在にもなっている」
「呪い。でもこのグレームル領には呪いが無いって聞いてるけど」
「ハーミュラーに連れ去られる前に聞いたでしょ? クヴラフワから出られなくなる呪いもあるって」
それをハーミュラー自身が、その祟り神と化した部分が維持しているのだとすれば。クヴラフワの民をこの地に閉じ込めているのはハーミュラー自身だということになる。そうして苦しむ人々を、楽にしている――救っているとは考えたくない――のだとすれば。
ユカリは重苦しい気分を吐き出すように言う。「そのこと、ハーミュラーは自覚していると思う?」
「どっちだとしてもおかしくないけど、今まで知らなかったのだとしても、もう知ってると思う。たぶんこの会話も聞かれてるからね」
「え!?」と驚きつつも、ユカリにも身に覚えがあった。ハーミュラーは知るはずのないことを示唆していた。「盗み聞きの魔法?」
「だと思うけど。そうは思いたくないね。ワタシにも見破れない魔法なんて」
だとしてもユカリには腑に落ちない点があった。ハーミュラーは前世のことについて仄めかしていた。しかし前世のことに関してユカリは独り言で口に出してすらいないのだ。『禁忌の転生』の本当の目的、特定の人物の生まれ変わりについてすら、アルメノンの死後、誰とも話していない。
一行はおよそ三ヶ月の間を過ごした、教団に貸し出された屋敷へと戻ってくる。ここもまた何度も何度も帰ってくる度にベルニージュとジニで調べていたものだ。
先に屋敷の門をくぐったレモニカの歓声が聞こえる。ユビスが戻って来ていたのだ。モルド城に連れ去られずに済んだのか、あるいは連れ去られた上で逃げ出してきたのか。ユカリは後者だろうと予想する。
ユカリもレモニカとグリュエーに続いてユビスの長い毛を撫でる。毛艶は悪くないし痩せてもいない。待遇は悪くなかったようだ。
「鞍と鐙と勒は忘れて来たの?」とユカリが尋ねるとユビスは嫌そうに鼻を鳴らした。
皆が居間に集い、一息つく。が、いつも通りソラマリアはレモニカのそばに立っている。
「どうしたものかねえ」とジニが口を開き、娘に視線を送る。「信仰を奪うって言われてもねえ」
「なんで私を見るの?」とエイカが義母に刺々しく返す。
「この中で聖職者だったのあんただけじゃないか。グリュエーとソラマリアは意に反して連れ去られたんだろう?」
「そうだけど、宣教師じゃないし、僧兵なんて機構の雑用でしかないよ。軍事教練に修行って名前をつけてるだけ」
「でも信仰してたんだろ? 救済機構の教えを」
「そうだけど。でも、単に純粋に、救いを求めてただけだよ……」とエイカは語るが徐々に声が萎んでいく。「ましてや信仰させる方法なんて知らない」
「しかし、おかしくないか?」とソラマリアが疑問を呈する。「ハーミュラーが信仰されるというのは。奴は巫女に過ぎないだろう。シシュミス教団が信仰しているのは文字通りシシュミス神のはずだ」
「確かに。そういえばそうだね」とベルニージュが強く頷く。「さっきもユカリと話してたんだけど、この地の魔導書は信仰を得ているものに力を貸すっていう前提も間違ってるんじゃないかって」
「でもシシュミス神の娘ってことが判明したわけでしょ?」とユカリは反論する。「改めてハーミュラーさん自身が信仰され始めてもおかしくないんじゃない? 魔導書が力を貸してハーミュラーさんが変身したのも丁度同じ頃合いなわけだし」
「ふむ、確かに」とソラマリアは頷く。
「それに関してはね」とベルニージュは頷かないが肯定する。
「はい! はい!」グリュエーも身を乗り出して意見を加える。「装身具化した魔導書を身に着けた人が誰でも変身できるっていうのも信仰と関係ないよ」
「そもそもさあ」とエイカが気だるげに付け加える。「そう簡単に改宗ってする?」
一度気づくとちぐはぐな点が次々に出てくるものだ。
「それは装身具化した魔導書には別の法則があるってだけかもしれないよ」とベルニージュが反論するとグリュエーは不承不承納得した様子で座り直す。
「一時的にでしたら」とレモニカが重くなる空気を取っ払うように明るい声色で切り出す。「魔法少女が触れている間はハーミュラーの呪いも沈静化するのではありませんか? わたくしの呪いのように」
「可能性は高いね」とベルニージュが支持する。「決め手にならなくても、どこかで使える場面はあるかもしれない」
「ありませんよ」
ほぼ全員が跳ねるように飛び上がり、居間全体を見渡す。ハーミュラーの声だ。そしてその魔法の正体はすぐに分かる。時報代わりに街に響いた歌を届ける魔法と似たようなものに違いない。