「エトワール!」
私はそう名前を呼ばれ、ハッと顔を上げた。
それまで忘れていた記憶が一気に波のように押し寄せてきて、目の前が明るくなったのだ。眩いぐらいの白い光に包まれ、私の前に現われた黄金に私は涙した。
(うそ、でしょ、夢……?)
目の前に現われた黄金の周りにはキラキラと金粉が舞っているようで、私は彼、リース・グリューエンに目を奪われた。
ああ、目の前に推しがいる。推しが助けに来てくれた。
そんな風に一人歓喜し、その喜びを伝えるために名前を口にしようとする。
「……りー、す」
自分でも情けないぐらいに擦れた、寂しさに溢れた声が出て、私は彼の伸ばしている手を掴もうとした。彼は、私の名前を必死に呼んでくれている。
本当の名前じゃないけれど、そういえば、今の私はエトワールだったなあとぼんやり頭の片隅で思いつつ、そんな偽物聖女をヒーローが助けてくれるなんて思いもしないから、私は必死に手を伸ばした。だが、その手派届かなかった。
私達の間に透明な壁があるようで、リースはそれにぶつかり、顔を歪めた。
私も知らぬ間に自分の身体にまとわりついていた無数の手を見てゾッとする。
その手が私をさらに奥へと引きずり込もうとしていたから。
私は藻掻いた。
助けて欲しい、助けて、助けてと。
「手を伸ばせ! エトワール!」
私はコクリと頷いて、彼の手を必死に掴もうと伸ばした。だが、まだ足りない届かない。
その間にも手は私の身体を締め付け、下へ下へと引っ張るのだ。それが、痛くて、苦しくて、また先ほどの嫌な過去や、今度は好きな人が死ぬ様子が頭の中に流れ込んできたのだ。
それは、私が攻略キャラを殺す様子。
血だまりの中で、死体の山の上で笑っているのだ。血の雨が降り注ぎ、その上で狂ったように笑っている。黒と赤に染まったドレスを靡かせながら、傷ついた素足で死体の山の上を駆けて、優雅に踊っている姿が。
私がいずれそうなるとでも言いたいように。
リースも、グランツも、ブライトも、アルベドも、ルクスもルフレも皆、皆、皆!
(嫌だ、違うの、私じゃない! こんなの私じゃない!)
割れるような頭を抑えながら必死に否定するが、映像は続いた。
帝国には魔物や、狂った人々が人を殺してまわっており、そうして帝都は地と火の海に飲まれていた。皆が皆疑心暗鬼になって、不安からか人々を殺して、奪って、盗んで。そうやって、汚い人間の姿ばかりが映し出される。
コレが、未来。
バッドエンドで、どうしようもない残酷な未来。
私がプレイしていた乙女ゲームは、ヒロインがそんな世界になる前になりかけている頃に、世界を救うのだ。だから、こんなに悲惨な光景を私は見たことが無かった。ヒロインがいたからこそ救われた世界なのだと私は思った。
ああ、そうか。
ヒロインが来なければ私はいずれああなって、そうして帝都は世界は混沌に飲まれるのだと。ヒロインは必要だと思ってしまった。
『そうだよ。君は偽物聖女なんだ』
と、またどこからか声が聞えた。
イタズラな子供の声。クスクスと笑いながら私に話しかけてくるのだ。
(私が偽物聖女? 分かってる。でもでも、ああなりたくない。誰も殺したくない!)
人を殺す事なんて自分に出来やしないと思っている。でも、今みたいに何かに飲まれてしまったとしたら。自分を見失って、自我が壊されてしまったとしたら。あり得るのかも知れない。あれは、私であって私ではない。私の身体を何者かが、それこそ混沌が乗っ取って攻略キャラを殺してまわっているのだ。
だから、私が死んだら混沌に私の身体を聖女の力を持つこの身体を利用されてしまうのではないかと。私の心が本当に死んでしまったら……
そこまで考えて、私はこのままではいけないと割れる頭を抑えながら再びリースに手を伸ばした。
痛い。骨がきしむようだった。このままでは砕けてしまいそうだった。でも、身体が砕けでも、心まで砕かれるわけにはいかないと思った。
「いッ」
今すぐにでも諦めたい。痛い思いをしたくない。そんな考えと、死ぬわけにはいかないという相反する思いがぶつかり合っていた。
でも、目の前にいるリースの、リースの歪んだ顔を見ていると、私が諦めればリースだけは助かるのではないかと一瞬思ってしまった。それが、誰かに思わされているのだとしても、思ってしまったことには変わりなくて。
「リース、大丈夫だから、もう良いからッ!」
「お前を助けに来たんだ! お前が苦しんでいるとこを見たくない!」
そう、リースは叫んだ。彼だっていたいはずなのに、苦しいはずなのに、どうして助けてくれるのだろうかと。だって、私は偽物聖女で。
(ああ、そうだ。彼はリースじゃない)
そこで、ふと思い出した。リースの顔がだんだんと知っている私のよく知っている顔に変わっていくようだった。
私が何年も放置してしまった、私が傷つけてしまった元彼の顔に。
私は、無我夢中で彼の本当の名前を叫んでいた。
「遥輝!」
そう、彼の名前を叫べば、グッと手が伸びた気がして、私の指先と彼の指先がコツンと交わった。
「大丈夫だ、俺が助けてやる!」
と、リースは、遥輝は言うと私の手をしっかりと掴んで私の所まで落ちてきた。
ふわりと身体が浮くような、温かい光が身体の中に差し込むような感覚がし、私はぽろぽろと涙が零れでた。その涙は、宙へ舞っていく。きらりきらりと形を変えながら天へと昇っていくのだ。
「どうして、リースが……」
「ああ、やっと捕まえた。届いた……」
そういって、リースはぎゅっと私を抱きしめた。
依然として、私達の身体にはあの無数の手が張り付いて、身体を締め付けている。
「ぐッ……」
リースの顔が歪み、はっきりとその額に汗が滲んでいるのが見えた。私よりも彼のほうにダメージが行っているのか、みれば無数の手は私とリースをひきはがさんとばかりに増えていた。
「リース、ダメ。このままじゃ」
「俺は、お前のいない世界なんて耐えられない」
「え……え」
いきなり何を言うんだと、涙でぐちゃぐちゃになった顔が一気に赤くなるのを感じた。
「お前を失うのが何よりも怖いんだ」
だからと、私の身体を抱きしめて、安心させるように優しく背中を撫でるリース。
すると、スッと無数の手派浄化されるようにぱらぱらと崩れていき、闇の中に解けていった。だが、彼の顔や服には捕まれた痕が残っており、未だに何かに苦しめられているようだった。
私はいてもたってもいられず、彼を抱き返した。
(ああ、温かい……)
彼の温もりを感じながら、彼の肩で数分か数秒か泣いて私は、ふと疑問に思った事を彼にぶつけることにした。
リースが来てくれたことで安心感が芽生え、先ほどの不安な気持ちも恐怖に怯えていた自分も何処かに行ってしまったようだった。
「リース」
「エトワール」
「……どうして、ここにこれたの? 皆は? もしかして、リースも食べられたり……」
そう、私が尋ねると、リースはきょとんとした顔で、私の腰を抱きながら、違うとだけ否定して話を続けた。
「アルベド・レイがエトワールを助ける方法を教えてくれたんだ。そうして、俺はここに来た。外のことは大丈夫だろう。お前の騎士や、ルーメンがいる」
「え、え……待って、助けに来てくれたことは分かったんだけど。何でアルベドが?」
「さあ、俺にもよく分からないが、この怪物については詳しかったぞ」
と、リースは淡々といい、それでも少し気にくわないといった表情を浮べて私を見ていた。
まあ、多分その表情から察するに、アルベドが何かまたいらないことをいったのだろうと私は思った。だが、今は目を瞑ろう。助けてくれる方法を教えてくれたのだから。
「そう……何だ。ごめん」
「何故謝る?」
「だって、こんな怖いところにリースを。だって、怪物の中には入れても出る方法があるか分からないじゃない」
私がそんな風に反論すると、リースは大丈夫だと片手で私の頭を優しく撫でながら微笑んだ。その笑顔があまりにも心臓に刺さって、抜けなくなりうっと声を漏らしてしまい、またそれでリースに心配されてしまった。
違う、今のは完全に推しにそんな笑顔を向けられて萌え殺されてしまったオタクの潰れた小枝から。
「この怪物の核を破壊すればでられるそうだ。それは、人の心臓のような形をしているらしい」
「心臓? それならさっき……」
先ほど、私はリースのいった怪物の心臓らしきものを目撃していたのだ。だがあれに近付いた瞬間ここまで落とされて。
そこまで言うと、リースは何かを察したようによしと上を向いた。そこは、先ほどリースが降ってきた場所だった。
「取り敢えず上に戻ろう。といっても、この暗闇の中で上も下もないかも知れないが」
と、リースは付け足しながら何処か自信満々と行ったような表情で私に笑いかけた。
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