──翌日。
空は抜けるように青くて、蝉の声が朝から途切れなかった。
昨日の夜の光や音が、まだ頭のどこかに残っている。
あの花火の色、屋台の匂い、 人混みの中で何度もすれ違いそうになった、先輩の手の温度。
なんでもないはずの時間なのに、思い出すたびに心臓がきゅっと鳴った。
昼過ぎ。
なんとなく、また学校に行ってみた。
夏休みの校舎は、人の気配が少なくて、 廊下の窓から見える光がどこまでもまっすぐ伸びている。
図書室の扉を開けると、やっぱりそこにいた。
水森先輩。
机に肘をついて本を読んでいる。
その姿を見た瞬間、胸の中の昨日のざわめきが全部蘇った。
「……こんにちは」
「お、紬。昨日ぶり」
先輩は顔を上げて笑った。
その笑顔がまぶしすぎて、何も言えなくなる。
「昨日、楽しかったな」
「はい」
「まさか金魚すくいであんなに真剣になるとは思わなかった」
「先輩が挑発してきたからですよ!」
「いやぁ、あれは紬が本気出すと思わなくて」
笑いながら言葉を交わす。
だけど心の奥では、昨日とは違う何かが静かに芽生えている気がした。
それはまだ名前をつけられない感情。
でも確かに、私の中で息をしている。
「なぁ、紬」
「はい?」
「夏休み中、またここで会ってもいい?」
「もちろんです」
その瞬間、窓の外で蝉が鳴いた。
力強くて、まるで“約束”みたいな声だった。
先輩は笑って、本を閉じた。
「じゃあ、明日もな」
「はい」
ページの間からこぼれた風が、髪を揺らす。
その風が、昨日の花火の煙と一緒に、心の奥をくすぐった。
──夏はまだ、始まったばかりだった。
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